夢と未来書店

阿々 亜

夢と未来書店1

 折葉圭司おれは けいじは悩んでいた。

 商業作家になるという夢があり、カクヨムで7年ほど小説を投稿しているが、日の目を見ず現在に至る。

 このまま商業デビューが叶わないならば、いっそ自費出版してでも自分の本を世に出したいと考え始めていた。


「いかがですか、折葉先生?うちが他社に比べて格安だということはご理解いただけたでしょう?」


 目の前に座る男が満面の営業スマイルでそう言った。


 場所は都内某所の喫茶店。

 目の前に座る男はとあるマイナー出版社の自費出版部門の編集者で、名前を渡口わたりぐちといった。


「うーん、たしかにそうですが、しかし、最低一万部というのはいくらなんでも……」


 渡口の提示した自費出版の費用は格安だった。

 だが、最低発行部数が1万部だったのだ。


「この業界の相場は、1000冊100万~200万円。当社は最低発行部数を1万冊に設定することで、1万冊800万、1冊あたり800円という驚きの低価格を実現しています」


 そう言って渡口は電卓をたたいて、最後に出た800という数字を折葉に見せる。


「しかし、ということは定価を800円以上にしないと赤字ってことじゃないですか?僕みたいな無名の作家の本を定価800円だなんて」


「残念ながら無名だからこそです。販売にあたっては当社のコネクションを最大限に活用してマーケティングを行うわけですが、それにもそれなりにコストはかかりますし、さらに全国に流通させるとなるもっとコストがかかります。無名の作家様のご本を全国展開するとなると、このあたりがギリギリの価格なのです」


「そこら辺も理解はしていますが、しかし、実際問題売れないんじゃどうにも……」


「折葉先生の作品は本来もっとたくさんの読者に読まれるはずなのです。先生の作品に足りないのは潜在的読者への露出です。先生の本が日本中の書店に並べば、ほどなく読者が読者を呼び、1万冊なんてすぐに売り切れます。1万冊の実績さえあれば、私も自信をもって商業展開を上層部に掛け合うことができます」


 渡口は立て板に水が流れるようにまくし立てた。


 が、折葉は腕を組んで下を向いて唸る一方だった。


「まあ、一世一代の大勝負です。慌てずゆっくりとご検討ください」


 渡口はそう言って立ち上がった。


「すみません、次の方とのお約束の時間が迫っているので」


「あ、僕も本業のほうに戻らなければいけないので、出ます」


 折葉も慌てて立ち上がり、二人は喫茶店を出た。




「あ、そうだ」


 店の前に出た後、渡口は懐に手を入れた。


「これ、よろしかったらどうぞ」


 渡口が取り出したのは図書券だった。


「初めてのお取引の先生にはお渡しすることになっているのです。まあ、粗品と思っていただければ」


「いや、でも、僕はまだ……」


「お気になさらず、どうせ経費ですから。ちょうどほら、向かいのあの本屋さん、あそこちょっと変わった店で、最新のメジャー作品じゃなくて昔の本や自費出版本とかマイナーな本ばっかり置いてるんですよ」


 渡口はそう言って、道路を挟んで向かいの本屋を指し示した。


 折葉はまだ渋っていたが、渡口は折葉の手を引っ張って横断歩道を渡った。

 そして、店の前で図書券を無理やり折葉のスーツのポケットにつっこんだ。


「気が引けるなら、うちの会社が出してる本を買ってください。そしたら一周回ってフィフティフィフティです」


 渡口はそう言い残して、そそくさと去っていった。


「はあ」


 折葉はため息をついて、書店のほうを見た。


 古くて小さい店だ。

 建物はおそらく築30年以上は経っているだろう。

 電子書籍とネット通販全盛のこの時代、もう絶滅危惧種と言ってもいい存在だ。


 店の入り口の真上の看板には「夢と未来書店」と書かれていた。


 折葉は渋々店に入って、店内を見回した。

 渡口の言う通り、最新の人気作などはなく、見慣れない本ばかりだった。

 店の奥のカウンターには、60歳くらいの偏屈そうな男性が座っていた。

 小さい店なので、おそらく店主なのだろう。


 絵にかいたような昔の本屋だな……


 折葉は逆に感心して、店の中をゆっくりと見て回った。

 よくよく見ると、自分が学生だったころに読んでいたような本が所々に並んでいた。

 そして、この店に入ってきたときからずっと感じていたこの匂い。


 昔の本屋の匂いだ……


 そうこうしているうちに、折葉は店を一周していた。

 が、そこで、入り口の入ってすぐの目立つところに、ある本が平積みにされていることに気付いた。


 折葉はその本のタイトルを見て、驚いた素振りでその本に飛びついた。


 その本のタイトルは『地方公務員異世界日報』と記されていた。


 折葉にとって、そのタイトルは他のどの小説よりも馴染みのあるものだった。


 そのタイトルは、折葉の代表作と全く同じタイトルだった。


 折葉は慌てた手つきでページをめくって中身を確認した。


 一言一句違わず折葉の書いた作品だった。


 折葉は大急ぎで懐から携帯を取り出し、渡口に電話をかけた。


「渡口さん、僕です!折葉です!おたくの会社、まだ契約もしてないのに、もう僕の本を出したんですか!?」


『突然何を言ってるんですか?そんなことするはずないじゃないですか?』


「さっきの書店に、僕の書いた本が並んでたんですよ!!」


『え、そんな……昔、折葉先生がよその出版社で出したとかじゃないんですか?』


「そんなことはありません!!同人も、自費出版も、商業も含めて僕の書いた小説が本になったことはありません!!」


『そうは言っても、少なくとも僕は勝手に先生の本を出すなんてことはしてませんよ。あ、すみません、次の約束の先生が来ちゃいました!折葉先生、その話はまた今度に』


 通話はそこでブツリと切れた。


 折葉は携帯を持った手をだらんとおろした。

 そして、その得たいのしれない平積みの本を呆然とした様子で眺めながら呟いた。


「この本はいったい……」



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