第40話 少女の名前
奇病を患っていた少女は、大きめの軽く畳まれたハンカチを、まるで重い鉛板か何かを抱えているように、腕を震わせながら持ち上げた。
「どうだい、その"両腕"の調子は」
「問題無いです。これもせんせの巧みな施術のおかげです」
ウンウン、そうだな。
この調子で、さまざまな医療技術を習得して、立派なお医者様に……。
って違うわ!
僕の夢はマッドサイエンティスト。
ここ最近はずっと医者の真似事続きだったが、僕の本懐は人助けには無い。
「元の両腕の方には、違和感もないかな」
「ええ。流石は今を駆ける天才魔道技師、ロディオ様です」
うん、それ魔道技師関係ないよね。
というか僕は魔道技師でもない。
いまや僕の患者ではなくなった少女は、腕の調子の良さを確かめるように、手先をグーパーと開いたり閉じたりを繰り返した。
しばらくはそうして、元からある腕を眺めていた少女だったが。
いい加減に腕が疲れてきたのか。未だにプルプルと震えながらも、載せられたハンカチを支えていた腕から布を拾い上げ、丁寧に折りたたむ。
少女の両腕で支えられていたはずのハンカチが、少女の別の腕に摘まみ上げられる。
おかしな話だが、それが僕の目の前で起きた出来事だ。
そう、今の彼女には、動かせる腕が4本存在していた。
少女の不治の神呪に対して、僕が考えた施療は、二本だけ残して後の過剰肢を取り除く、というものだった。
何も考えずにどれかを残すというのは、あまりに不便だと考えた僕は、せめて彼女の役立つ位置に、ほぼほぼ完全に機能する腕が生えるよう移植をおこなったのだ。
そうしてできたのが、四本の腕を持つ少女だ。
元からあって肩から生えた腕を"元の腕"。元の腕の肩から脇を回って腹側へ向かられているのが、移植した組織から生成された追加の腕、"新たな腕"としよう。
残念ながら、肩の複雑な筋肉の構成は再現できなかったため、新たな腕は二の腕まではダラリと下がった状態となっている。これは今後の改善点だろう。
しかしそれ以外の機能は問題なく活用できるようで。ひじから先の十分な可動域を持っている。
少女は、主に元の腕の内側で活動する、この新たな腕を使いこなそうと、リハビリ?──と呼ぶのは、元々はない器官なので変だが──新しい腕への順応を行なっていた。
新たな腕は、腕組みすることはできるようで、疲れたときには胸の下あたりで腕を組んでいるのを見かける。
新たな腕が生えたことで、元の腕の根本部分、肩周りの筋肉に悪影響がないかを僕は気にしていたが、特にそんなことは感じていないらしい。
そんなことより彼女の興味は、新たな腕の操り方のほうにあるようで。手術から回復して、腕を動かせるようになってからは、しきりにその使い心地を確かめている。
僕の見立てでは、腕の方は問題なく機能しているのだが、それを操るにはまだ彼女の脳機能が追いついていない。
前に僕は、メイルダが彼女の触腕をどうやって器用にも同時に操っているか、疑問に思っていたけれど、ちょうどそれに近い話だ。
今の彼女の新たな腕の不自由さも、慣れか何かの問題として、自然に解決することを願おう。結果は今後、おのずと分かっていくことだ。
腕としての機能云々はさておくとして。
やはり、神呪の再発を招いたのは、僕が呪いで作られた組織を一旦全て取り去ってしまったことにあったらしい。
新たな腕として、2箇所だけ呪いが残された少女には、もう再発する様子はない。
ちなみに、僕が移植する前の過剰肢には感覚や運動能力はあったのかと言えば、一応はあったそうだ。
ただ、それを上手に操りたいというほど、過剰肢に思い入れがなく。今、新たな腕として使っているようには、生えた組織を動かしたこともなかった。
それでもゼロではないという経験が、今の彼女の新たな腕を動かしているらしい。
いずれにせよ、もう症状の悪化もなくなった彼女は、もはや僕の患者ではない。
最後まで残したのは、顔の手術だった。
手術痕が残るのを防ぐため、僕の技術が十分に生育される最後の場面まで先送りにしていたのだ。
巻かれていた顔の包帯を解くと、少女の顔が現れる。
もうその顔には、出会った頃のような、手の組織は見られない。
痕跡もなく、メスを入れた部分をなぞっても、僅かな凹凸もないツルリとした肌になっていた。
僕ばかりが、彼女の顔を見ていても仕方ない。
大型の鏡の前へと、僕は少女を連れて行った。
最初は初めて鏡を見た動物のように、何が目の前にあるのかわからない様子だった。
やがてそれを自分の顔だと理解したらしく、確かめるように元の腕で頬を触り。続次いで、新たな腕を接合部を見るためか、鏡の前で半身になったりと。
