夢と未来書店2
「お客さん、その本がどうかしたのかい?」
尋常ではなさそうな折葉の様子を見咎め、奥のカウンターにいた店主らしき男が近寄ってきた。
「すみません、この本、どこから仕入れたんですか!?」
折葉はこれ幸いと本の出所を男に問い詰めた。
「ん?あー、その棚か。1年ぶりだな。その棚に本が現われるのは……」
不可思議な物言いをする男に、折葉は怪訝な顔をする。
「お客さん、ちょっと奥で話さないか?」
男はそう言って、店の奥を指し示した。
折葉は警戒しながらも、招かれるままに男について店の奥に入って行った。
そこは何の変哲もない本屋のバックヤードで、在庫の本などが大量に積まれていた。
部屋の中央に古びたパイプ椅子が二つあり、男は片方に腰かけ、折葉にも座るよう勧めた。
男は煙草に火をつけながらゆっくり語りだした。
「この店は10年ほど前に先代の店主から引き継いだものでね。その先代からの言いつけであの棚には商品を置かないことになってるんだ」
「え、でも、さっき、本を積んであったじゃないですか?」
「俺は積んでないよ」
「え?」
「さらにさっきの『どこから仕入れた』って質問だが、俺はあの本を仕入れてない」
「おっしゃっている意味がわかりません」
「あの棚には本来商品を置いてない。あの棚にあった本はどこからも仕入れていない」
「どういうことですか?」
「つまりな、あの棚に積まれた本はどこからともなく現れるんだよ」
折葉は男の物言いが不気味で身震いした。
「そんな馬鹿な」
「ことの始まりは数十年前、この店ができたばかりのころだ」
男はこの店の不可思議な来歴を語って聞かせた。
この店の先代店主の妻はアマチュアの小説書きだった。
先代の店主は妻の小説家としての才能を信じ、店で一番目立つあの棚を、開店以来ずっと妻のデビュー作のために空けていた。
だが、妻の小説は様々な新人賞に応募するも入賞することはなく、妻は若くして癌にかかって亡くなってしまった。
そして、先代店主が遺品を整理していたところ、妻が死ぬ間際に書き上げていた遺作が見つかった。
先代店主は供養のつもりでその小説をとある新人賞に送った。
そうしたらなんとその小説は大賞を受賞してしまった。
先代店主は悔やんだ。
せめてもっと早く妻が生きている間に受賞するとわかっていればと。
先代店主は妻が死んだあとも供養のつもりで、その棚を空けておいた。
そんなある日、突然その棚に見知らぬ本が平積みされていた。
誰かのいたずらだと怒った先代店主はその本を全て処分した。
しかし、処分しても処分しても、翌日には必ず本は平積みされていた。
先代店主が処分するのを諦めたころ、ある客が怒鳴り込んできた。
『あの本をどこで仕入れた!?あの本の内容は私の未発表作品だ!!』と。
先代店主は、その客に事情を話した。
突拍子もない話なので、その客も最初は信じなかったが、先代店主の真剣な様子に最後には話を信じて帰って行った。
その1ヶ月後、その客の作品は新人賞で大賞を受賞して商業出版されることになった。
その本の発売日、この店のあの棚に積まれていた本は忽然と姿を消した。
発売された小説はあれよあれよという間にベストセラーになった。
それからこの店では同じようなことが1-2年に一度起こるようになった。
そして10年ほど前、先代店主は病を患ったのをきっかけに今の店主に店を譲ったのだという。
ただ一つ、あの棚を必ず空けておくという条件で……
「夢と未来書店……」
話を聞き終わったあと、折葉はぽつりと呟いた。
「思い出しました。アマチュア小説家の間の都市伝説。とある書店の空白の棚に本が並んだ作家はその後必ず商業デビューできると。まさか、本当にあるなんて…」
「必ず、じゃないよ」
「え?」
「本が現れた作家には何パターンかある。その中で本が現れたときに自費出版するか悩んでいた者。さらにその中で、自費出版に踏み切った者と踏み切らなかった者。踏み切った者は自費出版をきっかけにブレイクして成功を手に入れた。が、自費出版に踏み切らなかった者は、その後作家として日の目を見ていない」
「なっ!?」
折葉は驚愕の声をあげた。
「客の事情を詮索するつもりはないが、もし、あそこに現れた本が本当にあんたが書いたもので、もし、自費出版するかどうかで悩んでるんだったら、踏み切ったほうがいい」
折葉は店主のその言葉を聞き、怒って立ち上がった。
「馬鹿な!?ここで自費出版しなかったら、小説家として一生日の目を見れないって言うんですか?」
「俺は本屋だ。小説家じゃない。だから、商業作家になれるかどうかなんてわかるはずがない」
店主はそう言ったあと、一際大きく煙草を吸い込んで吐いた。
「だが、目の前にチャンスがぶら下がってるのに挑戦しないようなヤツに成功なんか訪れない……そういうことなんじゃないのかい?」
店主が吐いた煙は、狭いバックヤードに煙草の匂いだけを残して空中に消えていった。
折葉は、その消えていく煙をただ黙って見ていることしかできなかった。
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