第44話 アンネの出立


 結局のところ、モネの細胞組織を利用した医療器具は、一般に販売しないことにした。

 理由はいくつかある。


 まず、保存性が悪いことだ。

 モネの細胞だって生体である以上、適した環境が必要だ。それは体温に近い温度だったり、酸性度だったりと様々にわたる。

 しかし、当たり前だがこの文化圏に、そんな培養組織の保存方法が広まっているわけがない。


 そうすると、一般販売をするためには、そこらへんをサポートするための保存装置が必要となる。

 仮にその開発が成功したとしても、維持にかかるコストはバカにならないはずだ。別の街まで運ぶなんてことはかなり厳しいものとなるだろう。


 次に、モネの細胞という属人性の高い要素が含まれることだ。

 実際には、もはやモネから組織を採取したりはしておらず、僕が培養した細胞を利用しているのだが、外部の人間にはそれがわからない。

 もし真似たり妨害しようという悪意ある人間が現れたとすれば、狙うのはモネになる可能性が高いのだ。

 無用に仮想敵や敵の攻撃対象を増やしたくはない。 



 じゃあ現状、何に使っているかと言えば、まあ身内向けである。

 僕の所有する奴隷たちが狩猟に行ったときの携行品であったり、という具合だ。

 怪我の具合と急性免疫反応の副作用とで天秤とはなるが、現場の評価としては上々で、腕一本使えなくなったり、というトラブルに思考をさいたりしなくていいのが楽とのこと。


 それ以外にも身内からの紹介とか、なんらかのツテとか。とりあえず僕の元に来て依頼してくるのなら応対するようにしている。

 とはいえ、こちらは本当にごくまれだ。

 利用者は、うちで働く従業員の家族に初期に施したくらいで、その後あまり人数は伸びていない。

 まあ僕が治療しなければならないような怪我なんて、できればしない方がずっといい。


 もっとも、治療法を発明して、それを家族に説明してから、まだそれほど時間が経っていない段階だ。

 今後はどうなるか、注視が必要だろう。




 治療法の開発の話はこれでいいとして、僕の新参奴隷の話はもう少し続く。


 ついさっき少しだけ、奴隷たちが狩猟に出かけたという話に触れた。

 僕は、これまで文字通りの奴隷労働で働かせていた少女たちに、森へ狩猟に行かせていた。

 ステータスの向上を図るためだ。魔道具量産のために購入した奴隷少女たちは、魔道技師としての仕事しかしておらず、まだまだステータスが育っていない。


 そこで出てくるのが魔物の狩猟である。

 これまた随分前に触れたことだけど、この世界においては、狩猟はどんな職業についていたとしても重要な訓練だ。

 これが狩猟に生かせる任務を与えた理由だけれど。

 魔道具担当の奴隷少女たちに、実際に狩猟の任を実装できたのは、今回購入した新参の奴隷の影響が大きかった。


 というのも、今回僕が購入した奴隷たちは、奴隷少女たちと違って、ある程度のステータス的なジョブやスキルを習得し、そして実戦的な経験を得た大人たちだったからだ。

 引退段階の者もいたが、少なくとも知識は本物である。

 彼ら彼女らの監督の下であれば、十分に安全なレベル上げを行うことができた。



 新参の奴隷たちの影響は、魔道具組の奴隷少女たちだけにとどまらなかった。


「これが、まさか帳簿だとおっしゃりたいのですか?」


 僕が手渡した資料を一瞥して、元税理士かなんかだったという奴隷はやけに冷めた声を放った。

 そんなにまずい経済状況だっただろうか。

 お金を借りた覚えはないし、僕が雑に奴隷を仕入れても、なにか特に残高に困りそうな様子には思えていなかったんだけど。


「あーうん。まあ適当にお金が残っていればそれでいいよ。マーケティングとかする気ないし」

「周りの方々は、何もご指摘されなかったと?」

「所詮、お小遣いみたいなもんだからね」


 自分言うのもアレだけど、規模はだいぶデカくなってきた。

 それでも、趣味でやっていること、というヘイロー家の認識はあまり変わっていない。


「こんなもの、元とはいえ王都一のグラハン商会の会計士を務めていたわたくし、リネン・アルハートには認められませんッ!!」

「そ、そんなに酷いのか?!」

「酷いなんてもんじゃないですよッ!! なんですか、この販売数と売上高の表記は!? 全部合算したら、何が売れたのか、まるでわからないじゃないですか!!」


 たまたま傷病奴隷に並んでいたリネンは、この国でも有数の商会に経理部門で勤めていた人物だ、とのことだった。

 本来ならそんな技術があれば、病気はともかく怪我を負っていても奴隷として高く売り出されるものだ。奴隷にさえならないかもしれない。


 しかし、リネンは運が悪かった。

 腕という部位を失うことは、窃盗の象徴だったからだ。


 前世の世界でも割と広く見られた文化として、盗人の腕を落とすというものがある。過去の負の遺物ではなく、某宗教を奉じる国家での実施が度々報道されていたことだ。

 盗み癖のある腕を切り落とすことで、罪を咎めるという意識があるのだろう。


 ひるがえって、この文化圏ではどうかといえば。さすがに腕を落とすなんてことは過去となりつつあるが、数十年前には行われていたことらしい。

