第20話 スメハラの末の運命の出会い
魔法具の作成の研究に着手して、しばらくの時間が経ったある日。
「あの、坊ちゃま。すこしよろしいですか?」
僕に話しかけてきたのは、珍しくメイルダ以外の使用人だった。
「最近、その……いんです」
「えっと、いま何て?」
メイドの声がしりすぼみになって聞き取ることができなかった。
「坊ちゃまは最近、クサいんです!」
彼女は大きく声を張り上げた。
「……へ?」
僕のニオイの原因、それは僕の部屋で飼ってるネズミだった。
ネズミを扱ってる研究施設の排気口付近の匂いとか、嗅いだことがある人はいるだろうか。まあいないかもしれないが、おが屑と微かな獣臭さ、それから糞尿のアンモニアが混ざったあの匂いだ。
部屋の匂いに慣れてしまうともう気にならないんだけど。僕の部屋の前を通りかかるだけのメイドたちには、それはそれは酷い悪臭に感じられるらしい。
この話をメイルダに相談すると。
「やっと気づいたのですね」
と、すげなくあしらわれてしまった。
「僕の方でも気を付けてるつもりだったんだけどなぁ」
「いえ、不十分です」
ピシャリとメイルダは僕の言葉を一刀両断した。
僕目線では排泄物など、割とまともに(実験に支障があると困るので)処理していたつもりなのだが、それでもまだ足りないということか。
「わたくしだって、このメイド服を坊ちゃまの部屋に入るたびに着替えているのですからね」
「そんなことしていたの?」
「ええ、服に匂いが移っては困りますからね」
そんな面倒を負いたくないから、僕の部屋に出入りするのが今ではメイルダだけになったのかもしれない。
メイルダが実質、専属になったのかとくらいに考えてたが、実はそんな理由があったとは。
匂いの方も、そりゃあ、多少は匂いはでていると思っていたけれど、そこまで深刻だとは想定していなかった。
しかも、最初に指摘してたメイド曰く、もはや僕の部屋どころではなく、僕自身が臭いのだという。
「人間でも感じるってことは、ネズミならもっとか……」
そこまで言われると、実験への影響さえも心配になってくる。
前世ではネズミの嗅覚はかなり発達していると言われていた。多分、食料などの生態がほぼ同じとなっているこの世界のネズミも、同様に嗅覚に優れているはずだ。
もしかしたらこの世界のネズミは匂いによるストレスに強く影響を受けてしまうかもしれないし、早いうちに対処しておいた方がいいかもしれない。
【祈祷療法】によって外傷などを治療したにもかかわらず、その後に死亡したネズミのサンプルはこれまでもいくつかあった。まあ自然死だろうけど。
もし、その原因の一部が匂いだったらと考えると検証の必要があるだろう。
場合によってはストレス耐性のもっと高いネズミなどを選別したり、品種改良したりする必要すら出てくるかもしれないからだ。
「わかったよ。じゃあ、これからはもっと匂いを減らせるように気を付けておく」
「それは結構な心掛けですが、もはや看過できるレベルではございませんので」
そう言い放ったメイルダの後ろには、もう何人もの掃除用具を手にしたメイドたちが姿を現していた。
「掃除は、私たちで、済ませておきますから」
◇
「いくら掃除するからって、追い出すことはないじゃないか……」
部屋に掃除が入ってしまった僕は、ヘイロー家の屋敷の廊下に放り出されていた。
「はあ、それにしてもネズミが心配だ。とち狂って殺されてないといいけど」
悪く言えば元凶であるネズミたちを見ている目は、まるで親の仇でも見ているかのようだった。
手が滑ってヤられてしまっていてもおかしくないかもしれない。彼女たちの圧は、それくらいのものがあった。
まあ。まだ継体とか品種改良とかは始めてないし、またその辺の野良ネズミを捕まえてくればいいんだけれどさ。
しかし、あの調子だと、何か改善を示さなければ、また同じようにネズミを飼い始めるというのはできないかもしれない。
ここは、ネズミはあきらめて、昆虫とかにシフトするべきだろうか。
蟲もたいがい匂いがすんじゃないかとは、僕も思うんだけど。こっちは、ウリアが飼っていてセーフだったから大丈夫なはずだ。
