第16話 魔石と油断のトロフィー
ゴブリンに続いて、カケリグモとかいう巨大なクモをも軽々と仕留めたイリーゼは、死んだクモを検分していた。
「何かと戦っていた跡があるわね。死んだか、逃げているといいけど」
動いていた頃のワシャワシャした脚なんて見ていなかったけれど、たしかに死骸を見てみればイリーゼの剣で切られたのとは違う、もげたような跡があった。
そのうえ、体表を覆う毛には、ところどころエグれたように剥げている箇所も見て取れる。
これらは、僕が今世にて手にした目算視力1.0以上による成果だ。
こんなおぞましい物体を間近で見たくもない僕が近づくはずもなく、死骸からもイリーゼからも離れたところで見ていた。
前世の僕なら、この距離からでは黒っぽい塊にしか見えなかっただろう。
イリーゼは、カケリグモの死骸から小さな結晶のようなものを切りだしていた。
"魔結晶"や"魔石"などと呼ばれる物体だ。
魔石は、魔物の体内に生成される物体で、純度の高いものを魔結晶と呼んでいる。
今回取れたイリーゼのクモの魔石でも、ギリギリ魔結晶と呼べるか呼べないかという程度の扱いだ。
実はゴブリンの死体からも、かなり小さいものの魔石を取り出していたんだけれど。ゴブリンのものはその純度も低い上に、魔石以外にほとんど使える部位が存在しない。弱小な魔物と、そして弱小な狩人の悲しいところである。
そんなゴブリンの魔石でも集めているように。わざわざ切りだして集めているだけあって、魔石の価値は高い。
なぜならそれは、この文化圏の魔石の使い方が多岐にわたっているからだ。
一つは砕いて魔力にしてしまい、自分の強化に使う方法。
金にはならない自己投資だ。イリーゼや僕の場合には大体この利用法になる。
ただし、ここで得られる強化は、ステータスの経験値とは別換算のもので、イメージとしては魔力の上限の強化に近い。
次に、いわば魔力版のバッテリーとして使う方法。
"魔法具"と呼ばれる装置の一部は、魔石を動力源として活用しているため、富裕層向けに売り払ったり、公的機関が買い取ったり、という形になる。
この魔石の利用法は常に需要があるため、魔物を狩猟する人々にとって往々にして成果を金にするための手段となっている。
あとは、魔導回路に利用する方法。
魔法具になるという点では、動力源として利用することに近いが、実態は全く異なる。
まず、バッテリーの方は消耗品なのに対し、こちらは半永久的な利用法となる。
その代わりに純度が高い魔結晶である必要があるし、魔物の種類によっては利用できない。そのため、ものによっては純度以上に付加価値が与えられる。
そうなると狩人たちは、売れ筋の魔石に加え、魔物の強さとの対比といったコストパフォーマンスも把握して、狩猟をしていくことになる。
しかしこれ、ますます絶滅種が出てきそうなシステムだ。
前世で問題となった、食料や油などの消耗品目的の狩猟や、象牙に毛皮などの貴重品の取引など、種の絶滅や絶滅危惧を招いた構図にほとんど同じなのである。
前世で種の保全が重視されていたのは、あやふやな歴史的価値とか、生物種の持つ能力が役立つかもしれない……などと言われていた。
しかし今世ではそれは明白だ。
魔導回路としての利用法に生物種間の固有差があるからだ。そのうえ、この世界の生物が持つ能力は、前世以上に生体模倣の甲斐がある。
将来、生命工学から得られるはずだった技術を失わないために、種の保全が重要となるのである。
そのためにも、人間<<自然という構図が硬い今の内に、何か対策を取っていければいいのだけれど。
というか、ぶっちゃけ種の保全とかの概念を、この時期に提唱するだけで歴史に名前を残せそうだ。
まあ、いちマッドサイエンティストを目指す一般人として、それはどうなんだとは思う。
環境保全論者とか、むしろ目指すものの真逆もいいところじゃないか?
