地球最後の本屋さん

いおにあ

地球最後の本屋さん

 学校が終わり、ひかるさんの本屋さんへ行く。いらっしゃーい、とひかるさんは気さくにあいさつをしてくる。


「なにか新しいのないかな、ひかるさん?」

 ぼくの質問に答える代わりに、ひかるさんはおっとりとした動きで本棚を探る。ひかるさんがこの動作をしたとき、それは新しい本が入っているということだ。やった、とぼくは心の内で喜ぶ。


「これなんかどうかしら?」

 ひかるさんは一冊の本をぼくに手渡してくる。印刷したばかりの、新しい紙の匂い。ぎゅっと目をつむり、大きく息を吸って、ぼくはその大好きな匂いを脳の隅々にまで染み渡らせる。


 ゆっくりと目を開けて、表紙に印刷された文字をあらためて読んでみる。そこには次のような文字が並んでいた。


『はてしない物語』


「どんな本?」

 ぼくは尋ねる。

「本と物語についての本よ」

 ひかるさんは返事をする。謎めいた返事にぼくは想像を膨らませる。


 ひかるさんが本の内容について返答をするときは、いつもこうだ。具体的なあらすじや内容には一切触れず、読んでいないぼくを煙に巻くような紹介をしてくる。


 そんなぼくが、あーでもないこーでもないと本の中身を想像する姿を眺めるのが、きっと好きなのだろう。


 ぼくは、そこそこ大きな『はてしない物語』をひかるさんに差し出して、財布を取り出す。


「これ、ください」

 ひかるさんは値段を口にして、ぼくはそれを払う。


 ぼくの買った『はてしない物語』は、綺麗な袋に包まれて手渡される。

「はい、ありがとう。地球最後の読み手さん」

 ひかるさんは微かに嬉しそうな表情をして、そう言う。


「こちらこそありがとうございます、地球最後の本屋さん」

 ぼくはそう返す。

 


 それからぼくは、成長してからもずっと、ひかるさんの地球最後の本屋さんに通い続けた。


 あるとき、ひかるさんに質問したことがある。

「ひかるさん、どうしてひかるさんの本屋さんは地球最後なんですか?」

 

よく考えたら、不思議だ。


 ひかるさんは、うーん・・・・・・と唸り、しばらく考えた後に答えてくれる。

「昔はね、本屋って沢山あったのよね」

「うん、それはなんとなく知っている」

 本を通して得た知識で知っている。


「それが、あるときから段々とこの地球上から減っていってね。特に“イマジナー”が普及して以後、ほとんど誰も本を読まなくなってきたからかな」

 確かに、それはわかる。


 “イマジナー”は、小さな懐中電灯みたいな形をした機械だ。握って、念じると、自分が頭の中で思い浮かべたイメージを、映像として投影してくれる。


「あの“イマジナー”が世界的に普及してから、人類全体が、言語を介したコミュニケーションを段々としなくなっていたの。いえ、必要最低限のことは言葉で伝え合うけれど、あまり複雑な会話はしなくなってきたのよね」


 それもまた理解できる。“イマジナー”を使えば、心の中の気持ち、例えば怒り、笑い、悲しみ、憎しみ、快楽、その他どんな感情も視覚的なイメージに一瞬で変換することができる。


「じゃあどうして、ひかるさんは本屋さんなんてしているの?」

 ぼくは素朴な疑問を口にする。


 ひかるさんは、嬉しいような困ったような顔をする。

「そうねえ・・・・・・言葉でしか見えない世界があるから、かしら」


 言葉でしか見えない世界。ひかるさんの発したその言葉を、心の中で何度も反芻する。


「正直、よく分かりません」

「うんうん。それでいいのよ」

 ひかるさんはにっこりと微笑んでくれる。



 それから更に長い月日が流れた。ぼくは立派な大人になった。いや、立派ではないかもしれないが、少なくとも身体的には大人になった。


 ぼくは相変わらず本屋に通い続けている。


 ある日のこと、ひかるさんから唐突に言われた。

「ねえ、君はさ。自分の本屋を持ちたいと思わない?」

「え」

 一瞬、なにをいっているか分からなくなる。 ぼくが?本屋を?


「どう、悪くない話だと思うけど」

「でも、ぼくは何も知りませんよ。本屋さんの仕事なんか」

 ただ買って、持って帰って、読むだけしかしてこなかったのだ。本屋さんなんて出来る気がしない。


「あら、それは大丈夫よ。大体のことは自動で片付くし。あなたはただ、オンラインの全地球図書館から、お気に入りの本のデータをダウンロードして、自分の好みに製本して、本屋に置いておくだけでいいんだから。ね、簡単でしょ?」


 簡単かなあ。それすらも難しい気がするけれど。


 ひかるさんは、なおもぼくの説得を続ける。

「ねえ、いいじゃない。君が新しく本屋をしてくれれば、わたしは地球最後の本屋さんじゃなくなるし」

「そしたら、ぼくが地球最後の本屋さんになってしまう」

「いいじゃん。そのときはまたあなたが、誰かに新しい本屋さんを作らせればいいのよ。そしたら、あなたも地球最後じゃなくなる」

 ああいえばこう言う。


 でも結局、ぼくは本屋さんを始めることになった。


 

 それから更に時が流れた。結局ぼくは、地球最後の本屋さんにはならず、また次の世代が本屋を始めてくれた。お客さんも、少しずつだけれど増えていった。


 ひかるさんのいっていた「言葉でしか見えない世界」を見たい人は、結構多かった

みたいだ。

 


 今日も一人、ぼくの本屋――地球最後でも最初でもない――にお客さんが来る。学校帰りの男の子だ。


 すっかりいい歳になったぼくは、いらっしゃーいと挨拶をする。男の子はぼくに向かって言ってくる。

「ねえおじさん。なにか新しい本、入っていない?」

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