80億の本屋

ここのえ九護

ある本屋の日常


 やあ、いらっしゃい。

 久しぶりだね。君がこの店に来るなんて珍しいじゃないか。


 最後に君が僕の本屋に来てくれたのはいつだったかな?

 もうずいぶんと前のことだった気がするね。

 こうしてまた君に会えて嬉しいよ。


 それで、今日は暇つぶし?

 それとも気晴らしかい?


 ――お前には関係ないだろうって?


 ごめんごめん、気を悪くしたのなら謝るよ。

 久しぶりのお客さんが君だったから、僕も嬉しくてね。


 まあ、ゆっくりしていってよ。

 これでも品揃えには自信があるんだ。

 きっと君が読みたいと思う本があるはずさ。


 ――え? 特に読みたい本なんてないって?


 じゃあなんでここに来たのさ?

 まったく……そんな今にも死にそうなひどい顔をして。

 外で何があったのかは知らないけど、君がここに来るときはいつもそうだね。

 

 まずは一度深呼吸でもして、リラックスしてごらん。

 この本屋には、君を傷つけるものは何もない。

 あるのは数え切れない物語だけだ。

 

 一人じゃ探せないっていうのなら、僕も手伝ってあげるよ。

 今はお客さんも君しかいないからね。

 

 ――どうして君に構うのかって?


 君とももう長い付き合いだからね。

 そんなしょぼくれた顔を見せられたら、ほっとけないよ。


 でも、そうだね。

 もし君が僕に感謝してくれるっていうのなら、これからはもう少し顔を出してくれると嬉しいんだけど。


 ――考えておく?


 ふふ、ありがとう。楽しみにしてるよ。


 さて……それじゃあ、今の君でも楽しめそうな本を探そうか。

 そうだね……そっちの棚に置いてある本なんてどうだい?

 

 ほら、その本だよ。

 実はその本、この前入ったばかりの新書でね。

 それなら〝今の君〟にぴったりだと思うんだ。


 おや?

 どうしてそんな驚いた顔をしているんだい?


 ――この本には何も書いてない。白紙じゃないか?


 ふぅ……もしかして君、この店に来るのが久しぶりすぎて、そんなことまで忘れちゃったのかい?


 この店で売られている本は、どれも白紙だよ。

 そして、だからこそ〝君はここに来た〟んだろう?


 さあ、思い出してごらん。

 

 君が本当に見たかった景色。

 君がずっと思い描いていた夢。

 君の傷ついた心の奥で、今もくすぶっている願い。


 甘く切ない恋物語も。

 恐るべき闇を覗く怪奇談も。

 明日をも知れない旅を続ける冒険譚も。

 

 どんな物語も、君の思いのまま。


 君はいつ、どこにいたって、この本屋に来ればすぐに君だけの物語を手に入れることが出来るんだ。


 さあ……君はここで、どんな本をお求めかな?


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