第一〇話 上陸
横須賀を出港後、太平洋を南下した「天陽丸」は関門海峡を抜けて長崎に入港し、そこで出国前の大規模整備と燃料・食料ほか消耗品の補給を実施した。
長崎では朝鮮での任務を軍艦「春日丸」に託して帰国していた「雲揚艦」が先に入港しており、「天陽丸」は「雲揚艦」幹部の表敬訪問を受けた。
山田と海野は両艦の幹部会食の際に末席で参加することとなったが、およそ和やかな雰囲気とはほど遠い会食であった。
「雲揚艦」の井上艦長が武勇を語って聞かせようとするのを、中島艦長はあからさまに無関心を示し、柳川砲術長もそれを止めようとはしなかった。「天陽丸」の幹部連の傲慢さに呆れたのか、井上艦長は話を途中で切り上げて席を立った。山田らにしてみればこれも相当に無礼な態度であったが、中島艦長以下もまったく意に介さず、幹部で最若年の砂浜航海長に「雲揚艦」の幹部連を舷門まで見送るように命じた。
かすかに顔をしかめた砂浜航海長だったが学生二人に同行を命じ、退席した井上艦長以下を追う。舷門ギリギリで追いついた三人が敬礼すると、井上艦長は閉口したまま答礼した。
砂浜航海長が端艇の発進準備を指揮している間、わずかな間が空いたときに井上艦長が海野と山田に声をかける。
「貴様らも大変だな、こんなフネに乗せられるとは」
鹿児島訛りのくだけた物言いに不意をうたれた二人は答えられない。しかし井上艦長はさらに続ける。
「まぁ中島さんも歳が歳だ。来年には降りるからこのボロ船も幾分マシにもなろうさ」
砂浜航海長の準備完了の合図に手を上げると、それで終わりだ、とばかりに井上艦長は二人に背を向けた。海野と山田は呆気にとられて動けなかった。
その年の暮に「天陽丸」は長崎を出港した。
長崎では現地での交渉のための通訳人を雇い入れ、海野と山田は即席の朝鮮語講義を受ける。通訳人も講義が専門ではないから、二人が指し示すものを朝鮮語で何というのかを教授し、簡単な定型文を教える程度だ。それでもないよりはずっとマシと二人は真剣に取り組んだ。
中島艦長を罵った「雲揚艦」井上艦長のことは、柳川砲術長にも砂浜航海長にも言えずにいた。伝えたところで詮無い話ではあろうが、隠し事をしているというのがどうにも引っかかったまま日が過ぎていく。
言い出す機会を見つけられないうちに「天陽丸」は釜山に着き、入港して「春日丸」と交代する。
交代直後に、山田と海野はそれぞれ別々に釜山に上陸するように中島艦長から命じられた。
「その目で外国を見てこい」とのことだった。
山田は主計兵とともに生鮮品の買い入れをすることを命じられ、海野は「春日丸」に陳情に訪れていた現地の日本人商人を保護することを命じられた。
いずれも形だけだが、指揮官の役を二人が執ることになる。
二人はその日は緊張で一睡もできないまま、上陸の朝を迎えた。
山田は、こじんまりとしているが活気の溢れる釜山の市場を主計兵とともに訪れた。見ればどこもかしこも金髪の外国人ばかり。黒い髪で小柄な二人は妙な居心地の悪さを感じていた。
そのうちの青果店らしき店に入ろうとすると、二人は店員に止められた。
苦々しげな表情で早口でまくし立てる男の言っていることはよくわからない。海野の方に通訳がついていくということになったのは厄介だった。かろうじてここが白人専売で商いをしているというのが言葉から読み取れる。
終いには棒を持ち出して二人を打ち払おうとしたのを、あわてて山田は調達予算として渡された一ドル札を一〇枚ほど財布から掴みだすと、店員に見せながら言う。
「大根・人参・白菜ほしい」
慣れぬ朝鮮語の単語を並べてなんとか意思疎通を図ろうとする山田を蔑むように見上げていた店員は、ドル札を一瞥すると踵を返して店の奥へ入っていった。
次いで店の奥からでてきたのは店員によく似た男。
完全に禿げ上がった禿頭を除けば、店員よりさほど年を取っていると思えず、年齢をあまり感じさせない男だった。
山田の手から一枚、一ドル札を一枚受け取ると、矯めつ眇めつ、たしかに本物であることを確認する。やがて急に目尻を下げると、ニヤニヤと笑みを浮かべながら山田らを店の奥へと引き入れ、あれこれと話しかけてくる。
態度の急変に驚く山田であったが、主計兵はそれを意に介することなく目当ての品を次々に指さしては背負っていた籠の中に収めていく。所要のものは買い終えた後に少し予算が余ったので、きっちり八ドル分の会計になるように細々とした野菜を購入した。
会計を済ませて店を出ると、主計兵は籠の一番上においてあった少し萎びたリンゴを取り出して、山田に断りを入れて齧りついた。
「その、いつもああなのか」
しなびた部分を噛みちぎって吐き捨てた主計兵に、山田は尋ねた。
「そうです。およそいつもあの調子です。けと……アメリカ人やイギリス人にはヘコヘコしていますが、オレたちのことは同じ朝鮮人だと思ってまずは追い払おうとします」
「貴様もオレも制服を着ているではないか。それが分からんのか」
「分からんのですよ。青い目じゃない、紅毛じゃない。それだけでコロッと変わります」
「それにしたって酷いだろう。まるで犬猫の扱いだぞ。
同胞と誤解したにしてはあまりの扱いではないか」
主計兵はリンゴをかじるのを止めて、まじまじと山田を見た。
「連中、いつもあんなもんですよ?」
何を言っているのだ、という表情を隠さずに主計兵は答える。
山田には信じられない。互いにそれで喧嘩沙汰にならないのがおかしいと思う。
海野は苦労するだろうな。
主計兵が投げ捨てたリンゴの芯を拾った子供が一目散に駆け出すのから目を背けながら、これが外国かと噛み締めていた。
三景艦征戦録 *中断しています。* 眞壁 暁大 @afumai
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