本屋のポップ(ある偉人に捧ぐ)

紫陽_凛

いまは亡き半藤一利翁に捧ぐ

 本屋を練り歩いていると、思いがけず訃報に出会うことがある。故・外山滋比古とやま・しげひこ翁のときもそうであったが、追悼の文字が刻まれ、その周りにその人の書いた書籍がずらりと並ぶ。追悼というが、フェアっぽくも見える。

 わたしは二月の末にそうして、半藤一利はんどう・かずとし翁が亡くなったことを知った。


 後日、調べたネットニュースではこう報じられていた。

――2021年1月13日、作家の半藤一利さんが自宅で倒れているのが見つかり、その後病院で死亡が確認された。90歳。

 たった、それだけだった。



 大学では大正・昭和史を学んでいた。

 厳密には「近現代文学史」であったのだが、戦争がらみのことになるとどうしても、「戦争」に触れなければならず、戦争に触れるためには、周辺昭和史を必要があった。わたしは無鉄砲にあちこちを探し回り、論文をかたはしから読み、それを理解できたかどうかわからないままに手元に置いたりして、巨大な論文の山を腰回りに築き上げていた。

 汚部屋の中で私は石原莞爾いしわら・かんじについて探っていた。その中に半藤翁の論文もあった。特別意識していたわけではないが、読み返すうち氏の名前が、目に焼き付いたのだろう。


 わたしはその書店のポップを何度も見返した。白い地の紙に、「追悼」と書かれて、その周囲を昭和史の書籍が覆っていた。まだ知らぬ本がたくさんある、と思った。そして、不意に悲しくなってきた。

 先に生まれた人が先に行くのは必然のことだが、わたしよりもはるかにものを知る「知の巨人」たちが逝ってしまうことが悲しい。

 わたしは氏の書籍をぐるりと見渡して、まだ読んだことのないそれらを書棚からとり、ページをぺらぺらとめくってみた。

 わたしはなにも知らない、ということだけが分かった。


 世界に挑みかかろうとするとき、人は本を手にする。わたしは一人の作家と向き合うために、彼の論文に触れた。

 しかしわたしはまだ、何も知らない。

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