古本屋の花子

翠雨

第1話

 細い裏路地の先にひっそりと佇む、薄暗い小さな古本屋。緩いウェーブがかかった綺麗な栗色の髪の女性が、一冊の本に没頭していた。

 彼女は徐に顔を上げると、眉間にシワを寄せた。

「はぁ~。また来た。」

 店に続く細い路地をゆっくりと近づいてくる、嫌な気配。

 この気配を感じ取れるのは、家族の中では私だけだった。


 絶対に名前のせいよ!!


 幼い頃には、どこの小学校にもある七不思議の妖怪と名前が同じことで、心ない一言をかけられたこともあった。

 そう考えているうちにも、どんどん嫌な気配は近づいてくる。そろそろ店のドアが開けられるだろう。

「はぁ~。ホントにやんなっちゃう。」

 店の外には聞こえないように呟いて、呼んでいた本を閉じる。そっと机に置くと、立ち上がる。


 カランカラーン。


 ドアベルと共に入ってきたのは、20代後半の男性。少し窶れていることを考えれば、もう少し若いのかもしれない。

「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

 用件の予想はついているものの、普段通りの声をかける。

「あ、あの!!この本を買い取ってもらいたいんですが。」

 こういった客は、調べ尽くしてこの店に行き着く場合ばかりではなく、なぜか来てしまったという者も多い。今回の客も後者のようだ。

「大変申し訳ありませんが、その絵本は買い取ることは出来ません。」

 本のある家庭なら、かなりの確率で置いてある有名な絵本であった。少し染みが目立つ。

「あぁ!!どうしたらいいんだ!!他の店にも行ったけど、買い取りも処分も無理だって言われたし、捨てようとしてもいつのまにか戻ってきてるんだ!!」

 何か悪いことも起きていそうだが、まだ彼が窶れるだけで済んでいるにだろうか。

 本当はかかわりたくないのだが、来てしまったのであれば仕方がない。目の前で困っている人を放っておけるほど、無慈悲にはなれなかった。

「今のまま買い取ることは出来ませんが、除霊でしたら可能です。」

「除、霊??」

「はい。そちらの本には、誰かの強い思いが染み付いてしまっています。あなたの関係者かどうかは分かりませんが、そのままにしておくのはお勧めできません。」

 身に覚えでもあったのだろうか。男性は、ブルリと身震いすると、絵本に視線を落とす。

「除霊…。してくれるんですか?」

「対価を払っていただければ、除霊いたしましょう。」

「いくらですか?」

「3万円です。」

 怨念の強さによっては、もう少し高い金額を要求するが、今回のケースくらいであれば、一律3万円で請け負っていた。

「3万…。そうだよね…。」

 高いとでも言いたいのだろうか。こちらとて、一応、命を懸けて除霊しているのだ。それに誰にだって出来る技術ではない。生活が掛かっているのだし、仕事のモチベーションとしては非常に重要だった。

「路地を出て少し左に行くとATMのあるコンビニと、右に行くと大手の銀行があります。こういった仕事のときは、電子機器が誤作動を起こしやすいので、現金でお願いします。」

「は!そうですよね。大丈夫です。あります。」

「全額先払いか、半額先払いでお願い致します。」

 彼は、信じきれてはいないのだろう。恐る恐る、財布を取り出した。

「半額で。」

「はい。受け取りました。では、こちらにどうぞ。」

 店の真ん中にある丸テーブルに案内する。絵本をテーブルの中央にのせ、男性を自分の右側に座らせた。

 絵本に手をかざし、ブツブツと口の中で呟く。絵本は、ガタガタと震え始めた。

 小さな瓶から、透明な液体を一滴垂らす。絵本の痛みを最小に押さえるように、垂らす場所には細心の注意を払う。絵本の動きが少し小さくなる。それと共に、絵本の上に黒い靄が現れる。少しづつ小さな女の子の上半身を形どる。

「ひ!ひぃ~!!」

 男は、椅子から滑り落ちた。

『ふふふ。』

「困っているみたいだから、帰ってね。」

 黒い子が、つまらなそうに頬を膨らませる。

「あなたにもいいことよ。力を貸すわ。」

 この絵本に宿っているのは少女の全てではないだろう。

 本体にちゃんと戻った方がいい。

 むぅ~っと膨れている姿が、一見するとかわいくも見えるが、男性が腰を抜かしたまま「ひぃ、ひぃ」言っているので、そろそろ終わりにしたい。

 男性のほうに身を乗り出して、面白そうに笑う。さんざん驚かせて満足したのか、真面目な顔に戻る。

「じゃあ、輪廻に乗りなさい。」

 黒い子は、天を仰ぐように見ると、すぅーっと消えていった。

 男性のほうに手を伸ばした。

「は?は?ひぃ!!」

 大丈夫か確認するだけなのに、失礼きわまりない。

「もう大丈夫です。こちらの本は持ち帰りますか?」

 絵本を差し出すと、「ひぃ!!」っと身を引く。

「処分を承りましょうか?」

「は!はい!!お願いします。」

「それでは、残りの金額のお支払をお願い致します。」

 除霊のすごさが残っているうちに、支払いを促した。

「ところで、すごい驚いていましたが、お知り合いですか?」

「あの不気味な顔で、笑っていた幽霊ですか!?全く知らない子です。」

 詳しく聞いても、親戚に該当する子はいない。近所の子までは分からないらしい。極端な怖がりかたを面白がられていたのではないだろうか?

「それでは、私、神水花子かんみずはなこと申します。これからもどうぞ御贔屓に。」

「えっと、田中泰弘です。で、でもなんで?」

 少し顔色が良くなった泰弘が、目を丸くしている。

「どうも、好かれる体質のようですから。」

「え?ひえ?」





 花子は、本から視線を上げ、窓から入る柔らかい光に目を細める。

「はぁ~。」

 大きなため息をつく。

「まただ。」

 本を机に置き、店の真ん中にある丸テーブルに向かう。

 近づいてくる嫌な気配が、迷うことなく向かってきている。

 躊躇いもなくドアが開けられる。

「いて良かった!!花ちゃん!!常連割引作って~!」

 何度か訪れて、今では憑かれていなくても訪問する泰弘の窶れた姿があった。

「こんにちは。今度は、何に憑かれたのですか?」

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古本屋の花子 翠雨 @suiu11

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