本屋の恋

澤田啓

第1話 あいのしるし

 私はしがない町の本屋、毎日この店で飽きもせず、お気に入りの本たちに囲まれて、変わり映えのない日々を過ごしている。


 他人様にとっては取るに足らない、いや……どちらかと云えば孤独で寂しい暮らし向きだと捉えられてしまうのだろうが、それは或る意味で的を得た意見であり、或る意味においては見当違いも甚だしい不躾な暴論なのだと識っておいていただきたい。


 私は私の愛する本に囲まれて暮らし、他者との関わりを最小限に留めるよう息を潜め、自らを深くて暗い迷宮ラビリンスの奥底へ封印してしまうようなこの人生こそが楽園であり、安息であり、これ以上ないほどの満ち足りた幸福そのものなのだ。


 今日も今日とて、新刊の整理に追われ、収蔵本の保管方法に頭を悩ませるだけで時間は無慈悲に私の上を流れて行く。


 何故なら新刊本の美しい革の装丁に魅入られ、そのしっとりとした滑らかな手触りに情動リビドウを掻き立てられ、一分の隙間もなかった未開の処女地であったペイジをめくる度に、その秘所から湧き立つ馥郁たる薫りに鼻腔をくすぐられ、静謐な居室に一葉を繰る音だけが響き渡り、智の雷鳴にも喩えられそうなその轟音に耳朶を撃たれ、五感の総てを動員した肉欲セクシュアルの祭典が如き官能の極みに、総身をおこりに罹患したかの如く震わせて果てる日常だからだ。


 おぉ……だから君よ、これから私の愛する著作物となる君よ、永遠の若さを保ち、私と共に生きる転生の果てを畏れ嘆き哀しまないでおくれ。


 生きたまま頸動脈を断ち切り、速やかな血抜きを施し、透き通るほど色白な真皮を剥離してあげるから。


 その緑の黒髪も、真珠のような歯列も、螺鈿らでんのような大小の爪たちも、若く蒼白いその眼球も、淫らな薄桃色に染め上げられた内臓もすべて、装飾品として余すことなく使い切ってあげるから。


 だって私はしがない本屋ブックメイカァ、この町で唯一無二の存在であり、孤独であるけれども愛に満ちたなのだから。

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本屋の恋 澤田啓 @Kei_Sawada4247

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