第38話 摘出手術
カタリ、と僕は血と脂の付いた刃の小さなナイフをトレーに置いた。
今日の作業はここまでにしよう。
あれから僕は、ほとんどこの奇病の少女にかかりきりとなっていた。
奇病の少女は、手術によって余剰な組織を全て切除することを望んだのだ。
「せんせ、おつかれさまです」
「その先生ってやつ、やめないか? 僕にはまだ、そんな風に言われるほどの技術はないんだ」
自分の中ではまだまだ自身のマッドさに納得できていないのに、周囲からはマッドサイエンティストと呼ばれるようになってしまったような、むず痒さがある。
「でもきっと、せんせは偉大なお医者様になれますよ」
「まず、僕は医者になりたいわけじゃないんだけどな……」
声の主は、手術台と定めたただのテーブルに横たわる、今まさに体にメスを入れられていた少女だ。
こんな朗らかな会話をしていられるのは、いまの彼女には痛覚がなくなっているからだ。
そんなことして大丈夫なのかと心配されそうだが、問題なくあとから回復可能だ。
ただ、僕には運動神経や感覚神経の区別はつけられなかったので、神経系を丸ごと切断してしまっている。そのため、彼女にはほとんど動くこともできないだろう。
手術中に口を動かして喋れるようになったのだって、色々切る場所を変えて試したから実現したことだ。
麻酔をする道具も知識もなかった僕が、代わりに痛覚神経を一時的に切断してしまうという方法を思いついたのは、治療が始まってしばらく経ってのことだった。
前世で、もしやってしまえば、生涯全身の麻痺が残る最悪の医療事故だが。
この世界の魔法はそれを簡単に凌駕してしまった。
流石にマッドサイエンティストを目指していると言えど、最初から重要な神経の切断を試みたわけではない。
治療できる見込みはあった。
動物を用いた実験で、短時間であれば完全に切断した神経を回復魔法で後遺症なく治療可能なことは実証済みだったからだ。
そのうえまずは、そもそもいずれ切除する、僕が【祈祷療術】で回復させてしまった過剰肢で、神経系の治療に関する実験を行った。
結果は上々。最終的に今の僕は実用化するのに至った。
苦痛に満ちていた手術中の声は、今やもう遠い過去のものとなり。日常会話をしながら手術を臨めるほどとなった。
そうして僕は、来る日も来る日も少女の血肉と向き合い。
整形外科まがいのことを実地で学んでいく。
回復魔法が存在するこの世界で、縫合はどれくらいの大きさの傷口まで行うべきか。術後の回復段階で、肌の張りに違和感の出ないような切除範囲の目安や縫合痕の向きはどのようなものか。縫合痕は回復魔法で修繕可能か。
などなど。僕が学ぶべき手術における経験的技術は多岐にわたる。
しかしこれらの懸案も、生身の肉体を使った実験をもって僕は学ぶことができる。
いくらでも切っていい被検体が、僕には存在するのだ。
「今日は一日こっちで作業ですか?」
「まあ、今日は魔道具工場の方には用事ないかな」
「なら。せんせとお話しできますね」
僕のことを先生と呼ぶ、被検体の少女は首だけをこちらに向けてそう言った。
『除菌フィールド生成機』を動かすと、効果が薄まったり再度フィールドの展開をしなければいけなかったりすることもあって、彼女が動ける範囲は小さい。
「キミはお話よりまず身体を動かさないとな」
そんな狭い空間でも、身体を最低限でも動かすことは重要だ。
同じ姿勢で、しかも、柔らかいとはいいがたいこの文化圏の寝具で横になったままでは床ずれになってしまう。
最悪それも回復魔法で直せばいいかもしれないが。二度手間三度手間だ。どうせならリハビリも兼ねて適度に運動させた方がいい。
「……よろしく、おねがいします」
しかし、痛覚を切っている彼女にとって、運動神経を取り戻すことは、別の意味を持っている。
僕が【祈祷療術】を発動させて、背骨付近の切り口を回復させると。
少女は、強く顔を強張らせた。
神経系を回復させるということは、無痛の状態からも回復してしまうことを意味している。
回復させた途端、過剰肢に通っている神経の深い切り傷の痛みが彼女の脳にまで届くようになってしまうのだ。
なので、彼女にとっては、いっそ手術中の方が気が楽なほどに思えているらしい。
かといって回復せずにずっと放置するというわけにはいかない。
神経系が活動していることは、回復魔法で治療していない過剰肢の切断部の治癒に重要だし。何よりそのまま放置すれば、切断された神経の再結合が難しくなり、後遺症となってしまうからだ。
神経系と言えば。いつぞや狩猟のために森に出かけて、ゴブリンの延髄を断ち切っていたことがあった。ずいぶんと昔のことのように思える。
そのとき、延髄を切れば即死みたいなことを、言っていたか言っていないか覚えていないが。
