第34話 はじめての魔法の実践練習


 僕はマドニス女史に屋外へと連れ出されていた。

 長い座学で屋内の暗さに慣れた目には、外の日差しはまぶしく思える。


 荒れ地のようにみえるヘイロー家の訓練場は、この家が意外と武力を重視していることを考えれば、見る人が見ると結構な品質の物になっているのだろう。

 そう考えてから見ると、この土地もよく整備されているように思える。

 土地はかなり広く、平坦にならされていて、サラサラの砂地。

 当たらずとも遠からずと言ったところじゃないだろうか。



 そんな訓練場の真ん中で、マドニスは僕を待っていた。


「それでは、まずはスキルで習得した魔法を見せてください」


 スキルに依らない魔法を習得するのにも、前提としてスキルの魔法を習得している必要があるらしい。

 まあ確かに、スキルによって補助輪でもつけなければ、人間にとって全く新しい感覚である魔法の発動なんて習得できないのだろう。


 しかし、残念なことに僕が習得している魔法スキルというのは……。


「僕が使えるのは治癒魔法だけだから、ここじゃ使えないんだけど」


 マドニスが一瞬、ピシッと固まった気がした。


「……ええ、まあ。そういうこともありますよね。そういうこともあるでしょう」


 それでも、使えるのがわかればそれでいいというわけらしく、マドニスは特に治癒魔法を使わせようとはしなかった。



「治癒の魔法ということは、五行系統の魔法の説明で出た通り、ロディオ様には水と命の才能はあるはずです。そちらから魔法を伸ばしていきましょう」


 魔法を新たに習得するために必要なものとは、縁だ。

 すでに身に着けている魔法から派生するように、縁を結んでいくことによって、できることを増やしていくことになる。


 五行の魔法を扱う利点の一つは、この習得の場面で大きな力を発揮することだ。

 体系化されて属性各々の関係性を説明している以上、一つの属性を扱うことができれば、そこからすぐに様々な種類の魔法へと手を伸ばすことができるのである。



 マドニス女史に促された僕は、中空に魔法を放つような感じで、魔力を放出した。


 しかし、ザンネン! 何も起きなかった。


 そりゃあまあ、これくらい自分でも試したしね。

 これだけで魔法が使えるようになるのなら、最初からどんな魔法も使えてるよ、っていうね。


「あれ、ダメですか?」

「逆に聞くけど、いける予定だったの?」


 座学の知識が身につけば、魔法が使えるようになるとでも思っていたのだろうか。


 ただ、よく考えれば、マドニスも新任の教師だ。

 なんでもかんでも知っていると期待するのも、酷というものなのかもしれない。



 そのあとも何度か魔力をプスプス出してみたけれど、一向に魔法のようなものが発動する気配はなかった。


「ロディオ様は、いまどんな魔法を使おうとしていますか?」


 さすがに見かねたのか、マドニス女史は口をはさんだ。


「最初は、特に考えずに魔力を出してたけど、途中は水を浮かべる魔法とかをイメージしていたかな」


 水を思い浮かべていたのは、単純に才能があるはずと言われた二つの属性の内、イメージしやすいからだ。

 もっとも【祈祷療術】の使い心地を考えると。イメージで魔法が発動するとは思えないんだけども。


「もしかしたら、治癒魔法は使えても、水の属性を扱うのがあまり得意ではないのかもしれませんね。命の方を試してみましょう」


 そんなことあるんだろうか。

 というか僕はその、属性に対して才能がある、とかいうこと自体にも懐疑派なんだけど。



「でも命の魔法って言われても全然わからないよ」

「そうかもしれませんね。無形元素はどんな魔法なのか、結局わかりづらいですから。一応私も命の魔法を扱えるので、見本を見せましょう」


 マドニス女史は、そう言って指先を地面につけた。


 しばらくすると、モリモリと砂地が揺れ始め。溶けたチーズのように半ば崩れながらも形を保とうとする、人に似た砂の塊が、ムクリと地面から起き上がった。



 ……。


「ちっさ!」


 しかし、その塊は、背丈が僕の膝にも満たなかった。


 確かに人型をしていたが。砂が湿って固まっていれば、公園の砂場でもギリギリ魔法抜きでも作れてしまいそうなほどだ。

 愛嬌のある顔をしているかと言えば、もはや顔の造形すらない。のっぺらぼうだ。


「はあ……。そうは言いますが、命の魔法は非常に難度が高い魔法なのです。習得しているだけでも称賛されるほどなのですよ?」


 口ではそう言っていても、マドニス女史もあまり自信なく、居心地の悪い様子だった。

 もともと得意ではないのを自覚していたのだろう。


 土くれの人形がそんなマドニスを慰めるように、ポンポンと足元をたたいている。


 これは自分でそうさせているのか?

