第36話 生と死の狭間


 クソ高い魔石を利用した『除菌フィールド生成機』は、効果の検証が済んだこともあり。すでにいくつも作成し、実験用マウスのケージなどに設置された。

 これにより空気中から付着する病原体は激減し、生成機と同様に絶の属性を利用して除菌された飼料や飼育環境もあって、病死する実験動物は減ることが期待される。


 特に創傷やその再生の観察を行っている実験対象に関しては、死亡率が高かった。

 しかしその需要は高い。


 創傷を与える実験に限っても。自然治癒の各段階ごとの回復魔法を掛けた場合の影響や、どれだけ大きな創傷までの治療が可能なのか。複雑な内部構造を有する臓器などは正しく機能するのか。脳に障害を受けた場合、記憶情報はどれだけ保存されるのか……。

 などなど、検証が必要な事柄は無限に思えるほど存在するのだ。


 今や僕に使える魔法は【祈祷療術】だけではなくなったが、回復魔法の性質を調べることは文字通り生死に直結しうる事柄だ。

 これを避けて通ることはできない。



 そうして僕は、今日も今日とて元気に、ネズミの指を切り落としたり、尻尾を切り落としたり、今朝死亡したネズミを腑分けしたり、という作業を行っていたのだが。


 コンコン、という地下室に響くノックの音。


「ん?」


 僕は作業から意識を引き戻されて、顔をあげた。

 こっちの研究室への訪問者はほとんどなくなったはずだ。


 僕の研究室はあれからさらに増え、奴隷少女たちの工場がある納屋の近くにも設置されている。そっちには、魔道具関連の装置や、もともとは地下室にあったガラクタが移された。工場の研究室には近寄りがたい要素はなく。マドニス女史を含め人の往来が多い。

