本屋なんだから本を売れ

頼むから普通に売ってくれ

 春が近付いた3月の夕闇は、紺色と朱色が混ざった紫色をしている。昼と夜がはっきりしないぼんやりとした境界線の上で、いくつかの星がこれまたぼんやりと光を放っていた。


 そうして空が暗くなるにつれ、反対に町は明るくなる。下柳商店街の店先にもぽつぽつと明かりが灯り、錆びた商店街入り口のアーチ看板から続く薄暗いレンガ造りの道を照らしていた。そのレンガの上を履きなれたこげ茶のローファーで踏みながら、平子里香ひらこりかは神妙な面持ちで歩いていく。


 左手に持ったスマホを、親指でスワイプする。ながらスマホも慣れたもので、すれ違う歩行者もすいすいと避けて蛇行しながらスマホを操作した。小さい頃から通っているこの商店街は、もはや目をつぶっても歩けるくらい馴染みがある。


 時折画面に目を近づけては、これじゃないとバックキーを押す。いつも眠そうなクラスの担任より頼りにしているネット検索も、こんな中途半端な田舎では満足に活躍できないらしい。ないものはない、と表示されたスマホの電源を落として、ため息をつく。いくら検索しても、この町に本屋は1店舗しかないのだ。


 どうして今日に限って……いや、予約しておかなかった自分が悪い、でも……思い出すと、うああと小さく叫んでしまいそうになる今日の放課後のことを、なんとかして忘れようと頭を振る。ああ!今日は大好きな作家、長谷川弘はせがわひろしの5年ぶりの新刊発売日だったのに!絶対に発売日に読むって決めていたのに!


 ずっと楽しみに待っていた新刊発売日だが、今日はいつもの本屋が定休日なので、少し足をのばして2つ隣町の大きな本屋に行くつもりだった。しかし、早く帰りたい時に限って、普段は活動などほとんどしていない生徒会の雑務を頼まれてしまうのはいつものこと。本当に今やるべきことなのか?という雑務を何個も何個もこなしていたら、すっかり日が暮れてしまった。


 田舎の本屋は閉まるのが早い。今から数えるほどしかない本数の電車で2つ隣町に行くとなると、閉店時間をギリギリ過ぎた時間に到着することになる。こんなことなら、頼まれても書記になんてなるんじゃなかった。今更悔やんでもどうしようもないことを考えては、左手のスマホを握りなおす。


 あまり遅くなっては母が心配するし、知った道とはいえ暗くなってから1人で歩くのはさすがに怖い。諦めろ諦めろ……と呟きながら、スピーカーからガビガビと音割れした謎の音楽が流れる商店街を抜け、最後の肉屋の前を通り過ぎたとき、里香はいつもと違う不気味な違和感に気が付いた。なんとなく変な予感がして、来た道を振り返る。


『ほんあります』


 特に変わらないような商店街の風景だが、いつもなら肉屋の段ボールが積み重なっている場所に、みたことのない小さな木の看板が立っている。おそらくこれが違和感の正体だろう。


 里香の腰あたりに立てられたそれをよく見てみると、『ほんあります』の手書き文字の後に赤い矢印が添えてある。ほん、本かあ。商店街の先に本屋なんてあったかな?とは思いつつ、どうしても今日中に本屋に行きたい気持ちが勝ち、耐えられなくなった里香は、鞄の紐を両手で握りしめながら、矢印の示すまま進んでみることにした。

 

「こん、ぺい、とう」


 2月なのに不思議と寒さを感じない、狭い石畳の脇道をしばらく進むと、突き当りに小さな木造の家のようなものが建っていた。屋根の中央に設置された、丁寧にニスを塗った木製の看板には『金平糖』と大きな文字で書いてある。入り口の立て看板の文字と同じ、ややふやけたようなぐにゃりとした文字が、ここが本屋であることを示している。


 怪しい。まるでヘンゼルとグレーテルだ。里香は昔読んだ童話のワンシーンを思い出し、自分がごうごうと燃え盛るかまどの中に蹴り入れられる姿を想像した。あれは子供たちの方ではなく、お菓子の家を作った魔女の方だったか。童話って、何故か恐ろしいところだけが鮮明に頭に焼き付いて、楽しいはずの話の内容はそれほど覚えていないんだよな。もしかしたら、ここもそれほど怖いお店でもないかもしれない。それにせっかくここまで来たし、と思ったよりも軽い木製の引き戸をガラリと開けた。


