その本屋は無くなってしまった。
ちわみろく
第1話
鍵っ子という言葉をご存知だろうか。
学校から自宅へ返っても家族が誰もおらず、鍵をランドセルの中に入れて登校する児童をさしている言葉だったと思う。
わたしも例にもれずその鍵っ子だった。ただし、毎日ではない。
時々おばあちゃんが自宅の縁側に座って、わたしの帰りを待っていてくれる日が週に何度かあったからだ。
おばあちゃんは、その年代の女性としてはかなりのインテリだったそうで。齢75にして、百人一首を全て諳んじることが出来たし、学校の宿題でわからないところは全部教えてくれた。九九はおばあちゃんに教えてもらったのだ。
ただ、おばあちゃんはうちの縁側にいない時は病院へ行っていた。入院しているおじいちゃんのところへ行っていたのだ。わたしは入院しているおじいちゃんとは二度か三度くらいしか会ったことがなかったので余り覚えていない。
おじいちゃんの容態が悪化した時など、おばあちゃんは週のほとんど縁側にいなくなったりした。そんな時は、ランドセルの中から鍵を取り出して自宅へ入る。そして一目散に縁側に面する和室へ飛び込み、箪笥の引き出しを覗きこんだ。そこには必ず僅かな小銭と図書券が入っていた。わたしが退屈しないようにとの、おばあちゃんの配慮だったのかもしれない。
共働きの両親と、年の離れた高校生の姉は、夜にならないと自宅に帰ってこない。
わたしは、図書券と小銭を握りしめ、自宅から一番近い本屋へ出かけた。
本屋と言っても、古本屋だ。
ただ、小学生のわたしには普通の本屋の基準がよくわからなかったので、当時はその本屋が普通の本屋だと思っていた。
店先に置いている週刊誌や雑誌は新しいもので、入口付近には駄菓子を置いている、そんな古本屋。
初めてそこに行った時、わたしは図鑑を買った。
店主は、自分のめったに合わない祖父もかくやというくらいの年配者で、なんとも偏屈そうな怖いおじいさんだった。お会計の時に図書券を差し出したら、
「うちでは図書券は使えないよ。現金だけだ。」
と言って、断られた。
しかし、わたしが洋服の左胸に付けていた名札を見るなり、ため息をついて。
「・・・特別だ。いいよ、買っていきな。今、お釣りが出るからな。」
「ありがとう。」
「お前さんだけだぞ。他のひとにしゃべるなよ。」
「はい。」
偏屈そうで怖いおじいさんは、一度として愛想笑いを浮かべることはなかったけれど、わたしがこの本屋で買い物をする時には、いつも駄菓子を一つおまけしてくれた。
そのおかげか、わたしは本が大好きな子供だった。
図鑑を読み、伝記を読み、児童文学や小説を読み、様々な本を読んだ。読書に没頭することで、日常の嫌なことや辛いことを忘れられることも知った。
古本屋で買ってきた本を読みながら縁側で眠ってしまい、夜になって帰宅した家族に大捜索されたこともあった。
おばあちゃんがいてくれる時は、おばあちゃんの傍らで。
いない時も、同じ縁側で。
わたしは本屋で買ってきた本と駄菓子を楽しんだ。
やがて中学生になると、部活が始まって帰宅時間が遅くなった。
おばあちゃんは縁側ではなく和室でわたしにおかえりと言うようになった。
箪笥の引き出しを覗き込むこともない。いつしかあの本屋への足も遠のいた。
小学生の足で徒歩で15分ほどのその店は、大通りから少し入った、目立たない場所に有ったから、いつのまにかその存在を意識しなくなっていったのかも知れない。
中学二年生の時に、おじいちゃんが亡くなった。
そしてその翌年には、後を追うようにおばあちゃんも亡くなってしまった。
お葬式にはたくさんの人が弔問に訪れた。わたしは、家族と一緒にお葬式に出たので、おじいちゃんもおばあちゃんもたくさんの人に惜しまれた人だったのだなぁと思った。
おばあちゃんのお葬式は寂しくて悲しくてたくさん泣いた。
中学の制服を着てべそべそしていたわたしは、おばあちゃんの棺の前で号泣する年配の男性がいることに気がついた。
すっかり頭髪もさびしくなったその男性に、見覚えが有った。
ひとしきり泣いた後にその年配の男性は涙をふいて遺族である私達家族に頭を下げて式場を出ていったけれど、わたしは思わず気になって母に聞いてしまった。
「さっきの人すごく泣いてたけど、お母さん知ってる?」
「よくは知らないけど、おばあちゃんの同級生だって言ってたわよ。」
「そうなのかぁ。・・・友達だったのかな。」
「そうかもね。」
お焼香の時に並んだあのおじいさんは、そう言えばじっとわたしの方を見ていた気がする。わたしがべそべそしていたからかと思っていたけれど。
お葬式が済んで49日が終わる頃には、わたしも部活を引退して早く帰宅するようになった。引退すると燃え尽き症候群のようになってしまい、急に受験勉強に専念するなんて無理だったから、しばらくはぼーと過ごしていたのだけれど。
ふと、思い出して、あの頃に通った本屋に行ってみたくなった。
おばあちゃんのくれた図書券と小銭でさんざん通ったあの店は、今もあるのだろうかと思い立った。今なら現金のお小遣いを持っているから堂々と買える。
自転車に乗って大通りを入って、あの本屋へ行くと。
そこには、更地となった空間が広がっていた。
本屋があったなんて、とても思い出せないくらいに、きれいに整地されて。
店先に並んでいた雑誌や、入口の駄菓子や、ちょっと暗い店内も、鮮明に記憶に残っているのに、そこには何もなくて。
自転車を路上に停めて立ち尽くす。
更地の前でぼんやりとそこを見つめていると、通りがかった人が声をかけてくれた。
「どうかしましたか?具合でも?」
やさしそうなおばさんが、エプロンの裾で手を拭いて買い物かごを持ち直す。
「あ、いえ・・・、ここに本屋があったと思ったのですが。」
「本屋、ああ一年前くらいまで古本屋があったわねぇ。店主のおじいさんが亡くなったのよ。」
「えっ」
「それで、去年建物ごと壊されて、更地になってね。もう半年くらいかしら。」
「・・・。」
「確か独身で、家族も遠縁しかいなかったから引き継ぐ人もいなかったみたいよ。今はここ売りに出されてるの。」
「そう、ですか。」
話をしてくれたおばさんに頭を下げて、わたしは自転車に再び跨った。
自宅へ走り出して、記憶を必死で呼び起こした。
おばあちゃんのお葬式にきてくれたあのおじいさんは、まさか。
怖い考えになってしまった。
想像したことはとても怖かったけど、でも、何故か、背筋がぞっとするような恐怖は感じなかった。
いや、もう考えないでおこう。
怖くなる考えはしない。それしかない。
わたしは頭をふって、その考えを追い出した。
受験生なんだから勉強しなくては。そう、勉強、勉強。
勉強に集中して、怖い考えを忘れよう。
考えるのが怖くて必死で勉強をしたせいなのか。
わたしは翌春、第一志望の高校へ合格した。
一応、心の底だけで。
ありがとう、と言った。
fin
その本屋は無くなってしまった。 ちわみろく @s470809b
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