第19話 異世界R&Dの迫る足音


 新しいジョブを手に入れて、ついにマッドサイエンティストらしい実験に着手し始めた僕。



「ネズミを捕まえたら、僕に渡してほしいんだ」

「えっと、ネズミですか……」


 しかし、そんな僕の実験環境の整備はというと、あんまりかんばしくない。


 炊事を担当している女中は、ネズミという言葉に思いっきり顔をしかめた。


「こんなのあんまり大きな声で言えないんですが。そりゃあ、たまには出ますよ、ネズミは」


 ネズミ──正確にはネズミに似た進化をたどったこの世界の全くの別種な動物。今後この説明は省くけど──と言えば、この世界でも不潔な動物の代名詞のようなものだ。

 炊事場に出入りする身としてなら、見たくもない存在なんだろう。


 ただ、そういう理由なので愛玩感情なんて1ミリもなく、彼女たちも実験に使うことに反対というわけではなかった。

 問題は別にあった。


「ですが、連中はすばしっこいもんで、私たちがマジマジと見れるのは罠にかかって半分死んでるようなやつくらいなんです」


 僕の実験環境が整わなかった理由。

 それは単にネズミが手に入らなかったからだ。

 特に生きているそれに関しては、なおさらに。


「じゃあ、罠にかかって死にかけてるやつでもいいから、お願いするよ」

「はぁ……そこまで言うなら承知しましたが、ちゃんと受け取ってくださいよ? あとからやっぱりなしというのはやめてくださいね」



 そういう訳で、実験を思い立って早数日が経つというのに、僕はそれほど生きた動物というのを扱うことはできていなかった。

 まあ仮に生きたネズミを維持するにしても、まだケージとかもそろってないしね。

 それでも、古典遺伝学の関連を研究するためにも、純系の実験動物の作成など、早め早めに進めておきたい研究基盤の準備は少なくない。相当に継代が速い生物を見つけても、年単位で時間がかかってしまうのだ。


 しかし、生体を扱えなかった間、なんの成果もありませんでした、なんていうわけでもない。

 不幸中の幸いというか、失敗からの偶然の発見というかで、【祈祷療術】について一つ興味深いことが分かった。

 なんと【祈祷療術】は、死体にも効果があったのだ。


 もっともこれは声高に大発見というほどのことではない。

 というのも、すでにこの文明圏では、そのような【祈祷療術】などの利用法が行われていたからだ。

 何処でか?というと葬儀の場面だ。


 なるほど、面白い使い方を考えたものだと思う。

 自然治癒は当然死体には効かないし、時間遡行するには時間が経ちすぎている。怪我をなかったことにする概念系統は本人による発動が条件に入っているものが多いし……。

 という訳で、神様にお祈りして叶えてもらうような治療魔法……、死体なのに治療って言えるのか? まあいいや、そういう魔法は死体の修復方法として活用されているのである。


 けれども、そんな利用方法が分かったところで、僕は別に葬儀屋になるじゃあるまいし。それ以外に上手い利用法も薄暗いものしか思いつかない。

 結局、【祈祷療術】を試したいときに、死体で十分な場合もあると判明しただけだ。それもだいぶ限定的。



 これで、ここ数日の成果は終わりである。


 対して今の僕は何をしているかというと、金策のための準備だ。

 より詳しく言えば、研究の準備のための金策のための研究のための準備となっている。

 うーん、これはひどい。


 生体実験をむやみに始めた僕は、研究環境が絶望的に整っていないという現実に直面した。

 しかし、だからといってただ手をこまねいているはずもなく、僕はすでに状況の解決のために動き始めているのだ。エライ!

 まあ、その結果が研究のための金策のための……なんですケドね



 金策といっても具体的には何をやっているのかと言えば、魔法具の開発である。


 異世界テンプレにならってリバーシを売る、という手ももちろん考えたが、残念ながら類似したおもちゃがすでに出回っていた。

 考えてみれば当然で。というのも、この世界はポストアポカリプス。気が遠くなるほど、とうの昔に開発済みとなっている。

 特にその手の娯楽製品は構造が単純なために用途もわかりやすく、現代まで伝来しているのだ。まあ、お陰でそれほど娯楽には困らないということでもあるけれど。



 そんな状況で、新しい事業の立ち上げという無茶ぶりを始めた訳だが、まずすぐに痛感したことがある。

 それは、資材も人手もないとできることは本当に限られる、ということだ。


 僕には加工技術がない。

 頭で思い描くだけなら単純で簡単な立体造形も、木材や金属の加工方法を知らなければ何も形にすることはできないのだ。

 この時点で、僕にできるのは小学生並の材料加工に限られる。


 そのうえ人手がないので、大量生産もできない。

 今のところ頼りになりそうなのは、僕のこの両腕と、あと数人くらいだ。とてもじゃないけど薄利多売でやっていくことはできない。


 こんな条件をクリアできるのは、それこそリバーシみたいなおもちゃくらい、と僕もそう思っていたんだけど。

 一つ思いついたのでそれに挑戦中だ。


 ◇


「ウリア様の悪い癖が移ったのかと、噂されておりましたよ。坊ちゃま」


 コトリ、と銀トレイに乗せられたティーセットが僕のそばのテーブルに添えられる。

 と、同時にお茶を注ぐ心地よい音。


 メイルダは最近、もはやその触腕を隠すことがなくなった。

 給仕の身につける手袋のような光沢のある生地で仕立てられた、手袋ならぬ触手袋にタコ足を通し。取手を巻き取るようにしてティーポットとカップを摘み上げている。


 僕がもし彼女の種族に生まれていたら、脚を操作するのにもこんがらがりそうだが。タコの足というのなら、メイルダの脚にも一つ一つに脳みそがくっついていて、それが器用な運動を助けているのだろうか。