でも、医療関係の実験台としては、人間に近いネズミとかを扱った方がいいし……。
「ネズミも蟲もどっちもやる。ウン、それでいこう」
ドタドタとなぜだか急に走っていく使用人はいたが、僕は虫取り網と虫かごを探すため、物置へと足を向けた。
◇
ヨーロッパの古い街並みを思い浮かべるとわかりやすいかもしれないが。この文化圏では、街中には虫がわんさかいるような小さい草むらや公園はほとんどない。
これはおそらく気候や地質の問題で、僕が前世で済んでいた日本には四季があり、湿気も多い上、地震もあるというのだから建て替えが頻繁に行われていた。必然、空き地というものも増えてくるために、小さな公園や草むらが街中に存在していたのだ。
一方でヨーロッパやそれに近い気候のこの文化圏では、四季も湿気も地震もないために建物は長く残り続け、空き地となる土地は少なくなる。
本当にそういう訳なのかは分からないが、空き地や公園で行われる虫取りというものもあまりメジャーな遊びではない。
当然、虫取り網みたいな虫取りの道具といったものも広まっていない。
まあだからと言って、さすがの僕にも虫取りの文化を広めて儲けようなんてのは、だいぶ厳しいことはわかるし、そこまで虫取りには熱心になれない。
そうは言っても世の中には、そんな虫取りに精をだす一部変態的な輩もいるらしく。
何を隠そう、僕の姉、ウリアがそうなのである。
そのため、父が職人を呼んで作らせた虫取り網や虫かごが、このヘイロー家にだけは完備されていたのだ。
残念ながら、まことに残念ながら、それだけが彼女の趣味ではないのが悲しいところだ。
ところで、ウリアが蟲を飼っているのなら、彼女に貰ってくればいいじゃないか。
そういう声もあるだろう。
……うん。そのとおりだ。それでいい。
ぶっちゃけ今の僕は、その発想を忘れて外に跳び出てきてしまっただけだ。
いやホント。
なんで思いつかなかったんだろう。虫取り網と虫かごを手に取った時点で、気づいてしかるべきじゃないだろうか。
それとも、本能的に彼女の部屋に近づきたくなかったんだろうか。
まあここまで来てしまったからにはついでだし、なんか適当に使えそうな虫を見繕おう。
そうして街中を歩き回ったものの、いい感じに雑草の生えた空き地どころか、小さな植え込みすらほとんど存在しなかった。
「……森に行くしかないのか?」
最悪というか、実験的にはかなりアリ寄りのアリというか、ゴキブリとかでもいいんだが。
あいにく、都市部に生息するような生物の多くは夜行性だ。昼間には僕がそうそう見つけられないような巣窟に潜んでいる。
一応、裏路地っぽいあたりとかを見て回っているのだが、僕が求めるような大きめのサイズの蟲は見当たらない。おっきい怪しいオジサンとかはいくらでも見つかるんだけれども。
ほら、この路地にも一人。
モソリとかすかに動いたその影は、目深というかもうほとんど顎までフードで隠していた。
たぶん、視界のほとんどはフードで覆われて、もはや見えないんじゃないだろうか。
そんなに顔を隠したいなんて、どんな凶悪犯なんだ。
近寄らんとこ。
そう思っていたのだけれど、なぜかこういう時に限って目的のブツは見つかってしまうのだ。
彼の腰掛けるちょうど足元を、立っている状態ですぐ見えるくらいの大きめの虫が這っていた。
カマドウマのような見た目だ。
こういう暗い路地裏に生息するような連中は、たいがい雑食性で飼いやすいというのが相場だ。
欲しい。実験動物として、飼育が楽というのは重要な要素なのである。
「なにか、気に障るようなことでもしましたか……?」
意外なことに、かなり幼い子供の声だった。
僕がじっと、(正確には足元のカマドウマライクの虫を)見つめていることに気が付いたのか、路地にうずくまっていた人影は、顔をあげた。
その瞬間、僕の中から、彼女の身じろぎによって虫がどこかに逃げていったことなんか、どこかに行ってしまった。
奇形腫の一種と言えるだろうか。
驚くことに、その顔にはなんとヒトの手が生えている!
