白い本屋

こうちょうかずみ

第1話 白い本屋

「様々な本があるのね。どの本も面白いタイトルをしているわ。これは、人の名前かしら」

「えぇ。なかなかに興味をそそられる本ばかりでしょう?」


 たくさんの本がぎっしりと詰められた棚を前に、一人の女性が佇んでいた。

 興味深そうに背表紙をなぞり、一冊一冊その名を確かめている。


「この本は――ある男性のお話ですね。会社員で何事もなく出世街道を歩み、60歳で定年。孫にも恵まれ、その後は田舎でスローライフを送る。享年90歳。あぁ、こちらの本はある少女のお話ですね。この子は――生まれつき重い病気に悩まされていた様子。享年13歳。なるほど」


 時折、本を手に取り、その中をぱらぱらと立ち読みしている様子。


 こういう風に、本に興味を持ってくれる人は貴重だ。

 最近は本屋離れという風潮もあるようで、実際うちもなかなかに経営は難しいものとなっている。


「あら?」


 ある本棚に目を向けて、その客は声を上げた。


「この本棚、どの本もタイトルが付いていないのね。それに――中も、全くの白紙だわ」

「えぇ、そうなんです」


 驚いた様子の女性を前に、私は得意げに声をかけた。


「この白紙の本たちは、不思議な本なんです」

「不思議な本?」

「はい」


 わざとらしくごほんと咳払いをする。


「この本は、を知ることができる本なんです」

「人生?」


 私の言葉に、その人は怪訝そうに首を傾げた。


 当然だ。普通そんなことを言われて、信じろというほうがおかしいのだ。


「白紙の表紙がありますよね。そこに自分の名前を書くだけで、今までの、そしてこれからの自分の人生が文字として、中に浮かび上がってくるんです」

「自分の、人生が?」

「はい!そりゃあもう、素晴らしいものでしょう!?何せ、自分の未来がわかるということなのですから」


 まったく、こう説明すると毎回嬉しい反応をしてくれるものだ。


 目を丸くして、口をあんぐりと開ける客を前に、私はすっかり息巻いていた。


「実は、ここに来てくれるほとんどの方が、その本を買って帰られるんです。もちろん、名前を刻む前提で」

「なるほど」


 手の上の本をまじまじと見つめ、その人はふむふむと頷いた。


「では――」


 そして長考の末、その人は、白紙の本をこちらに差し出した。


「こちらの本を頂くわ。ただし――――名前は入れないけれど」


「え?」


 意味がわからず、私はぽかんとその場に固まった。

 その人は、何事もなかったかのように会計を済ませると、さっさと店を立ち去ろうとした。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 出口の前、私は急いで彼女を呼び止めた。


「名前を入れない白紙の本だなんて、買ってどうするんですか?その本は、人生を刻んでこそ意味がある――」

「本当にそうかしら」


 その声に、思わず口を閉ざした。

 先程までの上品な口調はそのままに、その人は低く冷たい声を発していた。


「自分の人生を知って一体何になるというのかしら。いいえ、何にもならないわ。だって私は知っているもの。この本が無意味であるということを」


 どきんと心臓の音が鳴り響く。

 声が震えてどうにもならない。


「無意味、とは――?」


 どうにか絞り出した言葉に答えるように、彼女はすっとこちらを振り返り、凍てつく眼光を差し向けた。


「わかっているもの。この本に書かれた事実を、たとえ今知ったのだとしても、その後の人生を変えることなどできないということを」


 言葉が浮かんでこない。

 それを無言の肯定と読み取ったのか、彼女はすらすらと続けた。


「この本に書かれていることはすべて事実。その人がこれから絶対に歩まなければならない現実。それなのに、あなたはあえてそれを言わない」


 丁寧な口調がより、こちらを追い詰めてくる。


「だからこそ、ここを訪れる人たちは皆、夢を見る。『この本があればより良い人生を送ることができる』と。でも、現実は残酷。本当はただ、決められた人生を歩まされるだけ。いつ何時に何が起こるのか。その出来事が訪れるのを一秒一秒怯えながらこの先の未来を生きて行かなければならない。それって、耐えがたい苦痛ではなくて?」


 もう、何も言う気にはなれなかった。

 次々と襲い掛かってくる彼女の言葉はまるで凶器のように、私の心を傷つけていた。


「どうしたの?黙り込んじゃって。私の言ったことが不満?でもほら、見てみてよ。この本棚を」


 そうおどけた様子で本棚に歩み寄り、その人はそっと本を撫でた。


「いっぱい本が並んでいるわ。それもどの本も背表紙にきっちりタイトルが刻まれている。つまりこれって、誰かの人生ってことよね?おかしいわね?ここは白紙の本を売る本屋ではなかったかしら。本来ならば、この棚に文字の入った本など置かれているはずがないのに。どういうことかしら?」


 沈黙が、店内を包み込む。



「――売りに来ているのね?」


 その言葉に、はっと息を吸い込んだ。


「白紙の本を買っていったお客さんたちが、自分の人生が書かれた本を売りに来ているのでしょう?そりゃあそうよね。だって、変えようがない人生なんて知りたくないもの」


 もはや、私の反論など期待してはいないのだろう。

 図星なことを隠す気もない私を見て、彼女はふふっと笑った。


「――まぁいいわ。あなたが何をしようと、私には結局関係がないのだし。ありがたく、この本は頂くわ」

「待ってください」


 彼女が店を出る直前、私は再び声をかけた。


「あなたは、そこまで知っていてなぜ、その本を買われたのですか?」

「白紙だからこそ、意味があるんじゃない」

「え」


 すると、彼女は今までで一番嬉しそうに笑みを浮かべた。


「わくわくしない?この白紙の本に、一体これからどんな色を付けようか。私が私の手で彩っていくの。誰にも渡さない。誰にも見られることもなく、誰にも侵されない。私だけの本。いいでしょう?」


 私だけの本、私だけの人生――。


 言葉が、どうしようもない言葉が、ぐるぐると脳内に響いてくる。


「いいのよ?あなたは、ずっとそこにいて」


 その声に、私ははっと顔を上げた。


「待って、やめて、それは――」

「だって仕方がないものね。あなたの本にはもうすでに、決められた人生が刻まれてしまっているのだから」


 私の制止を聞く素振りも見せず、その人は一方的に言い放った。


「ここで永遠に白紙の本を売り続け、そして帰ってくる本たちを棚に陳列して、そしてその人生すら売って――そんな決められた人生」


 彼女はもう一度こちらを振り返り、そして笑った。


「楽しい?いや、どうでもいいわね。だってもう、変えようがないのだから」



 その後、その人は店を出て行った。

 そして当然、その人が再び店を訪れることはなかった。


 決められた人生、本に記された人生、私の人生。

 もはや、どうすることもできないその文章たちは、永遠に私の頭をさまようのみ。




 ここは、白紙の本を売る特別な本屋。

 その本に自分の人生を刻むことができるのならば、あなたは名前を書きますか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白い本屋 こうちょうかずみ @kocho_kazumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