異世界本屋
あんころまっくす
本屋
「なんだ、ここは」
それはある夜のことだった。ひとり宿を取り部屋の扉を開けた先にあったのはどこにでもありそうな安上がりな一室、ではなかった。
いや、そもそも宿屋のなかにこんな場所が存在するはずがない。
「これは……本、棚?」
薄明りを感じる廊下のような空間、回廊とでも言えばいいのだろうか。その両側に本棚が並んでいる。びっしりと本の詰まったそれは目を凝らしても判然としないほどの高さがあり、眼前の奥行きも暗がりに消えてしまいどれだけあるのかわからない。
そこに収まっているモノはどれも見たことがあるような、無いような、文字も読めるような、読めないような……そう、なにひとつはっきりと認識することが出来なかった。
もしかして魔王軍の攻撃か? 勇者を名乗る俺が侵攻する兵に打撃を与えたことはもう魔王軍の中枢へも伝わっているだろう。戦いは魔族と
行くべきか、引くべきか。
僅かばかりの逡巡を押し切って部屋のなかへ一歩を踏み出した。虎穴に入らずんばなんとやらだ。これから世界を救おうっていうのにこんなことで一々臆してどうする?
けれども特になにが起きるわけでもない。ここは相変わらず静かな、本だけが並ぶ空間のままだ。後ろの扉が消えるわけでもなく、振り返れば宿屋の廊下が見えている。
どうしたものかと迷っていると奥の暗がりから足音が響いてきた。
「やあやあ、ここを利用したいならまずは扉を閉めてくれまいか」
現れたのは袖の長い厚ぼったい服に身を包んだ女だった。小柄で垂れ目の童顔に鼈甲と思しき眼鏡、艶やかな黒髪は大雑把にひと括りにまとめられ、少女、と言う風体ではあれどふてぶてしい笑みを浮かべて彼女が続ける。
「ここは世界を問わない書物の殿堂だよ。その顔つき、キミは異世界転移者のようだね」
「わ、わかるのか?」
「わかるともさ。お客さんのなかでは一番多い手合いだからね」
「一番、多い?」
俺以外にもそんなに異世界転移者がいるのか? 会ったことがないが……。
戸惑う俺を眺めながら彼女は半ば嘲るように微笑む。
「扉、帰らないなら閉めてくれないかな」
「ああ、す、すまん」
反射的に扉を閉めると、扉そのものが消え去りその向こうにも無限に続きそうな本棚の回廊が現れた。
つまり、閉じ込められた。
思わず身構える俺を見て彼女がまた嗤う。
「そう心配せずとも私はキミの世界の情勢とは無関係だよ。キミに不利益を及ぼすこともない……今のところはね」
「詳しく聞いてもいいのか?」
「もちろん構わないとも。まあ奥へどうぞ」
そう言って彼女が歩き出すと、魔術かなにかだろうか。薄明りも彼女について移動し始める。ここで置いていかれると真っ暗闇になりかねない。俺は慌てて彼女の後ろを追う。
「ここは、そうだね。“異世界本屋”と言ったところかな」
「異世界、本屋?」
「そう、本屋。主に本を売っているよ。まあたまには買取りもやってるけどね」
「むしろ俺としては異世界の部分が気になるんだけど」
「それはこの空間自体がひとつの異世界だからだよ」
彼女はさほど早いわけでもない歩調をそれでも緩めることはなく横目に視線だけを寄越して笑う。
「キミが最終決戦魔術
「それだけって」
「それだけ、だよ」
俺を召喚した六王家の王女たちはその為に凄まじい労力を払ったと聞いているが……。けれども彼女はそれ以上俺の疑問に取り合うつもりはなさそうだ。
「さてせっかくのお客さんだ。この機会に一冊いかがかな?」
「いかが、と言われてもな」
目を凝らしたところで相変わらず文字は読めず具体的にはなにも認識できない。そこにあるように見えている本すら実は幻覚なんじゃないかと思うほどに。
「実はなにがあるのかよくわからないんだが。それに会計はどうしたらいいんだ?」
「なんでもあるよ」
「なんでも?」
「ああ、なんでもさ。あと会計は今いる世界の手持ちがあるならそれで構わないよ。価格はもちろんピンキリだけれども。っと、こっちへどうぞ」
気付けば回廊の真ん中に丸いティーテーブルと二脚の椅子があった。彼女がテーブルの向こうの椅子に腰掛けると、吸い寄せられるように俺も手前の椅子に腰掛ける。
「なにが欲しい?」
「なにが、かあ……魔王攻略本とか?」
「さっきも言ったけれども、なんでもあるよ。それも探せば見つかるかもしれない。ただ、そうだね。直接キミの冒険の役に立ちそうなモノはたぶんキミの持ち合わせでは払えないだろうね」
「ええ……?」
「世界に干渉するモノは高く付くんだよ。それ以外ではないのかい? それならそれで今日のところはお帰りいただいても、私は一向に構わないけれども」
「いや、ううん……」
どうだろうか。そもそも元の世界に居た頃だって俺は間違っても読書家でなんてなかった。せいぜい週刊誌の漫画を読むくらいで。
ああ……漫画……か……。
「例えばなんだけどさ、漫画、でもいいのか? わかるか? 漫画」
恐る恐る問う俺の言葉を聞いて、彼女は笑った。
