第31話 新任家庭教師マドニス
「何とか間に合うようで安心しました」
「そうはいってもまだ一年あるんだ。数日遅れる程度なら、別に問題ないだろう?」
「そういうあなたの甘さが。イリーゼの奔放さや、ひいてはライナー先生の辞職を招いたのでは? 代わりに入る今度の先生だって、一体どんなレベルなのか……。言ってしまうと、私は不安です」
「フム。家庭教師としてのレベルだって? 立派な経歴じゃないか。魔道具ギルドの元研究員で、大学まで出てる」
ヘイロー家の大人たちは、屋敷の玄関にて、総出でイリーゼの新任家庭教師を待っていた。
一番上のアンネを教えていたライナーという先生は、イリーゼの奔放さを一年もの間、目の当たりにし、アンネの入学までを教え切ると早々に辞職してしまったのだという。
まあイリーゼを椅子に座らせて座学を教えられる自信は、僕にだってない。
アンネはよくてもイリーゼは、給料に対して割に合わない、と考えるのも不思議ではないだろう。
父さんたちは必死に引き留めていたらしいが、結局無理ということでライナー先生は去っていってしまった。
その影響は大きく。アンネの学校への出立も近いというのに、数日は屋敷がイリーゼの新任教師の急募の件で、持ち切りになっていたくらいだ。
本来なら、家庭教師なんてかなり長い間吟味して決めるような職柄だ。
そんな職種で急募を行って、そんな簡単にいい人材が捕まるだろうか……。と不安が広がっていたところ。
なぜかあっさりと、応募条件を満たすような人材が見つかったのだという。
大学まで出た、十分すぎるほどの人物だ。
そして僕だけは、その異色の経歴に二重に驚くこととなった。
なんでも、元魔道具ギルドの研究員で?
突然やめて僕の家に?
産業スパイなら、もう少し隠した方がいい。
なんてことを僕の方から教えてしまいたくなるくらいだ。
そんな理由があって。
僕は敵情視察として、コソコソ隠れながら、新人家庭教師の観察をしに来たのである。
「……見えない」
「まだ玄関も開けてないよ」
ウリアは勝手に僕についてきた。
まあ、順当にいけば、今回の家庭教師は僕とウリアにも教えることになる。
それで興味があってウリアも見に来たのだろう。
今のところ背丈に大きな差はないというのに、姉だからとか訳の分からないことを言って、今は僕の頭の上に顎を乗っけている。
ヤメロ! 僕の背が縮むだろう!
そうして親たちにバレない程度にガヤガヤしている時、ガチャリと重々しい音と共に、屋敷の玄関から光が射した。
「玄関までお迎えいただくとは光栄です」
「フムン。こちらこそ、ようこそお出でくださりました。マドニス女史、でよろしいかな」
マドニスと呼ばれたのは、赤髪のほっそりとした女性だった。
一度、旅支度を解いて来たらしく、ドレスに帽子と着飾っている。化粧っけがないというわけではないが、あまり化粧は得意ではないらしく、うっすらと目の下にクマが残っていた。
「ええ。今日からイリーゼお嬢様に教えることとなった、家庭教師のマドニス・ジョンリケィと申します。どうぞよろしくお願いします。ヘイロー男爵閣下、それから奥様方」
それからマドニス女史はイリーゼと顔を合わせるため、奥へと案内されていき、すぐに僕らからは見えなくなった。
「意外と、若い……」
「そうかも。僕も職場をやめた人って言うから、もっとオバさんかと思ってた」
ちなみにライナー先生はそこそこに年齢のいったおじさんだった。
ただ、僕的産業スパイ率は上がったように思える。
クマが残るくらいブラックっぽそうな職場から来てて、若くて権力がなさそう。
スパイとして、ピッタリではなかろうか。
そうして考えると。
最後に一瞬だけ、僕の方を見た気がするのは、はたして気のせいだったと言えるだろうか。
◇
産業スパイ云々以前に、イリーゼの教育の進み具合が不安ということらしく。
マドニス女史の仕事は、着任早々に始まった。
そう。
だからこそ怪しい。
そんな忙しいはずの時間を縫って、わざわざ僕に接触してきたのは。
「ようやく、お会いできましたね」
「僕は、別にお会いしようとは思っていませんでしたが」
「けれど、今朝。玄関で見ていたでしょう?」
「それなら僕の姉のウリアだって同じですよ」
僕から警戒されているということを察したらしく、マドニス女史は小さくため息をついた。
「腹芸はやめましょう。ロディオ様も普段通りでいいですよ。……たしかに私は、ロディオ様の『魔石残量インジケータ』に惹かれてここまできました」
「……言わせてもらうと。魔道具商工ギルドから、こんなあからさまに、直接来るとは思ってなかったよ」
「ええ、そう思われると思っていました。まずはその誤解を解きましょう。私は別に、ギルドの方から派遣されたわけではありません」
疑われるような身分だということを、軽く認めるのは意外だった。
でもそれは、身の潔白を示すわけではない。
人を騙そうとする人は、「騙す人はそんなことは言わない」と言って騙すのだ。
「言葉だけなら、なんとでも言えるね」
