今日も私は、本屋で夢を見る

茅野 明空(かやの めあ)

第1話



 私は、本屋が好きだ。


 暇があれば本屋に行く。目的地が全然違う場所でも、その途中に本屋があれば光に誘われる虫のようにヨヨヨッと吸い込まれていく。そしてふと気づくと数時間経っていたりする。本屋の時間の流れ方は独特だ。


 昔はもらえるお小遣いが少なく、そんなに気軽に本なんて買えなかったから、入り浸っていたのはもっぱら図書館だった。


 家の近くの小さい図書館に足繁く通い、児童図書コーナーの伝記以外の本を片っ端から読み漁った。図書館の本をあらかた読み終えてしまった私には、時折親に連れられていく本屋は夢のような場所だった。

 知らない本、新しい本がいっぱいある。装丁も美しく、燦然と輝くような新品の本がずらっと並んでいる。お金さえあればあれもこれも買えるのにと、子供心に歯痒く思ったものだ。


 だからこそ、大人になった今、本屋に行くのが楽しくてしょうがない。


 あれもこれも、買おうと思えば買えるのだ。ふふふ、歳をとって失うものは多々あれど、本屋で好きな本を好きな時に買えるっていうのは、大人にとって一番の特権ではなかろうか。

 

 そもそも、本の何がすごいって、そこには一人の人間の人生や思想や魂が思いっきり込められているのだ。絵画や彫刻と同じように、それはその人間が死んでも、この世に残り続ける。それは自費出版の本であっても電子書籍であってもweb小説であっても同じだと思う。

 本屋にある数えきれない本たちの中に、数多の人々のそういった心が眠っている。それを思うたびに、私は本屋の中で、本たちの放つ人智を超えたパワーのようなものを感じて奮い立つのだ。


 そのパワーは読者にとってのエネルギーとなり、またこの世界を循環する。この目に見えない力の巡りを感じるのが好きだから、私は本屋が好きなのかもしれない。もちろん、同じ理由で博物館や美術館も好き。


 私は、小学校の頃から、気がつくと話を書いていた。最初は絵もつけて絵本風に。そのうち文芸部に入り、仲間たちと切磋琢磨して面白い話を書こうと躍起になった。それから、やはり細々と書き続けている。


 なぜ、創作するのだろうか。


 人によって理由は様々あると思うが、私が創作をする理由は、“死が怖い”からだ。

 死んだら何もかも消えてなくなる。そう思ったら怖くてたまらないのだが、自分の書いた小説が何某かの形で残ったらと思うと、その恐怖が少し和らぐのだ。

 私の思想、人生、魂が、分霊箱のようにこの世に残ってくれると思えるから。さらにその小説が、誰かの暇つぶしになり、心を軽くしたり、感動を与えるものになれたら、こんなに生きてよかったと思えることはないのではないか。

 だからある意味、私にとって創作は“宗教”に近いのかもしれない。もうそういう宗派に下ってしまったのだ。これはもう、しょうがない。



 そんなわけで、今日も私は本屋で夢想する。

 私の小説が本という形を成し、大好きな本屋の棚に燦然と並べられる光景を。

 これは私の、一生の夢だ。








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