本屋と先輩(KAC20231)
都鳥
本屋と先輩
「わざわざ本屋なんか、寄らなくてもいいのに」
つい、口をついて出た。
旅行情報誌なんて別に買わなくたっていいだろう。最新の情報はネットで常に手に入るし、なんなら口コミも載っている。
「いいじゃない。読みたいんだから」
そう言って、彼女が俺の腕をつかんで引き寄せる。俺の腕が、彼女の胸に当たった。
「あ…… ああ」
彼女は無意識なんだろうが、その柔らかい感触に…… いや違う。おねだりに負けた。
今日のデートのメインは水族館だった。イルカの曲芸に目を輝かせていた彼女に、地方の水族館の話をしたらその話に食いついて来た。
仕事で遠出をする事はあっても、友人と旅行を楽しんだ経験があまりないと言う彼女に、つい「一緒に行かないか?」なんて、言ってしまった。
しまった…… いくら恋人同士になれたと言っても、まだ付き合い始めたばかりだろう?
それなのに二人で……しかも泊りで旅行だなんて、飛ばし過ぎじゃないか。警戒されても仕方ないと、そう思ったのに……
俺の心の動揺に反して、彼女は乗り気だった。
彼女は同じ職場の先輩で、美人なだけでなくバリバリに仕事も出来る。
憧れだった彼女と、こうして恋人同士になったというのに、情けない俺はいまいちカッコいいところも見せられていないし、リードも取れずにいる。
今日は水族館の後はどうしようか。早めに夕飯にして……
その後なら、俺の部屋に誘えるだろうか。どうやって誘ったらいいんだろう。
そんな事を考えていたのに、まさかここで本屋に寄る事になるとは思わなかった。
まあでも、旅行を楽しみにしてニコニコとしている彼女は可愛いし、俺だってもちろん旅行は楽しみだ。色んな意味で。
そんな事を思いながら、彼女と一緒に旅行雑誌の並べてある棚の前に立つ。
てっきり水族館の本でも買うのかと思ったら、彼女が手にしたのは『全国温泉特集』だった。
「どうせなら、温泉も行きたいよねぇ」
そう言って、本を手ににっこりと俺に笑いかけてくる。
俺の頭の中には、見たこともない彼女の入浴シーンが、その笑顔で浮かんでいる。
「温泉、嫌い?」
「い、いや。好きだ。お、温泉もいいよな」
ここで好きじゃない、だなんて言える男はいないだろう。
結局、温泉の本だけでなく、水族館の本も買って本屋を出る。
「うふふー 楽しみだねー」
嬉しそうな彼女がとても可愛い。
しかし、すっかり時間をくっちまった。この後、どうやって部屋に……
「せっかくだから――」
ううむと頭を悩ませている俺の耳に、彼女の声が飛び込んできた。
「買った本、一緒に読みたいし。この後安藤くんちに行ってもいいかな?」
本屋と先輩(KAC20231) 都鳥 @Miyakodori
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