第42話 傷病奴隷


 リハルドの奴隷商会は、前に来た時とほとんど変わっていなかった。


 シュコー……シュコー……

「ご連絡をいただいた時は驚きましたよ。いやはや、まさか──。いえ何でもございません。この度は、御子息様のお望み通りにご用意しております」


 前回と同じく、僕はキチンとアポをとってこの商会へと赴いていた。


 あれから結構な期間が空いている。外観は変わらずとも、中の商品は全て入れ替えられているだろう。

 そう考えると、この商会には実態はなく。ある意味で実体のないサービス業と分類することができるかもしれない。

 シュコー……、シュコー……


「あの……、つかぬことをお聞きいたしますが。その、御子息様方が身につけていらっしゃる、仮面の如きものは一体何なのでしょうか……」


 シュコーシュコーと、まるでどこぞの世界的スペースオペラの世界一有名な悪役みたいな息を漏らしているのは、今の僕とその家臣団がガスマスクのようなゴツいマスクをかぶっているからだ。


 全体としてはペスト医師の見た目に似ている。

 色の濃いレンズで目線を隠し、フィルター……というのはなかったので綿や布で濾した空気を吸うためのクチバシを伸ばした。



 ペストマスクというのは疑似科学だ──と、されていた。少なくとも前世の僕の知る限り、そうだ。

 それらにはあまり効果はなく、科学的根拠に乏しかったと考えられている。


 それでも、たとえ科学でなかったとしても、中世の医師がそのような服装を身に付けたのには、彼らなりに理由があった。

 例えば、目が見えない黒いレンズは、目線が合うと病がうつると考えられていたから。クチバシのような見た目は、中に詰めた香料などに効果があると信じたから。長いコートは、接触により感染すると信じられていたから。

 まあ、最後は科学的にも結構正しいのだろうが。重要なのは、中世の医師らがとった対策は、彼らの疑似科学的な空想の中では、病の伝染の原因を抑えているつもりである、ということだ。


 一方、この世界には魔術的な病、呪いがある。

 その感染経路もまた魔術的であり、同時にそれが人間によって作られた以上。人間がそう思い込みやすい、ある種の型へとはまっている。

 そのためか、内実はそっくりそのまま疑似科学であり。中世の人間の空想が生んだような、疑似科学的疫病法を適用できるのだ。


 つまり、例としてより具体的に言えば。

 この世界の人間も、同様に視線で伝染すると考えており、それは呪いとして実現している。そして、その対策も色の濃いグラスをつける、という中世的なもので良い、ということだ。



 そういうわけで、商館に詰めかけた今日の僕らの服装はペスト医師っぽいもので統一されることとなったのだ。


「これはね。病気なんかの感染を予防するための装備なんだ」

「はぁ。なるほどそういうのもあるのですね……。私も一通りそろえたいほどですな」


 リハルドは、言質にはならない程度の御世辞をこめた。



 さて、前回来た時と打って変わってこんな重装備で来たのにも、理由がある。

 もちろん前回のときにはこんなのは持っていなかったというのも一つだが。さすがに僕だって下民と同じ空気を吸いたくないとかそういう意図があるわけじゃない。

 主な理由は、今回の僕が目当てにしてきたのが、"傷病奴隷"と呼ばれるものだからだ。


 技能奴隷などとは違って、奴隷の区分として明文化されているものではないが、怪我を負っていたり病を持っていたりする奴隷のことは、傷病奴隷と呼ばれている。

 その特徴はとにかく安いこと。


 病気を患っているような奴隷は、普通は体力が落ちていて労働生産性が低いし、感染が広まる危険もあるし、死んだ場合の埋葬費用まで掛かる。ということでかなり避けられている。需要と供給のバランスに従って、奴隷の中でも安価となっているのだ。

 一方、怪我の方もいっしょくたに考えられているのは、ここで言う怪我とは四肢の切断や不随などの重篤な症状だからだ。多少の切り傷程度ではある程度価値が下がっても、傷病奴隷と呼ばれるまでに安価になっていることは少ない。



