勇者に愛をこめて

exa(疋田あたる)

第1話

 通路を歩き去る客を横目に、こっそり伸びをした。


(閉店作業まであと一時間か)


 時刻は夜九時、大型商業施設のすみにおさまる小さな本屋に客はいない。パートのおばちゃんは客の多い夕方までの勤務で引き上げて、店には学生バイトの自分ひとり。


(やることはいくらでもあるけど、この時間はどうしても気が緩むな)


 あくびをかみ殺したところで、ふと視線を感じて顔をあげると、陳列された雑誌の向こうに客がひとり。こちらが顔をあげると同時、慌てて視線を逸らされた。けれど立ち去りはしない。


(立ち読みか、万引きか?)


 一箇所に立ち尽くし、顔をあげかけてはまた下を向く。

 不審な挙動を視界の端にとらえて、どうするべきかと考える。

 

 通路に面した雑誌コーナーは、立ち読みの温床だ。

 舐めた指でページをめくる、気になる情報の載った箇所を写真におさめると、やりたい放題する人間の気が知れない。


 売り物と自分の物の区別もつかないとは、嘆かわしいことこの上ない。


(近くに行って牽制するか)


 不逞の輩、ゆるすまじ。最終兵器、はたきを手に取ろうとしたとき、相手が先に動いた。


「あああああああの! これ、くださぃ……」


 雑誌コーナーからレジまで、駆け込むようにしてやってきたのは、おそらく高校生だろう少年。

 深くうつむき、裏返しの雑誌とともに差し出したのは、税込み販売価格ぴったりの現金。


 不審だ。

 挙動といい、裏返ったうえに尻すぼみの声といい、露骨に不審だ。

 が、唯一見える耳を真っ赤に染めた彼のその手にある雑誌に目をやり、浮かんだのは心からの笑顔。


「いらっしゃいませ〜。(むちむち巨乳パラダイスお買い上げ)ありがとうございます〜」


 紙袋に入った雑誌を胸に抱え、脱兎のごとく帰って行った少年を見送る自分の顔には、慈愛すら浮かんでいたかもしれない。


「励めよ、少年」


 閉店時間まであと少し。眠気は吹き飛び、暖かいものが胸を満たしていた。

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勇者に愛をこめて exa(疋田あたる) @exa34507319

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