口内から頬のあたりに向けて、内側から手が肉を貫いてしまったかのように。しっかりとした五本の指と爪がそろった不気味なほどに健康的な手が、顔からつながっていた。
よく見ると、厚めの外套に浮き出る体の輪郭も、まるで何かが生えているかのようにいびつに歪んでいる。つまり、顔だけではないのだ。
シャム双生児の一種かと考えたけれど、手という体の一部だけがここまで完全に形成されるなんてことがあり得るだろうか。
しかし、僕の最初の所見でもある奇形種としても、こんなにまともな組織になるとは思えない。
僕の医学知識なんてお察しなので確実なことは言えないが。おそらくは、この世界に固有の病気、ということになるだろう。
なんたって体からタコの足が生えた人間だっているのだ。
この世界の人間には前世の世界の常識は通用しない。
むしろ彼女も病気ですらない可能性すらあるかもしれない。
辛うじて彼女が"彼女"であるということがわかる程度に、生えたその手によって変形した顔貌から覗くのは、おびえたような眼差しだった。
この時代、まだまだ彼女のような奇形には理解が及んでいないはずだ。
だが、こんな貴重なサンプルは、間違いなく他にない。彼女の存在を後世に残すことは、間違いなく医学の発展に寄与するはずだ。
邪険にされているようであれば、どうにかして買い取ってしまいたい。
巨人症の人間を標本として手に入れるために手を尽くしていたジョン・ハンターは、きっとこんな気分だったのだろう。
「キミ、名前は?」
彼女は首を振った。
それは名前がないということだろうか。
それとも教えたくなくて「勘弁してください」という意味だろうか。
「キミみたいな人……はまだいないけど、そういう特徴がある人に興味があるんだ」
「見世物小屋って、ことですか?」
この文化圏には、昔のサーカスにあったような見世物小屋というものが存在している。
あれも善し悪しだっただろうけど、今は人権団体のじの字もないのだから思いっきり幅を利かせていた。
彼女は僕を、そんな感じの集団の一員と勘違いしたのだろう。
そう言われれば、僕の貴族風のきらびやかな衣服も、芸人に見えるかもしれない。
「まさか違うよ。僕は、そう……、強いて言えば医学的な探究がしたいんだ」
「医学……、お医者さん?」
まあ確かに、すでに"祈祷師"のスキルを使えば、多少の医学は提供できるけれども。
「医者というか、医学の研究者なんだけど」
しかし、少女の目には、医者という言葉にむしろ怯えのような色が見えた。
この世界の医者はスキルのおかげで、前世の世界での中世の医師みたいな怪しさはないと思うんだが。
どうやら彼女には医学関連に対して根深いトラウマがあるらしい。
強い拒絶の姿勢に入られてしまったことを察した僕は、今のところは諦めることにした。
別に本当に彼女を諦めるわけじゃない。
たった今からウチに連れ帰るのを諦めたというだけのこと。
ヘイロー家の領地からはそうそう外に出ることはないし、この目立つ容姿だ。後から探しても何とか見つかることだろう。
「気が変わったら僕のところに来てよ。ヘイロー家の屋敷。一番でかい家だからわかるでしょ? 話は通しておくからさ」
こう言っておけば、彼女がもし仮に魔女狩り的に迫害されたとしても、最終的に僕のところに頼みの綱として来てくれるかもしれない。
これはそういう布石だ。
◇
そうして物的には得るものがなくても、十分な収穫を得てホクホクの僕は。
家につくやいなや、背後から近づかれた影に口をふさがれて、意識を失った。
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