 腕がない人へのその認識は今でも残っており、とくにリネンのような、相応の信頼が必要な職種としては致命的だったのだ。



 まあ、そんな歴史的な偏見なんて僕には関係ない話だ。

 実績があるのに安く買える奴隷が手に入るというだけ。

 そうして、こんな雑な資金管理は不味いかと思いはじめていた僕は、渡に船とばかりに財務を任せることにした。……のだが。


 数時間もしないうちに、リネンはわなわなと震えた手つきで握った財務書類とともに、僕に突撃してきていた。

 どうやら僕の用意した資料では、元大手商会会計士のお眼鏡には敵わなかったらしい。


「まったく、いびつですよ。基本給を設定した出来高制、なんていう王都でもまだ数例もない最新の給与体制を敷いている割に、単純な会計処理すらされていないだなんて」

「給与体制は、坊ちゃまが自ずからお考えになったものですから。あいにくと坊ちゃまはそのようなものは学んでおられないのです」


 ヌルリと会話に割り込んで、フォローになっているような、なっていないような気もする言葉を付け加えたのはメイルダだった。


 それに対してリネンは、何かを口走ろうとする口の形を作ったところで、息を止めるように口を噤んだ。

 大方、経理関係のことで苦言を呈しようところ、僕の立場を考えてやめたのだろう。

 僕は腐っても貴族だ。貴族の仕事は表計算をすることではなく、計算をする人間に指示を出すことである。

 

「とにかく。今後は、何か購入したり、売り上げた場合には明細を残すこと。委託しているとしたら、キチンと売り上げの仔細を要求することです。特に受注生産も増えているようですから、そこらへんを整理しておかないと、立ち行かなくなりますよ」


 リネンはまくし立てるようにそう言って、もとの居場所に戻っていった。



「どうしたんだ? 急に焦ったようにいなくなって」


 僕のうしろを見ても、いつも通りメイルダが控えているだけだった。



 ◇


 豪奢な装飾のつけられたジャケットの袖に腕を通す。すると、メイドがすかさず手を添えて、肩まで服を引き上げた。

 こんな服を身に着けるのも、こんなことに一々使用人の手を煩わせるのも、随分と久しぶりに思える。


「それにしても、こんなに準備する必要あるのかな?」

「アンネ様が今後半年ほど、坊ちゃまをご覧になる最後の機会なのですよ。御立派な姿を見せた方がよいでしょう」


 メイルダがリネンの対応をしていた僕の元を訪れたのは、アンネの出立の準備ができたことを僕に知らせるためだった。

 一番上の姉のアンネが学園の寮に出立するという話から、早いもので2か月も時間が経っていたのだ。


 僕は今、アンネがヘイロー家の屋敷を出るのを見送るため、自室で衣装を整えていた。


「半年後には帰ってくるんだね。卒業までいないのかと思ってたよ」

「夏と冬、それから春に新学期が始まるまでは休みとなりますから。帰ってくる生徒も少なくありません」


 どうやらこの国の学校は、前世と同じような一年のスケジュールとなっているらしい。

 今は新学期から1,2か月前なので、たしかに夏の休みまで半年ほどとなる。

 ヘイロー領まで帰ってこれることを考えれば、その休みも相応に長いのだろう。


 着替えて玄関に向かいながらも、そんな会話を続けた僕は、数年後の学生生活に思いを馳せていた。



 ヘイロー家の屋敷の玄関には、見たことのない大きさの馬車がとまっていた。

 目立つ大きい馬車は荷馬車のようで。近くにもう一台、こちらは装飾などに力が入れられた馬車がとまっている。アンネが乗り込むのはこちらだろう。

 僕とウリアの時には二人分となるけれど、もう一台馬車を買わなければいけなくなるんじゃないだろうか。


「アンネも、もう学園に行く歳になったのね……! ウウッ」


 うわ、泣いてる。

 母さんって、こういう時、泣くタイプだったのか。

 見送られる側のアンネまで引いてるよ。


 そんな様子のアンネの実母、マリーナに加え、僕の知る限りのヘイロー家の面々が、屋敷の玄関には揃っていた。例外は僕の所有する奴隷くらいだ。

 姉のイリーゼやウリアたちも、パーティにでも出席するのかとばかりに着飾っている。



 対する今日こそは主役たるアンネは、意外にも質素。というより実用重視の服装だった。

 スカートではあるが、裾は長すぎず。あまり肌の露出もない。

 靴は扁平で見るからに柔らかい素材のもの。ヒールは低く安定感がある。


 この文化圏の馬車は、それほど乗り心地の良いものではないし。これまで経験したことのない遠出となれば、慣れている服装の方がいいということだろう。

 まあ確かに、コルセットをつけて乗り物酔いにでもなったら、最悪なんてもんじゃなさそうだ。



 アンネが乗り込むときに、グラリと大きく揺れる馬車を見て。

 僕は、自分が学校に通うことになる前に、サスペンションか何かで揺れを抑えた馬車を開発することを心に決めたのだった。





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