第3話 無駄というサイエンスに鬼門の言葉
絵本も読めなかった自分が懐かしい。
赤ん坊になってだいぶ頭が柔らかくなったのか、言語を習得するのにはあまり時間がかからなかった。
読むだけではなく聞く方も、今ではバッチリだ。
絵本によって大まかに言語を理解した僕は、次により難しい知識を得ることにした。
そのころになると、もう僕が本を破るようなタチではないことを理解してもらっていて、家にある分厚めの本にも触れることができていた。
まあ難しいと言っても言い回しの話で、読んでいるのは小説なんだけど。
それというのも専門書などを読むにはまだ早かった。
一度見てみたこともあるが、知らない言葉のオンパレードだったのだ。
その点、小説なら、知らない単語でも前後の文章から意味を推測できるし、さらに語彙を増やしていくことができる。
欲を言うなら、もっと子供向けの教材などで語彙を増やしていった方が、誤りなく習得していけるのだけど……。まあ、この世界にはまだ教育のための書物、といったものは発展していないのだろう。
というか、僕が一人歩きで勉強し過ぎなのかもしれない。
家庭教師でも頼むか? 一考の余地ありかもしれない。
勉強の方は、この通り進展があった。
しかし、魔法の方は、毎日見せつけられる癖に一向に習得できない。言語習得とは打って変わってサッパリだ。
これこそ教師を呼ぶべきものだろうが、魔法を使えるメイドに聞いても、あいまいな笑いをされるだけだった。
もしかして、僕には魔法が使えないんだろうか。
◇
そんなことを考えていた僕だが、ある日突然父親に呼ばれた。
場所は父の書斎だ。
逆光を背にしているせいで、その姿ははっきりとは見えない。
「ロディオ、お前も5歳になったか」
お前もと父に言われたのは、ほんの数か月前にも姉の一人が5歳になったからだと思う。
「ハイ。7日前に誕生日を迎えて、5歳です。父さん」
父は満足そうに頷いた。
感慨深いみたいな表情をしてるけど、誕生日は今日じゃない。
息子の誕生日忘れたんだろうか。
と、思っていたけど、そうではなかったらしい。
「フム。今月5歳の誕生日を迎える子供のための"伺神祭"が、明後日行われる。ついては準備しておくように」
「わかりました」
"伺神祭"というのは知らない単語だ。
さっぱり何のことかわからないけど、まあここは適当にうなづいて、後で調べておこう。
「その歳で伺神祭のことまで知っている、か。さすがは本をよく読んでいるだけはあるな」
「ありがとうございます」
「フム……。これはもしや、初めての伺神で何か祝福を得られるやもしれん。ヘイロー家にふさわしい者となることを期待しているぞ」
そう言って、父さんは満足そうに笑い声をあげた。
なんだか専門用語がよくわからなかったけど、ヘイロー家にふさわしい者として「フムッフッフッ」という変な笑い方はやめた方がいいと思う。
◇
さて、父から用事を仰せつかったわけだけれど。
用事があるのが、明日です! という話なら、今日中に準備しないといけないことや、片付けなども出てくる。しかし、明後日と言われると、まあやることはあまりない。
今日やってしまうと、邪魔になって結局一度元に戻すなんてことになりかねないのだ。というのは言い訳で、明日やればいいかと放り投げているだけだとも言う。
それでもやる気は起きないというのは事実なので、興味のあることを片付けてしまおう。
"伺神祭"とかいうのは結局何だったんだろうか。
こういう時にはスマホを失った不便さが身に染みる。
僕はなぜ転生したときにスマホを転生チートでもらえなかったんだろうか。
いや、それどころか今のところ、チートの一つも貰っていないようなのだけれども。
まあ、そんな愚痴を言っていても仕方ない。
いつもそうしているように、本に齧りついて調べるしかないということだ。
僕はいつものように図書室の一角に居を構えて、本を開いた。
「ロディオ坊ちゃま、今日は何かお探しでしょうか」
僕が本棚の前に陣取っていると、後ろから声をかけられた。
女性の声だ。
そこに立っていたのは、ヘイロー家に仕える使用人の女性だった。
彼女は、たしかメイルダと呼ばれていた。上の名前までは覚えてないが、父の信頼も厚い女中だ。
若々しくも柔和な雰囲気を醸し出しているが、メイルダはその見た目にそぐわず長年勤めているのだと聞いたことがある。
「いや、別に……」
「ですが、坊ちゃまはいつもに増して随分と読み漁っているご様子」
父からの信頼が厚いということは、父に筒抜けであるということだ。
口を濁した僕に、メイルダはにこやかな表情のままに指摘した。
確かに、僕の周りにはそれはもう山となって本が積まれていた。
それには理由があって。