「しかしながら。そのようなご準備を頂いたところですが、本日はそのようなものはあまり役に立たないかと」

「病気に罹っているような奴隷はいないということか」

「ご子息様に限っては、残念ながらというべきなのか、自信を持って紹介すべきなのか、私にはわかりかねますが。そうです」


 だいぶ変な奴だとでも、思われているんだろうか。

 まあたしかに、金は十分あるのに、危険を払って病気やケガのある奴隷を買いに来るなんて、はたから見れば相当な好事家だ。


「私どものような、小規模な店舗では疫病の対策などできませんので。そのような、ある種危険な奴隷はより大きな都市に行かなければ扱われていないのです」

「大きな都市……、例えば王都なら扱っているのかい?」

「ええ、王都シェンブリルでは扱いがあるでしょう」


 集団感染の危険のある都会に連れて行っているのも、それはそれで危ない気がするが。

 これは僕の前世の衛生観念に由来するものだろう。


 どうあれ、僕が病気の奴隷を探すためには、王都のようなデカい都市を目指さなければならないようだ。


 まあヘイロー領の犯罪者でもいいのだけれど、どっちみち処刑される者を治療するというのもむなしいものだ。

 どうせなら、治療後に僕に恩義を感じてくれたり、実利をもたらしてくれるような相手が望ましい。



 もちろん今回、僕が奴隷商会を訪れた第一の目的は、人材確保にある。

 元々の魔道具の生産でもやや人員が追い付いていなかったが、新事業にも手を出し始めたことで急務となったのだ。

 しかし、同時にここで、傷病奴隷なんてものをわざわざ求めたのは、治験を行うためだった。



 このたび、ずっと研究を進めていた抗生物質が実用段階に近づいてきていた。

 あのペニシリンと同じスクリーニングで得られた、抗菌剤とみられる何かだ。


 これがすでに、動物実験レベルでは十分に有意な結果を示されているような段階にきている。

 ただし、当然ながら人間を用いた治験はまだだった。


 というわけで。

 まず、副作用に見合う人間への有効性や、実際にどのような病気には効くのかという薬効の調査を行いたい。

 あとは副作用の正しい評価のための対照実験用……は犯罪者でいいか。あとで父さんに話を通しておこう。


 まとめると投薬実験の対象が欲しいというのが、傷病奴隷を求めた理由の一点である。




 わざわざ病気の奴隷なんてものを求める僕に、怪訝な表情をしながらも、リハルドは僕に王都の奴隷商取引組合の紹介状を書いてくれた。

 まあ、僕の身分である貴族の子息なら、こんなのなくても問題ないだろうけど。身分の証明なんて一々いらないに越したことはない。


「どうやら、御子息様が傷病奴隷を求めているのは本気のようでございますね。大変失礼ながら、このリハルドは疑っておりました。お詫び申し上げます」

「それ、病気だけじゃなくて怪我の奴隷もいないってことか?」

「いえいえ! まさか。そんなことはございません! そちらはご用意させていただきました」


 しかし、リハルドは一瞬そこで言葉を詰まらせた。


「ですが、まとまった数となるとご用意が……」


 電子メールなんて存在しないこの時代、文通のように確認を取りあうわけにもいかず。齟齬があったらしい。


 そもそも奴隷なんて言うものは、額面こそ安くても維持費などを考えればかなり大きな買い物だ。

 即決で購入を決めた前回の僕の方が異例で、何度か通ったりして性格的な相性などを確かめたりするのが普通らしい。

 しかも、それを何人も同時、なんてことは本当にめったなことではない。前回に引き続き今回の僕も、そのめったなことになるわけだけど。



「いや。怪我の方は2,3人いれば十分だよ」

「その言葉を聞いて安心しました」


 リハルドは、まるでお手本のように胸に手を当てて、安堵した様子を見せた。


「では、さっそくご案内いたしましょう」


 病気の奴隷はいないと聞いたけど、こんなところにはどんな病原体があるかもわからないので、僕はマスクを外さずにリハルドについていった。



 通された鉄格子の扉が並ぶ地下は、前回訪れたのと同じ場所だ。

 しかし、今回並んでいた奴隷たちは、前回にも増して陰鬱な雰囲気を纏っていた。


 あまり栄養状態がいいとは言えず、目はうつろでどこか疲れ切っている。

 共通点としては、彼らには腕や足など、何かしら大きな欠損があった。



 そして、リハルドが言うほど人数は少なくなかった。

 10人はいるだろう。


 どれだけ僕が大量に購入すると思っていたのだろうか。

 実験用と伝えたから、もしかしたら使い捨てで大量に消費する予定だと勘違いされたのかもしれない。


 その可能性はある。

 実験用のネズミを大量に死に追いやっているのは事実だし。同じ実験用だとすれば、同じように大量に死ぬような実験を行うと思われてもおかしくない。


 こうして客観視してみると、僕もなかなかマッドサイエンティストらしくなってきたと言えるかもしれないな。



 10人強は集められた奴隷たちだが。これほどまでに欠損を持つような奴隷が多いのは、実はおそらくヘイロー領だけの特徴だ。


 ヘイロー領は、前にも触れたが、ダンジョンや森などに生息する魔物の狩猟によって成り立っている。

 そうした狩猟に携わるハンターには、怪我を負って引退となるケースが少なくない。

 しかし、大怪我の、特に欠損の治療なんてそうそう受けられる治療ではないのが現実だ。

 生活の中で借金を背負っていたりした状態で怪我をすれば、借金を返す見込みがないと見なされて、そのまま奴隷落ちとなることも珍しいことではないのだ。


 危険と隣り合わせにある領土に住んでいるという事実は、こんなところでも突き付けられる。


 もっとも、今の僕としては願ったり叶ったりだ。

 人体実験の対象が、なんぼでも手に入るということでもあるからである。

 うーん。自分で言うのもなんだけど、これはいいマッドサイエンティストっぽい物事の見方だ。



 リハルドは、前の孤児院を出てすぐの奴隷たちの時と違って、彼ら彼女ら一人づつの紹介を始めた。

 多くが、何かしらのジョブやスキルはもっている大人だからだ。

 どのような経歴を辿ってきたかも、信用に値するかに影響する。


 僕はその説明に耳を傾けた。



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