回復魔法を学んだ今からしてみれば、たとえ延髄のような部位を切断したとしても、油断はできない。魔法ですぐに治癒させてしまえば、何事もなかったかのように神経の接続を回復することができてしまうからだ。
僕は、今日の作業で切除された肉片を、培養液の中に落とした。
痛みに悶える奇病の少女を尻目に、僕は彼女から切り出された組織片の解析を進めていた。
この培養液も、最近の、特に被験体となっているこの少女のおかげで完成したものだ。
彼女の血肉を模出して、そのあと絶の属性で処理すれば人間の細胞用の培養液が出来てしまった。濁りがない透明な茶褐色の液体で、血清のようにも見える。
まあ成分が定かではないので、再現性という面では問題はあるが。今の段階ではそんな科学的な厳密さよりも、細胞培養ができるかどうかが重要だ。
「今は、どんなことを……やっているんですか?」
奇病の少女はよっぽど暇らしく。
ヘイロー家の面々ではほとんど誰も取り合わない僕の研究内容に、息も絶え絶えという様子なのに、興味を持って聞いてくれる。
「昨日に引き続き、浮遊培養に適応させるための条件検証と、キミの細胞の動物移植実験かなぁ」
「はぁ……」
当然のように、何のこっちゃわからない、といった様子だった。
「キミの組織をこうして切り出せるのも有限だからね。それを増やしてるんだよ」
「治療が終わっても、わたしからいつまでも切り取り続ければいいんじゃないんですか?」
彼女の言う通り、魔法で再生させればいくらでも切り出せるだろう。
それでも問題が存在する。
「魔力で作られた組織と元々の血肉では性質が異なる可能性があるからね」
まあ、それを言うなら培養で増やしたなら、無限に増やせる時点で不死化──つまり、がん化していて元の正常な細胞組織とは性質が異なってしまうのだけれども。
「ただ、魔法で作ったものと違って、培養したものであれば魔法としての期限が存在しないってのも大きいかな。人間の細胞を利用した技術っていうのは様々な可能性があるんだ」
「へぇ、魔法が関わってくると難しいんですね……」
「そんなの気にしてるのは、僕だけかもしれないけどね」
彼女には学術的な問題があるかのように伝えたが。
最大の問題は、彼女がいつまで協力してくれるかわからないことだ。
そんな属人的な要素に頼り続けるわけにはいかない。
「動物イショク、っていうのは、そのネズミさんを使うってことですか?」
ネズミさんなんて呼んでると、ストレスを与える実験とかをした時に気分が悪くなりそうだ。
彼女にとっては、ほとんど同居してるペットか何かのように思えているのかもしれない。
「移植っていうのは、身体の一部を、生きている別の生き物にくっつけるってこと」
「えと。それでどういう意味が……?」
「キミの回復魔法への再生能力を、他の人の身体でも実現できないかと思っていてね。ネズミに移植した後の、組織再生を見たいんだ。本音を言うともっと大きい、豚とかでやりたいけど」
それから、動物移植の方はアレ?っと思った人もいるかもしれない。
拒絶反応とかどうなっているのかと。
流石に免疫系を無効にした変異マウスなんてまだ作れていないが、ほんのしばらくの間なら、移植後の組織も生存可能だ。
回復魔法なら、その間で組織再生を行わせることができるので、神経系や血管の接続などを行えるのかを観察できる……かもしれない。
もちろん最終的には、奇病の少女の特性だけを移植して、再生される組織は移植される側、レシピエントの細胞に置き換えることで免疫の問題もクリアしたいけど。
これは前世の技術力でも遠い未来の話とされていた。
ただ、魔法があるこの世界なら、なんとかなるかもしれないと思い、実験を進めている。
そのあとも僕は、健気にもサッパリわからないだろう研究の話を聞いてくる奇病の少女に、実験の説明を行っていった。
ところで、僕の研究室にもうすでに結構な間、居続けている今もなお。そんな彼女のことをキミ、とか奇病の少女、などと呼んでいるのは、彼女には本当に名前がなかったからだ。
この手の障害のある子供には、よくあることらしい。
前世の国のように、負担に耐えられるような社会制度がないこの文化圏では、育てられない子供を捨てることは珍しいことじゃなかった。そうした子供は、名前をつけられることもなく、ステータスも持たない。
この奇病の少女は、この歳まで育てられて運がよかった方だと言える。
見た目だけの障害で、知能にも運動能力にもほとんど影響がなかったからだろう。あるいは、前に彼女が言っていたように、見世物小屋に売るために育てていたのかもしれない。
妙で珍しいものにお金を払う人は、僕も含めて意外と多くいるものなのだ。
まあ、それはそれとして、名前がないのは不便なのでそのうち名付けてしまいたい。被験体001でもいいんだけどもね。
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