坊ちゃん

 足が治ったあと、キヨシは畑からじゃがいもを収穫してくることをマージに命じられた。しかし、キヨシが「じゃがいも」を知らない、と言うと、マージは黙ってキヨシを畑へ連れていった。

 畑は、マージ1人のためだけの畑にしては大きい。家のすぐ側に小麦畑があり、その先にいくつかの野菜が植えてある。じゃがいもの葉はもうしっかり黄色く枯れかけていた。それが収穫時期の合図だとマージは言った。

「良いかい、まずは植わってるじゃがいもの茎の束を作るんだ。そしたら、ゆっくりと引き抜く。……ほら、これだ」

 実演しマージが茎に沢山付いたじゃがいもを見せると、キヨシは呆気に取られたように頷いた。

(不思議だね。10代のうちに宇宙船に乗りこんだとは聞いていたが、蜜柑があるのにじゃがいもがないのか)

 じゃがいもに限らず、芋という種類は厳しい環境に強い。終末期の地球がどんな世界だったか知らないが、蜜柑が残っているならじゃがいもも残っているはずだった。しかし、本人に聞くことは出来ない。聞くことは、地球が滅んでいることを知らせるようなものだった。

 マージにはキヨシが地球滅亡を知っているのか知らないのか、実は分かっていない。とはいえ、向こうから口を出さない以上、隠しておくことに決めた。自分でも不思議だったが、マージはキヨシが来て久しく感じていなかった楽しさを思い出していたのだ。この生活を壊してしまいたくはなかった。言うにしても宇宙船が直ってからだ。人の体に比べて精密機械は直すのに時間がかかる。

「じゃがいもってのは根っこから簡単に取れるんで楽なんだけどね、土の中にも残ってしまって困るんだ。1回抜くことに土の中を掘り返して、……ほら、沢山あるだろう。掘らなきゃ土の中に残っちまうんだ。もったいないからね」

 マージが取ったじゃがいもの数はもう3日分程も取れていたが、マージはキヨシにやらせてみることにした。キヨシは幼児のように目を輝かせながら茎の束をゆっくりと抜いていく。そして、マージよりも沢山の、そして大きなじゃがいもを見て嬉しそうな顔をして笑った。

「さて、夕食を作るから、あんた、その間本でも読んでな。そうだね……『坊ちゃん』とかどうだい。面白いよ」

「『坊ちゃん』」キヨシは繰り返した。

「夏目漱石も読みやすいからね。ただ結構長いから、深く考えずに読んでみな。その前に、台所にじゃがいもを持ってくんのだけ手伝っておくれ」

 じゃがいもは既に1週間は食べられるほど沢山取れていたのだった。


 じゃがいもの土を取り、緑がかったものを取り除く。毒が多いので食べられたものでは無い。肥料になるので、他の生ゴミと一緒に畑の端に掘った穴に放り込んでおく。

 皮を剥き、蒸し器に入れた。こうするとじゃがいもの味が出る。溶けきってしまう煮物以外は、その後どんな工程をするにしても、マージはこうするのが好きだった。

 これなら間違いなかろう、とカレーを作ると、途中まで「坊ちゃん」を読んでいたキヨシはもう机に座っていた。マージが笑うと、「美味しい匂いが漂ってきまして」と対して弁明になっていない言い訳をする。そんなことよりも早く食べたいと言った表情だ。

「いただきます」

 キヨシは1口カレーを口に入れると、キュッと目を閉じた。数秒舌で堪能した後、「美味しい!」 と叫んだ。

「じゃがいもってこれかあ!」

 思い出したように呟いてから、ガツガツと食べ始めるキヨシに少し複雑な感情を抱きながら、マージも食べ始めた。マージ特製のスパイスは、荒々しく強引に美味しく感じるようなワイルドな調合をしてあった。2日目はもっとマイルドに柔らかくなる。それを食べたキヨシの反応が見たいと思いながら、マージは気になっていたことを思わず口にしてしまった。

「じゃがいもは食べたこと無かったのかい?」

「いえ、食べたことありました。調理されてない状態のじゃがいもを見たことはなかったですが」

 曰く、地球では全自動調理器が全てやってくれていたんだそうだ。そして、宇宙に出てからは宇宙食しか食べていないと言う。だから、キヨシにとってじゃがいもは既に何等分かに切られているものか、潰されて流動形になったものしか知らなかったという。蜜柑は地球でもそのまま食べていたから知っていたんだそうだ。考えてみれば当たり前だ。

「だから初日にマージさんが料理し始めたのを見てびっくりしたんですよ。今まで料理する人なんて見た事ないから」

「あたしはこれが好きだからね。機械なんぞの完璧な料理より、自分で作るのがいちばん美味いのさ。歳食ったら分かるよ」

 マージが呟くように言うと、「人に作ってもらったものの美味しさなら教えてもらいました」とキヨシは笑った。

「そりゃああたしも知らないね。どうだい、今度教えてくれないかい?」

「ぜひ作らせてください。でもちゃんと教えてくださいね?」

「二度手間だねぇ」

 そんなことを言いながらマージも笑った。


「さてと、蜜柑でも食べるかい?」

「はい! いただきます」

 一通り食べ終わってからマージは席を立った。随分いい気持ちだ。酒でも飲んだようだ。マージはもう酒を飲んでいないが、昔はよく飲んでいた。

「あ、マージさん、聞きたいことがあったんですけど」

「なんだい?」

 マージは振り返った。

「どうして、ここに居るのですか?」

「どうしてって、この間話した通り――」

「そうじゃなくて」

 キヨシは話を遮って言った。異様な雰囲気が家の中を立ち込めていた。

「僕は、長い間宇宙船に乗ってここに来ました。それも、当時の中でも最先端の。つまり、僕の――」

「それより」

 今度はマージが遮った。背中にびっしょりと汗をかいていた。

「檸檬もあるんだ。食べるかい?」

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