田舎本屋
宵埜白猫
小さな本屋と初めての小説
駅から歩いて30歩、田んぼの匂いに包まれて、長い年月を感じさせる小さな建物。
高校時代に、定期区間内だからと足繁く通っていた本屋さんだ。
最初にこのお店に来たのは友達がバイトをしてるからという理由だったけど、いつの間にか本の魅力に惹かれていったのだ。
大学進学の時に大阪に出てからは、本屋さんなんてどこにでもあるのが普通だったけど、この田舎町ではこの1軒しかない。
それでも、やっぱり初めて自分のお金で本を買った場所というのは感慨深いもので、久しぶりに来ると妙な高揚感を覚えた。
平積みにされた小説を手に取った時の、あの不思議な心地良さは今でも忘れない。
「いらっしゃいませ」
昔ながらの丸いドアノブを押して店内に入ると、眼鏡を掛けた長髪の女性店員の声が響く。
私は軽く会釈を返して、ズラリと並ぶ書棚に目を移した。
入口近くに配置されているのは啓発本に自叙伝、雑誌類だ。
その棚を横目に眺めながら、私は目的の場所に足を向けた。
「……あ」
かつて私が初めての小説を手に取った場所。
そこに平積みされていたのは、どれもあの時の静かな色調の表紙とは真逆の、キャラクターを前面に出したライトノベルだ。
同じ作者の本がシリーズごとにいくつも並べられている。
少し窪んでいる本の山に手を当てると、自然と頬が緩んだ。
あの時の私のように、ここから本を取った誰かも笑顔になってくれただろうか。
家に何冊もあるその本を、ここに来た記念に買おうと手に取ると、不意に後ろから静かな声が聞こえてきた。
「それ、面白いですよね」
声に驚いて振り返ると、先程の女性店員が私の肩越しにライトノベルを眺めている。
「ライトノベルとは思えないくらい登場人物の心情描写が丁寧で、かと言って台詞の掛け合いのテンポが悪いわけでも無いですし」
数年前の作品でも、こうやって褒めてもらえると素直に嬉しい。
この場で自分が作者だと言ってしまいたくなるのを飲み込んで、私は小さく頷いた。
「そういえば、どうして同じ作者さんの本をこんなに置いてるんですか? もう随分古い本もあるのに……」
この売り場を見てからずっと気になっていたことを訊ねてみる。
そもそも、こんな田舎の本屋さんでは、ライトノベルの売り上げはそこまで良くないはずなのだ。
ましてやそれを平積みにするメリットなんて皆無だ。
「ああ、それはですね」
私の問いかけに、店員さんは少し迷ったように口元を抑えて、やがて意を決したように口を開いた。
「実はそれ、私の推し作家なんですよね。昔ここでバイトしてたんですけど、田舎に残って仕事続けてたら、気づいた時には店長になっちゃって」
そう言って、彼女はネームプレートを指差す。
確かに名前の隣に『店長』という文字が踊っている。
「でもこのデジタルの時代に田舎だからね、本も昔ほど売れないんですよ。だからせめて自分の趣味に走って散ってやろうと並べた訳です」
「そうだったんですね」
確かに、人口の多い都会でも本屋さんが閉まってお洒落なカフェが増えている。
辛うじて残っている本屋さんでも、小説の売り場は縮小傾向だ。
ましてその中で人気の無い作品や古いシリーズはどんどん棚から追い出されていく。
「それと、単純に好きなんですよね」
「好き、というと本がですか?」
「まあそれもありますね。でも1番は、それを手に取った人の笑顔です」
表情の薄かった頬を緩めて、彼女は楽しそうに言葉を続けた。
「高校時代の友達がここで初めて本を買ってたんですけど、その時の笑顔が忘れられなくて。……この小さな本屋でずっと働いてたのも、それが理由かもしれないですね」
その時の彼女の笑顔は、いつかの友人のそれにとても似ていて。
「素敵ですね」
直接打ち明けるにはやっぱりまだ気恥ずかしくて、他人のフリをしてそんな言葉を返した。
いつか、彼女に直接伝えられる日が来るだろうか。
あなたの推しは高校時代の友人だ、なんて。
少なくとも、それはもう少し先の話だろう。
「ありがとうございました。店長さんとお話できてよかったです」
自分のラノベと適当な雑誌の会計を済ませて彼女に伝えると、
「ありがとうございました。またいつでも来てくださいね」
少し寂しそうな声が返ってきた。
私は、静かにその場を後にする。
人が物語に出会う場所。
人の物語が生まれる場所。
そんな素敵な場所に、自分の物語が置かれていることに、あの時と同じ心地良さを覚えながら。
田舎本屋 宵埜白猫 @shironeko98
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