 メイルダの身体の神秘に僕が思いを巡らせている間に、僕の手の中にティーカップを収めさせたメイルダは、続けて口にした。


「ネズミが終わったら、今度はなんです? 魔法具ですか。さまざまに手をお出しになりますね」

「ネズミも諦めたわけじゃないよ。全部使い切っちゃっただけ。それに欲しいものもできたしね」

「欲しいものでしたら、旦那様にお頼みになればよろしいのでは?」


 たしかにそれがお金で手に入るものならそれでいいだろう。

 金を稼ぐという観点だけで見れば、お小遣いを強請るほうがよっぽど多くもらえるに違いない。

 けれども、それでは手に入らないものもあるのだ。


「それじゃあ、ダメなんだ。僕の欲しいものはね」

「はぁ……」


 メイルダは疑いの目を向けていた。


「僕の欲しいものは、言ってしまえば人材だよ。だけどそれには、信頼が必要だ。僕が人を雇って何かをなせるってだけの信頼がね」


 人こそ、僕に足らないものだった。

 しかし、人材を手に入れるには、単にお金を用意するだけでは足らない。


 なぜなら、雇用という形になる以上、長期的にお金がかかることとなるからだ。これは、単なる一時金に過ぎない子供の物欲とは訳が違う。

 加えて、経済的な事由にとどまらず、雇用には法律や人間関係などウンとめんどくさい要素が絡んできてしまう。

 だからこそ、認められるだけの見込みと実績が必要となってくるのだ。


「いえ、魔法具を刻める人物を雇うくらいは、旦那様に頼めば出来るかと……」


 へ、へぇ……。

 なんだか、僕の計画が急に陳腐になった気がするけれど。


「でもまあ、こういうのは自分で身につけるのも大事だから。そういうことだから!」

「ロディオ坊ちゃまがそうおっしゃるのなら、それでいいのですが」


 それに僕がマッドな発明品を扱っていく以上、情報漏洩とか引き抜きとかの問題もあるしね。信頼できる人材である必要がある。

 たぶんそういうことだ。知らんけど。


 ◇


 さて、理由はどうあれ、魔法具の製作の援助を断ってしまったのだから、あとは自分で勉強していくしかない。


 今思い返せば、自分の研究機材も用意できないマッドサイエンティストというのも恰好がつかない。

 となれば遅かれ早かれ習得しなければならない技術だったのだ。そう考えれば、僕のあの判断がきっと英断だったと言える日も来るに違いない。

 まあ前世の研究では研究機材なんて外部から取り寄せることの方がずっと多かったけど。



 魔法具というのは一度軽く説明しているが、より詳しく今一度説明していくと。


 まずこの魔法具という技術は、魔石に魔法を技術と言える。

 しかし、魔法を覚えさせるといっても、まったく意味がわからないだろう。

 そこで言い方を少し変えると、魔法を焼き付けるというのが感覚として近い。


 具体的な方法の話となってしまうが。魔法具の生成では、魔物から取れたまっさらな魔石に対して、魔力を与えることで励起状態にし、そこに魔法という情報を書き込むということを行っている。

 僕の場合【祈祷療法】の魔法を刻むためには、情報を書き込む際に、スキルの発動という過程を挟むことになる。


 ただし、情報を書き込むと言っても、自由に編集をしたりすることはできない。

 例えば今の段階の僕では、生きている者には最大限に、死んでいる者には最低限に発動するといった、条件分岐のようなものはできない。


 それというのも、魔石に発動させる魔法というものは、オブジェクト指向的にふわっとした「なにか」に対して発動するという形になるからだ。もし前述のトリアージのようなことがしたいのなら、魔法を刻む段階で条件分岐をすることが必要となる。

 しかし、あいにくとスキルというものは良くも悪くも最適化された状態で勝手に発動してしまうため、ここに融通が利かない。そのため僕が魔石に魔法を覚えさせた場合、【祈祷療法】を使うか使わないかのオンオフを手動で行える程度で、消耗量も一定となってしまうのだ。

 スキルに依らない魔法というものをしっかりと習得して、条件分岐などのシステム的な処理を行えるようになれば、これらの問題も解決するのだろうが、それはまだまだ先の話となるだろう。


 つまり、今の僕には【祈祷療法】をそのまんま刻む程度で、実用的な魔法具の実現はまだまだ先……。



 と、言うのは、実は魔法具作成の話の半分だ。

 僕が今のところ参考にしている本によると、初心者向けには全く異なることが説明されている。

 それは、めちゃめちゃ単純なオンオフとかのメカニズムだった。


 当たり前の話として、魔法具もオンオフが制御できなければ運用もままならない。しかし魔石に刻む魔法やスキルそれ自体にオンオフの概念などあるはずもなく。それらは魔法具の製作過程において後から加えられる要素だ。

 ということは、さっきまで文句垂れていた魔法を覚えさせる段階とは別のところでなら、かなり単純ではあってもデジタル的な制御を行うことは可能なのだ。


 この文化圏では、こちら方面の制御については全く注目されていないらしく。

 参考本ではこのステップを、魔石の発光をチカチカ制御するみたいなごく単純な例を出して説明をするだけで、あとは本命のスキルや魔法を刻んで……、という方向に話をもっていっている。

 まあ確かに、刻みこむ魔法の方で制御できてしまうなら、この法則性を知ろうとするよりかは、書き込む魔法の方を変更する方が直接的で直感的だ。魔道具のシステム的な制御技術が捨て置かれてしまうのは、当然なのだろう。


 しかし、このオンオフのメカニズムだけをとっても、前世の電子工学や情報分野の基本を成している概念だ。

 その先にあるディジタルな世界を知る僕としては、この研究開発は外せない。

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