 対して、今いる生体実験用の地下室は、やっぱり匂いの問題もあってか、前にも増してほとんどの人は近寄ることがなくなった。ノックの音を聞いたのさえ、久しぶりだ。



 コンコンッ。

 僕の反応が薄いことにしびれを切らしたのか、今度のノックの音はさっきより少し大きくなった。


 返事をすると、入ってきたのは僕がよくお世話になってるタコの亜人種メイド、メイルダだった。


「坊ちゃま。しばらく前におっしゃっていたお客様がお見えになりました」

「客?」

「ええ、坊ちゃまが路地裏で話しかけたという……」

「ああ、彼女か」


 いつぞやこの部屋を手に入れる前に、自室を研究室にしていた頃。追い出された僕が屋敷を出た外で見かけた、奇病の少女だ。


「ちょっと、今の奴を片付けたら行くよ」

「お言葉ですが。御来訪の方は少々その、容態が芳しくなく……」


 はあ、それはなんとも。

 てっきり発生関連の病気だと思っていたから、そんなに急速に、目に見えるほど悪化するとは思っていなかったのだけれど、僕の見込み違いだったか。

 まだあんまり死体の標本技術は確立していないから、死なないで済めばいいのだけれど。


「わかった。すぐ行くよ」

「ええ。早くした方がよいかと」



 ◇


 バタバタと部屋を出て向かった先は、診療室だった。

 ヘイロー家は狩猟をメインとした武系な貴族であるため、屋敷に専門の医療者と部屋が存在している。日ごろから怪我を負う者がいるために、治療を行っているのだ。


 ちなみに僕とはあまりソリが合わない。

 ということは、【祈祷療術】に関してアドバイスとかを聞きに行ったりしていないことからも、わかるかもしれない。


 だって、彼らは伝統的な診療と魔術的な医術に固執しているフシがあるのだ。

 治療可能な範囲の研究なんて、そのままそっくり役立つだろうに、彼らは自分の知識というものに絶対的な自信があるらしい。

 それでもって僕の実験を、畜生を使った下劣な研究と見ているのだ。

 僕が部屋から盗んだ医学書では、【祈祷療術】に関する記載については、すでにいくつも更新できるというのに。まあ畜生実験動物は使ってるんだけど。



 そんなわけで、僕からの印象は悪い診療室だが。

 部屋の一角を取って、あの奇病の少女はそこにいた。



 血塗れの状態で。



「ウッ、……ウァ……」


 雑に布だけが被せられた少女は、うめき声をあげた。


 僕が違和感を覚えたのは、彼女の布を介して見えるシルエットに、違和感がなかったこと自体に対してだった。

 あの時見たような、ごつごつとした形はない。


 僕が、おそるおそる、その布をずらしていくと。

 見えたのは、目が覚めるような赤色だった。


 血だ。

 噴き出した血で、肌は見えるところの方が少ない。

 そんな一面の朱色の中で、骨だけが白く露出して目立っている。


 何をされたのか。それはすぐに分かった。

 布をめくって見えた彼女の顔には、今はもうあの特徴的な奇形の手が伸びていない。

 規則正しい肉と骨の凹凸は、手の根元のように思える断面だった。



 切り落とされたのだ。

 顔にとどまらず布にところどころ広がる血染みは、彼女の余計な器官があったところなのだろう。


 何たる愚行か。

 将来の、彼女と同じような病に侵された人々のため、必ずや残すべき医学的な遺産だったというのに。

 いや、そんな尊大なこと以前として。

 この愚かな、治療というのも憚れる行為は、少女を死に至らしめるものだ。

 彼女はあれで、問題なく生きていける程度の健康体だったのだ。



 僕は一瞬、この部屋の主である医者が勝手にやったのかと勘繰ったが。

 すぐにそれを否定した。

 彼らのことは、あまり信用していないが、さすがにそれはありえない。


 いくら未発達な医学に頼る文明だとしても、これだけの出血があれば死に至ることは常識だし。そもそも感染症に関する知識に乏しい彼らにとっては、手術の生存率はかなり低く、外科的な手術は本当に最後の手段だ。

 怪我による死因の多くはまだ敗血症などの病原体がらみである以上、医学的な行為でも傷付けるということ自体を避ける傾向にあるのである。


 それに加えて、彼らならもう少しまともな後処理をするだろう。

 傷口を焼く程度のことは行うはずで、こんな切りっぱなしで放置するなんて起こりえないはずだ。

 もはや延命治療も行っていないのは、出血量からして、ウチの専属医師ももう匙を投げていて。これ以上痛みを与えないという方向性に決めたのだろう。



 どっかの素人の仕業、という結論に至った僕は、もう長くない彼女を僕の研究室に運び入れることにした。


 残念ながら、すでに切り取られてしまった以上、標本としては不完全だが。根元が残っているだけマシだろう。

 立派な組織が生えていたということ自体は、後世にも伝わるはずだ。


 僕はメイルダにマドニスを連れてくるように指示して、担架を用意した。

 さすがにこんなところで、生きている患者にとって毒オブ毒みたいな遺体保存魔法は使えない。

 標本化のためには場所を移す必要がある。




「ああ、そうだ。名前を知りたかったんだった……」


 前に会った時は教えてくれなかったのだ。

 これでは、保存したときに張るラベルに困ってしまう。


 少女を担架で運びながら考えていた、そんな言葉が、声となって口から出ていた。


「……名前、……?」


 まさにうわごとといった、声だったが、確かにそう言ったように僕には感じられた。

 驚くべきことに、彼女にはまだ意識があったらしい。


 死ぬときには、聴覚が最後まで残り続ける、という話を聞いたことがある。僕の言ったことを聞いていたのだろう。

 前世の僕は、残念ながらそれを実感する間もなく死んでしまったが。


「そうだよ。今ここで話してくれれば、君の名前とその生きた証は、永久に語り継がれることになるんだ」


 しかし、残念なことに彼女には、何かを聞き取る能力は残っていても、記憶を辿る能力は残されていなかったようで。この一言を口にしたあと、何か声として出すことはなかった。