「はぁ、流石は世紀の発明をするだけはあるというわけですね……」
「世紀の発明?」
僕の『魔石残量インジケータ』のことで間違いないだろうが、外での評価はそんなことになっているとは思っていなかった。
「"魔道具に、魔法が刻まれた魔石は同時に二つ使えない"、という定説を覆してしまったのですから。世紀の発明と言っても過言ではないでしょう」
へぇ。やっぱりそういう定説はあったんだ。
僕的には、わざわざ自分で実験し、知り得た事象だった。
しかし、学術的な知識さえあれば実験で調べる必要はない。
科学とは歴史的な積み重ね。やはりこういうのは、一々自分で研究するよりも、信頼できる筋から習う方がずっと早いのだ。
「で、その世紀の発明家である僕に何のよう?」
「早速、自分から名乗るんですね……いえ、何でもありません。世紀の発明家であれば、会いたいと思うのは当然ではありませんか?」
「そうかな……、そうかもしれない。だけどそれで、その"誤解"とやらが解けるわけではないよね」
頑なな僕の様子に、マドニス女史も流石に単純な説得を試みるというのは諦めたらしく。
ゴソゴソと荷物から何かを取り出そうとする。
流石にこんな貴族の屋敷のど真ん中で僕を襲ったりはしないだろうけれど。一応僕も、"発明家"の【試作再現】にて『手投げ閃光グレネード』を発動させる準備をした。
『手投げ閃光グレネード』の開発は、実を言えばこの【試作再現】のスキルを前提にしたものである。つまり、魔力さえ残っていれば、無手から脱出手段が用意できてしまうのだ。
ありがたいことに僕の警戒の甲斐はなく。
マドニス女史が取り出したのは、手のひらに収まる程度の魔石、魔道具だった。まさか自爆テロをする意味はないので、何か別の意図があるのだろう。
「お見かけしたことはございませんか。これは、一度録音した音声を流すだけの魔道具です」
なんか突然、都会マウントを取られたが。
マドニス女史はその魔道具の効果を明かした。
そして、軽く魔力を流すと、録音されていたであろう音声が流れ始めた。
ガサゴソと大きなノイズが含まれているのは、なにもこの魔道具の性能だけの問題ではなく、ポケットか何かに入れて録音されたからだとわかる。
どうやら、どこかの場面で、盗聴を行なっているらしい。
その内容はすぐに判明した。
『今日付けで、私は魔道具商工ギルドを辞めさせていただきます』
マドニス女史のそんな言葉に対して、返答はもう意味のわからないほどの男性の怒号だった。
僕じゃなければ、小学生レベルの子供に聞かせる内容じゃない気がするけど。
とりあえず、マドニス女史も色々苦労してここまで来たようだ。
「お聞きいただいたように、私はもう魔道具ギルドとある種、敵対関係にございます。これでギルド側の者ではないと納得していただければ、と」
たしかに、敵対関係にあるのなら、彼女はスパイの類いではないということになる。
ただ、前世でフェイクニュースが蔓延る情報化社会を体験した人間としては、さっきの彼女の理論にも粗は見つけられる。
例えば、録音内で相手と示し合わせた場合。つまり怒号から全てが演技だったなら、この魔道具でも騙すことが可能だ。
ちなみに、編集したんじゃ、と思われるかもしれないが。実はそれはない。
そもそも、まさに彼女の言っていた"魔道具に、魔法が刻まれた魔石を二つ以上使えない"という法則の通り、編集を行う魔道具と編集後の音声を流す魔道具は一緒くたにする必要がある。
となると。あとから情報を編集するというだけでも魔道具として大変なのに、さらに追加機能まで加えることとなり、到底手のひらに収まるような魔石では済まないのだ。
まあ、そこまで凝って演技して、騙しにくるかと言われれば。……やる奴はやるだろうなぁ。
ただ、そこまで疑い始めると、もうそれは悪魔の証明に近い。
「僕にはどういう利点があるのかな」
「ロディオ様は僭越ながら、王都の魔道具に詳しくない様子ですから、それらを教えることができますよ。もちろん、ロディオ様が知りたがっていたと聞く、スキル外の魔法についても」
話は逸れるけど、こういう怪しい取引って、マッドサイエンティストらしくないだろうか。
別にそんな雰囲気におされたわけではないけれど。
ここは一旦引き入れて、ある程度の期間、ボロが出ないか観察していくしかないだろう。
第一、僕と彼女らの間には、僕に好都合な価値観の相違がある。
というのも僕は、マドニス女史や魔道具ギルドが求めてるであろう、『魔石残量インジケータ』をそこまで重視していない。
手元にお金や人材がある今なら、最悪流出して稼げなくなったとしても、これに拘らずに稼ぐ手段はあるのだ。
そう考えれば、魔法や最新の魔道具を教えてもらえるというのは、ローリスクハイリターンだとも言えるのである。
そうして僕は、結局マドニス女史を受け入れて、魔法の授業を習うことにしたのだった。
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