にぃぃっと、三日月のように目元口元を歪めて。
「ああ、わかるとも。なにが欲しいのかな?」
「斬風忍伝MENMAの74巻……」
俺が元の世界に居た頃、その漫画は72巻までしか出ていなかった。けれども雑誌の連載を追っていたので73巻に収録されるであろう内容は既読。オマケ漫画やイラストは見られないけれども、それよりも続きが気になっていた。
当然、読む機会はもう永遠に失われたと思っていた。
まさか、その続きを読む機会が得られるのか? 期せずして真剣な眼差しで彼女を凝視してしまう。
彼女は暫し背を反らして回廊に敷き詰められた本棚に視線を巡らせたあと、すぐそばの棚に手を伸ばして一冊の本を抜き取った。
「……斬風忍伝MENMAの74巻ね。これだろう? なかなか良いところを突いてくるじゃないか」
目の前に置かれた本は見慣れたコミックスの大きさ、表紙は本誌掲載で出て来たばかりの新キャラが彩っている。その絵柄、ポーズ、ロゴ、効果の癖や配色まで……捏造したにしてもあまりにも出来過ぎていた。
「ほ、ホンモノ、なのか……?」
「本物だとも。もしキミが99巻とかを希望していたら見つからなかったかもしれないけど、キミの記憶と認知が74巻の存在を確信していたからね。探すのは簡単だったよ」
「記憶? 認知?」
「ここは本屋の概念、とでも言えばいいのかな。存在すると確信してるお客さんの求める商品は存在を確定しやすいから入手も簡単。逆に懐疑的なモノや確信の無いモノは入手が難しいんだ」
「もしかして冒険の役に立ちそうなモノが高く付くっていうのは」
「そう、キミがその存在を確信出来ないモノやそもそも実在が不確かなモノは私の手間が増えるからそうおいそれとは譲れない。というか単純に見つからない可能性も高い」
「なるほど……」
俺は改めてティーテーブルに置かれた斬風忍伝MENMAの74巻へ視線を向ける。
「もし可能なら……73巻も欲しいんだけど」
手に入るとなれば欲が出て来るのが人情だ。なんなら75巻も76巻も……手に入るだけ続きが欲しい。
けれどもそうは問屋が卸さなかった。いや、それこそ本屋が売ってくれなかったと言うべきか。
「ははは、可能だけど今日キミに譲れるのは一冊だけだよ」
「うーん、お厳しい」
彼女は笑い、俺も笑った。
斬風忍伝MENMAの74巻を手に取る。これだけでも十分過ぎる収穫だ。
だって本来なら望むべくも無かった、好きな漫画の続きがまるまるコミック一冊読めるんだぜ? 俺を召喚した美人の王女様たちに囲まれようと世界を救うために
「ええと、代金は」
「そうだなあ、銅貨7枚くらいかな。銀貨1枚でもいいけどお釣りは無いよ」
俺は財布の中身を確認して金貨を1枚テーブルに置く。
「お釣りは無いよ?」
笑顔で繰り返す彼女に俺ももう一度笑い返す。
「いいんだ、金には困ってないしこの本にはそれだけの価値があるから」
「言うじゃないか。それじゃ遠慮なく」
金貨を左手で摘まみ上げた彼女はそれをひらひらと振って見せる。
「とはいえ、まあこれは、そうだな。さすがに額面が大きすぎるから預かり金ということにしておこうじゃないか」
「預かり金?」
「この余剰でまた今度買い物をしてもいいってことさ」
「なるほど」
本来ならここは次の確約などあり得ない一期一会の店なのではないだろうか。なんとなく今までの言い振りからはそう感じていた。
それを今度と言えるほどの権限が彼女にあるのか、あるとしていつ俺が呼ばれるのか。どちらも全くわからないけれども。
「じゃあそれで頼もうかな。ああ、もし出来るなら斬風忍伝MENMAの75巻以降も取り置きして欲しいんだけど、どうだろう」
冗談めかして口にした俺に、彼女は大きく頷く。
「ああ、承知したとも。ではまたのお越しを」
----------
気が付くと俺は宿の部屋のベッドの上で、鎧戸の隙間からは日の光が差し込み始めていた。いつ横になったのか定かでは無いけれども、鎧は脱がれ武器はいつもそうするように手の届くところに立てかけられている。
あれは夢だったのだろうか?
己の意識をすら訝しむ俺の手元には、しかし確かに斬風忍伝MENMAの74巻があった。
つまりは現実だった、そういうことだ。あと財布の金貨もちゃんと1枚減っていた。
思えばこの世界に来てから色々なことが有り過ぎてテンションがおかしくなっていたのかもしれない。俺を召喚した王女たちの美しさや与えられた能力の強力さに浮かれていたものの、よく考えてみれば別に元の世界で事故に遭って死にそうになったわけでもなければ自分の人生に不満があったわけでもなく、純粋にこの世界の都合で召喚されたのだ。
未練はいくらでもあるはずだけれども、俺は今までそれらと一切向き合って来なかった。
そのひとつ、読みかけの漫画が今、この手のなかにある。
異世界本屋 あんころまっくす @ancoro_max
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます