押し売り

R・S・ムスカリ

押し売り

「買って」


 本屋に来店して早々、彼女が一冊の本を持って詰め寄ってきた。

 いきなりなんだと思ったけど、彼女から次の言葉はなかった。


「……」

「……」


 僕の顔を見つめたまま、何も言ってくれない。

 ただ本を差し出したっきりだ。


「何の本なのこれ」


 もちろん返答はない。

 僕は仕方なくその本を受け取ることにした。


 それはポケットに入るくらいの小さな文庫本だった。

 ページ数は多くも少なくもなく、普通の厚みという感じ。

 表紙のタイトルには見覚えがあった。

 たしか主人公が行方不明になったヒロインを捜して、不思議体験をする作品だ。

 映画にもなって、テレビで話題になっていたな。


 でも、どうしてこれを買えって言うんだ?

 そもそも僕は漫画しか読まないから、小説なんて勧められても困る。

 小学校から中学にかけて、毎年同じクラスになってる彼女なら僕の趣味くらい知ってるはずだけど。


「買わせたいなら、せめて漫画にしてよ」

「買って」


 また言った。

 どうしてもこの文庫本を買わせたいらしい。


「なんでよ。僕の好みに合わないからいいよ」

「買って」


 理由も言えよ!

 学校でもめちゃくちゃ口数の少ない子だとは思ってたけど、まさか店番中も同じキャラを貫いているとは……。

 本人の性格を知らなきゃ塩対応だと思われるぞ。


「客を困らせるような真似するなよなー。押し売りなんてしてないで、普通に店番してなよ」

「買って」


 まだ言うか……。

 この子、親の経営する本屋だからってちょっと好き勝手し過ぎじゃないか?

 家の最寄りにある本屋だから――加えて、今日で閉店だって聞いたから――覗きに来たのに、こんな対応はないよな。

 ここまで意思疎通困難だと高校に入ってから浮くぞ。


「買って」


 詰め寄ってきた!

 いきなり近づいてくるから、驚いて後ろの本棚に背中をぶつけてしまった。

 衝撃で、棚からばらばらと本が落ちてきてしまう。

 ……僕が悪いんじゃないからな。


「……」


 彼女は無言で落ちた本を拾い始めた。

 そして、元の位置へと一冊ずつ戻していく。

 彼女はその作業の間にも、横目で僕の方をちらちら見てくる。

 買え~、買え~、という強い意思の込められた視線だ。


 その時、店の入り口から鈴の音が鳴った。

 お客さんが来店したらしい。

 狭い店だから、そういうのはすぐにわかる。


「買って」


 彼女はそっとつぶやくと、レジの方に戻っていった。


「……買ってって言われてもなぁ」


 まぁ明日からは春休みだし、小説というのも悪くはないかもしれない。

 僕はそう思いつつ、財布の中をチェックしてからレジへと向かった。


「せっかくだしこれ貰うよ」

「……」


 やっぱり無言。

 いくらになります~、くらいの仕事しろっての。

 そんなことを思いながら、なけなしの千円札を彼女に渡した。


 彼女は慣れた手つきでレジを打っていく。

 出てきたレシートと釣銭を手に、僕へと差し出してくる。

 受け皿に置かず直接手渡してくるものだから、一瞬戸惑ってしまった。


 僕はレシートと釣銭を財布に押し込んだ後、机の上に置かれていた本を取ろうと手を伸ばした。

 すると、僕が手に取る前に彼女が本を取り上げて、カバーを掛けてくれた。

 そして、最初と同じように両手で本を差し出してきた。


「あ……」


 彼女は微笑んでいた。

 思わず見惚れてしまった。


「ありがとう」


 本を受けとった際、つい口走ってしまった。

 なんで客がありがとうなんだ?

 普通、それは店員側が言う言葉なのに。


 彼女はにこにこ笑ったまま、何も言わない。

 僕は釣られて彼女に笑いかけると、本を鞄にしまって店を出た。





 ◇





 数日後。

 夕飯が済んだ後、僕は部屋で本を読んでいた。


 今まで小説は敬遠していたけど、実際に読んでみるとなかなか悪くない。

 活字で作られた世界が頭の中に広がっていくので、僕は自分の想像力も捨てたもんじゃないなと思いながら、物語を読み進めていた。


 そんな時。

 話が中盤に差し掛かったところで、ページの隙間からひらりと紙切れが落ちてきた。

 しおりかと思ったけど、それはノートの切れ端のようだった。

 ちょうど盛り上がるシーン――主人公が行方知れずの恋人を捜しに行こうと決意する山場――だったので、水を差されてなんだよと思った。


 床に落ちた紙切れを取り上げてみると、文字が書かれていた。

 何かと思って読んでみると――


 好きです


 ――僕はその言葉の意味を理解して、顔が真っ赤になった。





 ◇





 翌日。

 僕は朝一番で本屋を覗きに行ったけど、すでに閉店していた。

 あとで聞いたところ、彼女は卒業式から間もなくして家族で隣の県に引っ越したとのことだった。

 しかも、詳細な住所はわからない。


 一方的に好意を告げておいて、返答しようとしたらもういないなんて。

 最後まで意思疎通困難な奴だったな~と思った。

 ……いや。最後じゃないだろ。


 僕はポケットに入れていた本を取り出し、表紙を見て思い立った。

 この物語の主人公の気持ちがわかったような気がした。

 そして、僕にこの本を買わせた彼女の気持ちも。


「本当、意思疎通困難な奴!」


 僕はシャッターの閉まった店の前で、誰に言うでもなく独り言ちた。





 ◇





 春、僕は高校生になった。

 そして、高校生活が始まって間もなく訪れたゴールデンウィーク。

 僕は隣の県に向かう電車に揺られている。


 車内で誰もがスマホを覗く中、僕だけが本を開いていた。

 あれから本の続きは読んでいなかった。

 あの紙切れは、今もしおり代わりに本に挟まっている。


 彼女のいる町に着くまでたっぷりと時間はある。

 僕は小説の主人公がどんな旅路をたどるのか、他人事でない気持ちで読み進めていった。


 ……そうそう。

 彼女の親は引っ越し先でも本屋を開いているらしい。

 だからきっと、今日も彼女は店番をしていることだろう。

 僕が店に顔を出した時、今度は何を彼女に買わされるのか――





 ――それが楽しみでならない。









~おしまい~

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

押し売り R・S・ムスカリ @RNS_SZTK

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