「いらっしゃい」


 恐る恐る店に入ると、店中央のカウンターに立つ、背の高い男がにこりとこちらに笑いかける。肩までの艶のある黒髪をきれいに整え、薄紫の着物を着た不思議な青年だった。その妖しげな笑みに少し気おされつつも、店の敷居を跨ぐ。狭い店の中で青年をよく見ると、髪を後ろで軽くまとめ、簪を挿しているようであった。風もないのに、簪についた銀の飾りがしゃらしゃらと揺れて店の薄明かりを反射している。


「こんにちは……」


 挨拶しつつ、里香は店内を見回す。外観から想像したように、店内も木で囲まれた古い造りだったが、不思議と古臭い感じはしなかった。しかし、『ほんあります』と書かれていた割には店内のどこを見回しても本のようなものは一切なく、代わりに多種多様な絵柄で描かれたイラストや水墨画が、壁一面に乱雑に飾ってある。それらは1枚1枚が丁寧に描かれており、思わず見惚れてこの店の不気味さを忘れさせる程だった。


「呑兵衛侍パリへ行く、あるよ」


「えっ?」


「探してたんじゃないの?」


 一面の絵をぼうっと眺めている間に、青年は里香の近くまで来ていたらしい。低く艶やかな声に驚き慌てて振り向くと、笑顔の青年の手に、探し求めた本が収まっていた。思わず、なんで、と本に手を伸ばしたが、青年の白い両手はひらりとそれをかわす。


「ここは本屋だよ?タダではあげられない」


「それはもちろん!おいくらですか?」


「お金はいらないんだ」


 探し求めていた本の登場に、里香が慌てて鞄の中から財布を探していると、その手を上から覆うように青年の手が静止した。青年の手の冷たさに、里香は驚いて後ずさる。


「物々交換だよ。なにか面白い本をちょうだい」


「面白い本……?」


「そう。僕が読んだことのない、面白い本ね」


 とはいえ大体の本は読みつくしちゃったんだけどね、と青年が笑う。


 お金はいらない、と今確かに言っていた。物々交換ということは、青年の言う通り、面白い本とやらを渡せば、探し求めていたあの本を譲ってくれるということだろうか。


 しかし、面白い本……?里香は右手を顎に当て、考え込む。それに、大体の本を読んだって、どのくらいのことを言うのだろう……。見た目からすると年齢は20代後半から30代前半ってとこだけど……。里香はじろりと目の前の青年の顔を見ると、青年の言う条件について考えた。どう見てもこの世にある全ての本を読み終えた、なんて無理のある年齢だ。というか、そんなこと90のお爺さんにだって到底無理だろう。となると、読んだことのないジャンルの本、ということだろうか?


「ちなみに絵本とかラノベとか、ジャンル問わず読むよ、僕は」


「じゃあ、」


「図鑑も読んだし辞書も読んだ。地図に載ってない国の本だって読んだよ」


「まさか、世界中の全ての本を読んだとか言います?」


「そうだね。僕は人間よりだいぶ長生きな狐だから」


「きつね」


 青年のあまりに突飛な言葉に、里香は思わずオウム返しをしてしまった。狐?狐ってあの狐のこと?


 この人は、自分をからかっているのかもしれない。たぶんだけど、長谷川弘の新刊を自慢したいだけで、最初から譲る気なんてないんだ。そう考えると、里香はこんな会話をしている自分がアホらしく思えてきた。馬鹿にしてくれちゃって。なんだか悔しい。私は必死でその本を探していたのに。後ずさりした分の歩幅をずいっと前に進むと、青年は驚いた様子で、反対に後ずさった。


「じゃあ、このお店も狐だから金平糖、ですか」


「そうだコーン」


「……金平とうもろこしにでも改名したら」


 この男、話していると、見た目の妖しさも相まってなんだか胡散臭い。小綺麗に身なりを整えている分、それなりのお金持ちなのかもしれないと思わせる雰囲気もあるが、どこか人を馬鹿にしている。それこそお話に出てくる、お地蔵さんに化けて人を驚かす悪い狐みたいに。里香は更にぐっと前に踏み込むと、壁の絵を指さして言った。