でも結局必要だし……。
「ロディ!!」
そんな風に魔石をはぎ取るイリーゼを見ながら考えていた僕を。
上から突然、ネバネバとした何かが襲った。
「なんだ、これ?」
それは一瞬で、僕の視界を白く染めた。
粘着質で、網のように縦横に編まれている。
ネチョリと糸を引き、絡みついているだけかと思いきや。手を伸ばそうとすると意外と固く、伸ばしきれない。
よく考えれば、網のようなものに捕まっている状況と言えるかもしれない。
ネトネトしたものが絡まっているという時点で、もうすでに僕の肌には鳥肌が立っていたが、状況がわかってくると段々寒気がしてきた。
いやな予感しかしない。
恐る恐るでも上を見上げようと心構えしている間に、僕の身体は急激な力によって上へと引っ張り上げられた。
そして目の前に映ったのは、巨大ながら無感情で無機質な目。
一対かと見間違えそうなほどに、二つだけが異様に発達している。
顔とも思いたくない、節のついた触脚だとか、ギラついていてひん曲がった牙だとか、どこからどうやって生えてるのかもよくわからない毛だとかの集まりの中でも、眼は溢れそうなほどに目立っていて。その他数個の黒光りする目が、奇形で増え過ぎてしまった異形のように思えるほど、他を圧して押し退けていた。
クモだ。
先ほどそこらへんで死骸になったはずのクモが、まだ動いて、僕を襲っている!
「うひぃいいい!!」
こういう生物は、動く物体を食べ物と認識するものだ、とわかっていても、僕の四肢は震えてしまう。
ついには僕の視界がすべてカケリグモの暗い金属質の目だけとなった時、僕の腕に鋭い痛みがはしった。
不器用な巨大な手が、ぶしつけに僕を握りこんだように、硬い折れ曲がった棒状のものが僕を包む。
もうだめだ、と僕が考え始めていたときに、僕の視界には金色の人影が写った。
「うちの弟に! 何してくれてんのよ!!」
直近だったからか、ゴブリンの時と違って、今度はその姿をよく見てとることができる。
金色の残像を残す人影の正体であり、僕の敬愛すべき姉、イリーゼは体躯を大きく弓なりに反らせて剣を振りかぶっていた。ここがどんな高さにあるのか知らないかのように、宙にとどまっている。
「……"魔剣士"アーツ……、【七天雷光】」
そうして放たれた剣撃は、日の光を反照して雷光のような軌跡を残した。
ランダムに曲がったように思えた斬撃は、的確にカケリグモの太い脚を切り飛ばしていく。
フッと僕を支えていた力が途切れ、僕の体は自由落下を始めた。
「うわ、……ッウぐぇ」
叫び声をあげる間もなく、僕の体はイリーゼに横抱きにされていた。
"ウぐぇ"はイリーゼに雑に扱われた僕からもれた音である。
地面にまで降りる間、僕の目の前にはクモの網越しに姉さんの顔が見えた。
間違いなく端正な美貌と言える気の強めな顔立ちは、くしゃりと歪んでいる。
たぶん僕の顔も、自由落下したときのあの臓器がふわっとする嫌な感覚で歪んでいることだろう。
まもなく地面に降り立ったあと。イリーゼに横抱きにされていた僕は、状態を確認するためにすぐに木を背にして寝かされた。
「無理やり連れてきたせいで……、ゴメンねロディ!」
「そんなことないよ。助けてくれてありがとう、姉さん」
口でそう言っても、ちょっとそれは思ってたのはヒミツだ。
「でもロディ、血が……」
えッ。それは聞いてない。
よく自分の体を見てみると、ネットリとしたクモ糸の絡んだ僕の服はところどころ破れていて、とくに大きな穴からは赤い血が見えていた。
「言われたら、痛い気がしてきた……!」
「大丈夫、きっとこれくらいかすり傷くらいのものよ!」
「ウッ、かすり傷でも……汚い野生動物につけられた傷跡は、病気の原因に……」
「それほんと!? ど、どどど、どうしよう?!」
怪我と聞いて思いつくのは感染症だ。
第二次世界大戦以前の戦争では、怪我に伴う感染症により多くの兵士が亡くなっていた。海賊の船員に腕や足が義肢のイメージがつくのも、感染症による壊疽を防ぐため、怪我をした部分は四肢ごと切り落としてしまっていたからと言われている。
そのため、そこに投入されたペニシリンに代表される感染症に有効な抗生物質は、多くの傷病兵や怪我人を救うこととなった。
傷口から病原菌が入ったと思って、改めて確認してみると、なんだか何かに縛られているかのように体が動かせない。
これも、僕の体内に入った病原菌か毒の影響だろうか。
しかし、当たり前だけど、この世界の医学は前世に遅れていて、感染症に対する対策なんて望めない。
「傷口から入った細菌が原因で……、敗血症に罹って、そのまま死んじゃうんだ……。こんなところで……。こんなことなら、先に抗生物質を開発しておくんだった……、うわぁぁああ゙」
「私のかわいいロディ……。そんな小さなかすり傷みたいな傷口から入ったサイキン?が原因で、ハイケツショウ?に罹ってそのまま死んじゃうの……?? そんなのイヤだ、うわぁぁああ゙」
そんな僕達の嘆きの声は、森の草木のざわめきに融けていった。
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