辞書というものがまだロクにないこの世界では、単語を知りたい場合には、とりあえず本を読み漁って、その単語が出てくるのを待つしかない。
だから今回のように一つの単語を調べるには、関係ありそうな本を一通り集めて、雑に本斜め読みしていく必要があるということだ。
単語の意味を忘れてしまった時にあまりにめんどくさすぎたので、もう自分で辞書を作ったくらいだ。単語帳クラスだけど、用法などを細目にまとめている。ちなみに紙とぺンは言ったらもらえた。
もっとも、そんな大層なものの完成を待つよりもずっと簡単な方法もある。
「ご安心ください。お父様にはご報告いたしませんよ」
「……伺神祭について知りたいんだ」
僕はフーっとため息をつきながら言った。
簡単な方法。──それは人に聞くことだ。
当たり前かもしれないけど、メイルダは僕を笑ったりはしなかった。
「明後日のことについて、お調べになっているのですね。感心しますよ」
むしろ驚いたといった口ぶりだが、メイルダに驚きの表情はない。
こういうなんでも見透かしていそうな彼女の雰囲気が、僕は何というか、苦手だ。
「伺神祭というのは、ご存じのように5歳を祝うお祭りです。しかしながら、その主となるのは、神にお伺いするという儀式。つまりは神に与えられた祝福を初めて確認することなのです」
メイルダはすらすらと教えてくれた。
5歳を祝うお祭りだとはご存じではなかったが。要するに、伺神祭とは祝福とやらを確認する儀式らしい。
「それって、つまり、祝福がいいものでないと困ったことになるってこと?」
「そんなことはありませんよ、坊ちゃま。祝福はその人の人生経験に対して贈られるもの。ですから、最初から祝福を与えられていること自体ごく稀です。それに、与えられていなかったとしても、その者が生涯凡庸であるということにもなりません」
優れた祝福をもらえなければ一貫の終わり、みたいなシステムではないということだろう。
クソ雑魚祝福で追放からの、覚醒俺TUEEEものではないことが判明してしまった。なんてこった。これじゃあ大追放時代についていけてないぜ。ん? そんなのとっくに終わったって? HAHAHA御冗談を。
なんて御冗談はさておき。
その口ぶりから察するに、なんだか祝福というものは気軽に変えられるような、そんな気楽なもののようだ。
「祝福は、毎年みんな伺神祭で確認するの?」
「伺神祭は、一度経験すればそれでおしまいです。伺神祭を経てからは、"教会"に行かなくとも祝福を自分で確認できるようになりますし。それがどういうものかも、明後日の伺神祭が終われば、ロディオ坊ちゃまならきっとすぐお分かりになりますよ」
「教会?」
「ええ、神のお膝元。教会です」
たしかに、そういえばどこでやるかなんて聞いていなかった。まあ、神とか言ってたから、おおむね教会だろうとは思っていたけどね。ホントダヨ。
しかし、となると、この世界では宗教組織が文字通りに力を持っているということになる。それは何というか、何とも業が深くなっていそうな社会だ。
そのうえ、儀式に必要な設備もすべて教会に揃っているらしい。どうあっても避けては通れないようだ。
僕が目指すマッドサイエンティストなんて反宗教の権化みたいな存在だ。
神秘を破り、真実をつまびらかにするのが科学者な時点で反宗教的なのに、マッドサイエンティストにもなると、倫理を投げ打って冒涜的な研究するものなのだから。
けれど、ここはガマンするしかない。
科学者はガリレオ・ガリレイのように何があっても真実を主張すべき、なんて意見もあるだろうけど。打算的でもあるマッドサイエンティストには、雌伏の時というものがあっても悪くはない。むしろ隠れて反社会的な研究をしてる方が、どちらかというとマッドっぽい。
それに加えて、科学は必ずしも宗教と対立してきたわけではないのも、また事実だ。
ガリレオ裁判のせいで宗教=反科学みたいなイメージがついているが、歴史的に見れば宗教はむしろ科学を推し進めた側。
その理由は神の作った世界をより正しく知るため、という宗教らしい理由だったけど。この世界はまだ、前世の文化観から見れば、その過去にあたるのだ。
であれば、なにも問題はない。
フム。宗教とは、これからきっと、仲良くしていこうではないか。
ところでだけど。
伺神祭に必要な設備はすべて教会にあるのだという。
なので、伺神祭のために僕が持って行ったりするものは特になく。
僕がすべきような前日準備も特にない。
つまりは、そう。
今日、僕が本を読み漁っていたのは無駄骨だったということだ。
恨むぞ、「準備しておけ」とか言ってた父さん。
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