 少女と僕が地下研究室につくと、マドニスがすでに待っていた。


 なぜ彼女を呼んだかと言えば、僕の部屋を増設してもらうためである。



 まさか僕もこんなに突然、彼女が、しかも死に体で現れるなんて考えていなかった。


 流石にまだホルマリンなんて生成できていないし、保存は魔法頼りとなってしまうが。

 それでもこんなこともあろうかと。ネズミで標本保存の研究は進めていた。まさに、その成果を活かすときだろう。


 ただそれでも、実験動物でやっていた頃とでは、規模が違う。

 僕の既存の部屋でやるわけにはいかないし、庭とかで大っぴらにやるのは僕でもはばかられる。


 というわけで、ここは有能な魔法使いでもあるマドニスの出番だ。

 ある程度、魔法を修めていれば、地下室を作ることくらいはできるというのを聞いていたのだ。

 地震大国である前世の国では、こんな杜撰な工事は認められなかっただろう。



 しかし、マドニスに事情を説明すると。

 血まみれの少女にドン引きしながらも、この急なお願いをこころよく引き受けてくれた。




 僕の新しい部屋がそこそこに完成し、死体を浸して保存するためのプールのようなものを作成しているときだった。


「あの……、前に言っていた保存魔法ですよね。試すのですか? その子、まだ生きてますけど」

「いや、でもこの様子だと、もう無理だよ。脈だって……」


 ……脈だって?


 首元を大きくはだけさせ、軽く首筋の頸動脈に触れると、それは意外なほど力強く脈動していた。


 おかしい。

 もう体に含まれていた血の内、相当な量が流れているはずだ。

 そうなれば脈拍は弱くなるというのは、散々ネズミで試したこと。


 確かに、脈は薄く速くなっていて、体温も低い。

 しかし、まだ人体にはそれほど明るくない僕が脈を探って測れるほどに、強く脈動しているのは不自然だ。



 ……いや、そもそもがおかしいのだ。


 こんな大怪我を負って、屋敷までやってこれたこと自体が不可解だ。

 彼女が住んでいるのがどこかは知らないが。前に出会った路地裏からここまではそこそこに距離がある。全身に四肢を失うような大けがを負い、出血性のショックで意識レベルが低下した状態で、たどり着けるはずがない。

 しかも、メイルダの話しぶりでは、屋敷に辿り着いたころにはまだ意識があったかのようだった。



 僕の知識にない、異常なまでの生命力。


 彼女には、そう……まだ見込みがある。

 生き残るだけの見込みが。


「マドニス。悪いけど、中止だ。延命措置をしよう」

「しかし……、先ほどロディオ様が言った通り、この子は無理なのではないですか? 私が言いたかったのは、殺してしまうのかということでして。私は素人ですが、流石にその怪我では死んでしまうのではないかと」



 普通なら確かにそうだろう。

 マドニスも魔物の狩猟などで、大まかな生き死にの境というのは理解しているはずだ。

 仮に今だけは生き残っても、感染のリスクもある。


 しかし、今回は。

 この奇病の少女に関しては、その常識は通じない。


 彼女の示した生命力と、僕がつい最近発明した除菌環境があれば、生き残ることができるかもしれない。



 僕は、汚染物である布をはぎ取った。

 当然、少女は全裸となる。

 少女を突然、裸にし始めたことで、マドニスにはすさまじく怪訝な眼で見られたが、医療行為だ。

 勘弁してほしい。


 それから、血を魔法で生み出した除染済みの水でふき取り。

 間近にあった研究用の『除染フィールド生成機』をもぎ取って、彼女の全身を覆うように設置した。


 飼料やおがくずにかけていたのと同じ除菌魔法で布を除染し、布を裂いて、素人ながら圧迫止血を試みる。

 まあ、あれだけ出血した後であっても安定した脈があったのだ。ある程度止血できれば、大丈夫だろう。



 そうして全身をミイラのように覆ったところで。

 あとは彼女の、その異常な生命力次第だ。


 死体の標本よりも、生きている方がずっといい。





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