「大体の本を読み終えたのなら、自分で絵本でも描けば」


「絵本?僕が?」


「そう。あなたこんなに絵が上手いんだから、自分で本でも作ればいいじゃない」


 それはさすがのあなたでも読んだことないでしょ、と里香は吐き捨てるように言うと、出口へ向かおうと踵を返す。長谷川弘の新刊、今日中に読みたかったな、と少々残念な気持ちはあるものの、これ以上この男に付き合うのも嫌だった。大股で板張りの床を踏み、戸に手をかけたとき、ひやりとした長細い指が自分の手首を掴む。ひっ、と小さく悲鳴を上げて振り向くと、すぐ目の前に、目を輝かせた青年が口角を上げて立っていた。


「その発想はなかった!」


「はあ……?」


「僕が自分で本を、か。考えたこともなかったよ」


 青年は、里香の手を掴んだままうっとりと恍惚の表情を浮かべている。しばらく店のいたるところにある自分の絵を見回したかと思うと、金色の目で里香を見据え、笑った。


「じゃあ、文章は君に任せるね」


「は?」


「だって僕、文才ないからさ」


「いや、ちょっと、私だってないし勝手に決めないで!」


「え~この本あげようかなと思ってたのに」


 里香の目の前で、『呑兵衛侍パリへ行く』が揺れる。無情にも恋焦がれた長谷川弘の新刊は、哀れにも知らない男に片手でつまみ上げられ、プラプラと雑に揺らされていた。振り子のように目の前の本の動きを目で追う里香は、青年のその行為がどうしても許せなかったのと同時に、初めて見る本の現物に、我慢の糸がプツンと切れてしまった。怒りに震えながら、唸るように言葉を吐く。


「書いたら、それくれるの……?」


「もちろん!今日お持ち帰りでも良いよ」


「くっ……」


 文才は自分にもない、それは充分理解しているが、絵本の文章を考えるくらいなら、と甘い気持ちが湧き上がり、里香は唇を噛む。小さい頃から本が好きで、自分だって読んだ本の数は自慢できる。そう思うと、やれるような気がしてきた。青年は、上機嫌のまま里香の手を取る。


「この店はこれから、君と僕の本を売る店にしよう」


「今より本屋らしくなってしまった……」


「僕の名前はコンだから、君の苗字と合わせてちょうどいいね。同じ志を持つ者として、金平党、に改名してもいい」


「ださいからそれはやめて」


 里香は、金、と名乗る青年の手から本を奪い取ると、厚みのあるハードカバーのそれを自分の両手で強く抱きしめた。夢にまで見た長谷川弘の新刊、発売日に読めるんだ……!正直だいぶややこしいものを代償にしてしまった気がしないではないが、そんなことより今はこの本を青年から救出できたことが嬉しい。ツルツルした表紙をひと撫ですると、恭しく持っていた鞄にしまった。そこで、はっと気付いて青年の手をはらう。


「なんで私の名前知ってるの」


「それはさあ、言ってもないのに欲しい本知ってる時点で聞かなきゃじゃない?」


 確かに、入店した時点で里香は挨拶しかしていない。長谷川弘の新刊、などとこの店に入ってから一度も口にしていないのだ。それなのに、青年は里香の顔を見ただけで欲しい本を懐から取り出していた。里香は、青年の細められた目の中に、ぞくりとする妖しい光を見つけて身震いした。


「とって喰ったりしないよ、安心して」


「……どうだか」


「大丈夫だよ。この800年、人なんて1回しか食べたことないんだから」


「えっ……」


「うっそコーン」


 着物の袖を口元に上げてケラケラと笑う青年に、先ほど感じた妖しさとは違う胡散臭さを覚えてとりあえず安堵しつつ、里香は、改めてこの得体のしれない自称・狐と本欲しさに組んでしまったことを激しく後悔した。先ほどの悪寒などどこかへ消し飛び、ただただ行き場のないイラつきが里香のなかに燻る。ムカつく……!不快感を隠さず睨みつけると、青年はまた綺麗に唇で弧を描いた。


「これからよろしくね、里香」






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