彼女は夢中になって、しばらく鏡に映る自分を見続けていた。
まあ、この文化圏ではここまで大きい鏡というのはかなり高価だ。
自分の姿がどうなったのか以前の問題として。
鏡で映された自分の姿を見たこと自体も、あまり経験がないのかもしれない。
「それから。これはまあ、退院祝いのようなもんだ」
長らく鏡の前にいて。ようやく落ち着いた彼女に、僕は彼女に一枚の紙を手渡した。
「えっと……」
「どうした?」
「わたし、文字を読めないんですけど」
……。
まあ、そういうこともある。
「雇用契約書だよ。この後、帰る家も何もないだろう」
僕はなにもこの数週間の間、手術と研究解析だけに熱中していたわけではない。
彼女の過剰肢を切り落とした犯人も調べ上げていた。
その犯人とは、彼女の父親だった。
気味の悪い見た目の娘を養うことに嫌気がさしていたところ、酒に酔ったおりに凶行に及んだらしい。
要するに、彼女にはもう、帰りを喜んで迎えてくれる家族はいない。
そして、たとえ症状がかなり改善されたとは言え、ナタを向けられた彼女にもその気はないだろう。
そんな少女を、治し終わったから「はい終わり」と放り出すというのは、流石に無責任だということで。
僕は、彼女にはヘイロー家の使用人の枠を用意していた。
もっとも、何か特技とかがあるわけでもないため、扱いは残念ながらかなり下っ端となる。具体的に言えば、僕に専属する雑用係だ。
それでも、この文化圏ではまあまあの良い職だ。雇う側の自分が言うのもなんだけど。
残念ながらと言うべきか、その意味が全く理解できなかったかのように、ポカーンとしている少女に対して、僕は続けた。
「それから、ここ」
「はい、なんでしょう?」
「"モネ・ルーティア"。これが君の名前だ」
僕は、彼女のこれからの地位だけではなく、かねてより名前も用意しようと考えていた。
単純に雇用する上で必要となるから、と言うのも理由の一つであるけどね。
モネというのは、前の世界で単一を意味していたモノを、この文化圏の女性名らしくしたものだ。ルーティアは根っこの意味、こちらは僕のマッドサイエンティスト生活の始まり、技術の根をイメージしている。
まともに改造手術を施した僕の最初の被検体であり、神聖さと呪いを一つにしている存在という意味で、僕は彼女にこの名前を考えた。
ただそれは、前世の言葉であって、この世界の意味とは異なるのだけれど。
「ま、気に入らなかったり、自分で決めてるのがあったら修正するから、言ってよね」
「わたしの、名前……。モネ。モネ・ルーティア……」
少女は繰り返し、僕の告げた名前を呟いた。
これは……。
良いのか、悪いのか。
どっちだ?
気まぐれに実験動物に名前をつけたりしたことはあったが、人に名前をつけたのは初めてだ。
メイルダや他の使用人にも相談したが。市井の少女の感性なんて僕にはわからないし。結局、本人に聞かなければどういう反応となるかはわからない。
「せんせのくださった名前に、何の不満もあるはずがありません」
しかして、答えを待っている僕の様子にようやく気づいたモネは、そう答えた。
決まりだ。
彼女の名前はモネ・ルーティア。
今日からこの屋敷の使用人の一員となる。
「それじゃあ。今日、伺神祭が開かれているから、ステータスを登録しに行こうか」
「……え、今からですか?」
「大丈夫。司教のザリキエフには話は通してあるからさ」
「それ、ホントに今日なんですか? 来月なんじゃ……」
意外とモネは鋭い。
たしかに今日、包帯が解けたというのは偶然で、今月の伺神祭に間に合うかは、かなり怪しかった。
「今日とも取れるように『近いうち』って、昨日伝えておいたから、問題なし」
「昨日ですか!?」
うっかり、公的に名前を登録する機会である伺神祭の存在をつい昨日まで忘れていた……、なんてことでは断じてない。
そんなことは、このパーフェクトなマッドサイエンティストの僕にはあり得ないのだ。
「メイルダ! 馬車の手配は?」
「手筈通りでございます」
スッといつのまにか現れたタコメイドは、うやうやしく馬車へと僕とモネを案内した。
僕は彼女らと共に、屋敷の玄関へと駆けて行く。
「いまの時刻ですと、儀式には間に合いますので、焦る必要はございません」
そうして、何故か行者の座席に飛び乗って手綱を引いたメイルダは、何故か全速力で教会に馬車を走らせた。
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