 まさか魔法に意思があるわけでもあるまいし。



「命の魔法を理解して習得したいなら、様々に体感することが重要です。ほら、触ってみてください」


 そういいながら、マドニス女史は自分の作り出した土人形を持ち上げた。

 衝撃で、腕がほとんどなくなるほどに形が崩れたが。まだ、ヒトかもしれない?と思えるくらいには形を保っている。


 僕はそんな砂の人型に手を伸ばした。


 サラサラとした砂でできた表面を撫でるが、何か感じ取れたという感覚はない。

 しかし、砂の人形は、触れている僕の指を包むように、ほとんど残っていない腕を伸ばした。



 勝手に動く砂の人形。

 これは命だと言えるだろうか。


 そもそも生命という定義は、前世ですら議論の的になるほどに難しい問題だった。


 ホメオスタシスすなわち生物恒常性を持つことや、自己を複製し子孫を残すこと、外界と自身を隔てるものがあること、エネルギーを取り入れて代謝すること。

 そんな定義が有名となっていたが、それでもなお、定義に含まれないウイルスは生物ではないか、などと疑念を抱かれていた。



 この世界には命という属性がある。

 そうであれば、全知全能の神が定めたような、絶対的な生命の定義というものが定まるのだろうか。


 いや、そんなはずはない。

 属性も、生命という分類さえも、人間が勝手に定めたものだ。

 もとから「そうあれかし」と神に定められたものではなく。物理法則の合間を縫って偶発的に宇宙に生まれたシステム。機構が複雑になっただけで、本質的には砂山のパラドクスで考えられる"砂山"の定義のように、メレオロジー的虚無にある概念なのではないだろうか。


 ただ、この世界では、少なくともこの文化圏では、生命という存在の定義について、そこまで真剣に捉えていなかった。

 僕はこの世界で魂の存在を知ったが、それを観測できている様子もない。


 そんなにまで不完全な定義であっても、何の問題もないのだから。

 魔法における命の定義は、僕の勝手でいいのだ。




 ハッと目覚めたように、僕は魔法の訓練をしていたことを思い出した。


 しかし、僕が吸い込まれるように思考に意識が流されている間、世界の時間はほとんど進んでいなかった。

 変わらず僕の指はマドニス女史の作った土人形に触れているし、人形は僕の指に腕を絡ませている。


 適当でいい。

 そんななんとも形容しがたい生命のイメージが、僕の脳裏にはアリアリと焼き付いていて。

 僕はそれを形にするために、軽く魔力を流すだけでよかった。


 メイルダに教えてもらった魔力の流れる感覚が、指先を抜けていく。



 するとそこには、僕の人形が。

 僕の生み出した砂でできた命が現れていた。


「ハ、ハ、ハッ!」


 こんな力があるのなら、科学が発展しないのは当然だ。

 魔法があれば十分だ。

 魔法さえあればいい。


「僕はナンデモわかる……、ボクは最強。僕はカンペキでパーフェクトなマッドサイエンティストだ……!」




 ベシッと。

 僕の後頭部を、重々しくも、かまぼこで作ったような柔らかさのある物体が殴った。


 僕は正気に戻った。


「たまにいるんですよね。魔法を初めて自分で使ったとき、異常に全能感を感じてしまうような人が……」


 マドニスは何かを思い出す様に、「こういう人ほど優秀だったりするから困る……」と呟いた。

 一方、彼女が話しかけている相手、僕を張り倒した人物が──。


「助かりましたメイルダさん」

「ええ、万が一の場合に備えて、控えていて幸いでした。マッドサイエ……?とやらはよくわかりませんが、もし野放しにしていたら、坊ちゃまが何か黒歴史を作るところでございましたね」


 ……。

 なんだか、僕は暴走状態にあったみたいだ。

 マッドサイエンティスト的には自分が暴走するんじゃなくて、発明品を暴走させないといけないのに。



 状況を整理してみると。

 マドニスの手にしていた砂人形に触れた僕は、命の属性とやらに目覚めて魔法に覚醒。

 なんか小難しいことを考えている間に、気分が高揚し。

 そこを、どこかに控えていたメイルダのタコ足で、ぶん殴られて正気に戻ったと。


 どこからメイルダきたんだ?

 さっきまで、この隠れる場所もない訓練所にて、影も形もなかったはずだけど。


 まあいい。

 僕の秘密の目標であるマッドサイエンティストは、マッドサイエまでしか伝わっていないみたいだし大丈夫だろう。



 さっきまでのなんでもできそうな感じも消えてしまった僕だったが、魔法を発動する感覚は失っていなかったらしい。

 そのあとなら何度でも土人形を作り出すことができた。今ではもう、五体くらいの人形が並んでいる。


「やっぱりロディオ様は、命の属性に強い才能があったようですね」


 そう言うマドニスの作った土人形より、僕が作ったものの方がすでに数倍大きい。


 命の属性に秀でるって、どうなんだ?

 マッドサイエンティストっぽくはあるけど。普通に火とか水とかが使えた方が便利じゃないか?


 とも思ったけれど。

 マドニス女史が言うには、僕の最初の魔法である【祈祷療法】にかなり慣れていたからではないかと。

 まあたしかに、【祈祷療法】はかなりの回数使っている。それ以前に系統外スキルとして習得した魔法でもあるし。



 いずれにしても、属性の習得には得手不得手はあっても、絶対不可能ということはないらしく。

 がんばれば、誰でも全属性だって揃えられるらしい。


 がんばればなんとかなるのなら。命の属性という、使い道もよくわからん属性を引いてしまった僕は、今後はもっと実用的な魔法の習得のために努力していくしかないだろう。



 そうして。

 目的もなく作られて、誰にも求められることもなく、崩れ去っていく砂人形たちを見送って、しんみりした気持ちになりながら。

 僕の魔法練習の初日は終わったのだった。




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