待っているよ
杜村
とある日
久しぶりの出張だった。
工業用化学薬品メーカーに勤めて、もうすぐ15年。初めて、付き合いのない会社へ行くことになった。先方は、北関東の郡部にある町工場。受注できたとしても小口だからと、上司もはなからやる気がなかった。
「まあ、1回か2回行ったら縁の切れる話だと思うけど、よろしく頼むよ」
絶対にまとめて来いとプレッシャーをかけられるのも辛いが、ここまでどうでもいい仕事を振られるのも辛い。
コンビニも無い駅前に降り立ったところで、スマホに着信があった。
『あー、本日はお世話になります。駅に着いたところですよね?』
社長直々の電話だ。
「はい。これから御社に」
『それなんですわ。いやあ、まことに申し訳ないんですが、2、いや、1時間半、約束の時間を後ろにずらしてもらいたいんです』
「は?」
思わず声が出てしまった。
新幹線と在来線を乗り継いで、3時間以上かけてやって来たところでいきなりだ。だが、小さな町工場とはいえ客である。拒否のしようがない。
電話を切ってから、改めて駅前の景色を眺めた。コンビニどころか、喫茶店、飲食店もない。幸い天気は良い。仕方なく、あてもないのに歩き始めた。
金曜日の午前10時過ぎ。通勤通学の時間を過ぎて人通りもほぼ無い。
駅前から左右に伸びる狭い通りには統一性は無く、ぽつりぽつりと古い店舗があるのみで、ほとんどが錆びたシャッターを下ろしたきり。かろうじて営業しているのが美容院、肉屋、和菓子屋か。
進行方向にある間口の広い木造二階建て、瓦屋根の渋い店から白髪の老人が出てきたので何気なく目をやった。大きく開けられた引き戸の向こうに、雑誌の並んだラックが見えた。
本屋だ。
本屋なら、店員に話しかけられることもないだろう。背表紙を眺めて時間を潰そうと入ってみた。
入ってすぐに、独特の匂いにあれっと首を傾げた。
新刊本ではなくて、古書店にあるちょっと酸っぱいような匂いだ。それでも、数は少ないながら並んでいる雑誌は新しい。
思ったより広い店内の奥へと進むと、手前から漫画の単行本、次が料理や趣味の本、それから参考書類、文庫本、単行本の棚になっている。確かに古書店ではない。
しかし、脈絡なく並べられた単行本の1冊を見て驚いた。古いのだ。
背表紙の色も褪せた1冊を抜き取って奥付けを見ると、発行年は平成一桁。他にも似たり寄ったりの本が並んでいる。
商業施設で、新古書販売というイベントを見たことがあるが、それを上回るような品揃えである。本の販売システムがどうなっているのか知らないが、売れなかった本をそのまま置いておいたらスペースが無くなって、仕入れを止めたのだろうか。漫画はそれなりに最近の売れ筋が並んでいるようだが。
背表紙を眺めつつ、じりじりと進んでゆくと、突然それを見つけた。
学生時代、民俗学に興味を持った時期に読みたかった本。近隣の図書館にはなく、ネットで探したらとっくに絶版。古書の値段は新刊時代の10倍にもなっていて手が出なかった本だ。
胸の高鳴りを抑えつつ、棚から抜き取って値段を確かめた。古書店ではないのだから定価に決まっているのだが、そうせずにはいられなかったのだ。
3000円。買える!
興奮を表に出さないように気をつけながら棚に目を戻すと、なんと、そのあたりには俺がかつて読みたかった分野の本が何冊も並んでいるではないか。
古書店ならば、元の持ち主がまとめて手離せばあり得ることだろうが、新刊本でこれは奇跡だ。しかも、最近では見なくなったタレントのエッセイ本に挟まれて。
ビジネスバッグを足の間に挟み、欲しいと思った本を次々に抜き出してから、蕎麦屋の出前よろしく片手に積み上げた状態にして、はたと気づいた。
これから仕事先に向かうというのに、この大荷物をどうしよう? 駅にコインロッカーはあっただろうか。
重さに耐えかねてふるふる震えながら迷っていると、レジの向こうに座っていた店主と目が合った。
「お客さん、ここいらの人じゃないねえ?」
「あ、はい」
「もしかして、青山鍍金の仕事で?」
「えっ」
驚いた表情が可笑しかったのか、ふっふっと笑われた。
「いや、たまーにあるからね、あそこ。わざわざ来てくれたお客さんを待たせることが。この辺、喫茶店も無いのになあ。ちょっと、ここ、座ったらどうかね」
老齢の店主は、レジの向こうに招いてくれた。誘いを断れない性格なもので、気後れしながらも素直に応じた。
重ねて持った本をレジ横に置かせてもらうと、店主は「こんなに買ってくれるの」と破顔した。
「でも、これから仕事だろうに、大丈夫かね。重いよ」
「あ、駅のロッカーにでも」
「無いよ」
「無いですか!」
今度は驚いた表情に、にやりとされてしまった。
「帰りに寄って。置いとくから。支払いはそのときでいいよ」
「あ、ありがとうございます」
礼を言いながら、さりげなくレジ周りを見ていると「クレジットカードは使えないよ、悪いけど」と言われた。お見通しというわけだ。
「じゃあ、時間までその本でも読んでるといいよ。出るときも声かけなくていいからね」
店主は座っていた丸椅子を譲ってくれて、床に積まれた大きな包みを開封し始めた。新着の雑誌だった。台帳と見比べる様子を見るに、予約されたものらしい。
話しかけるのもなんなので、ご厚意に甘えて本を読むことにした。
スマホのアラームが鳴って本を閉じたときには、店主は見える範囲にいなかったが、言葉通りにそのまま店を出た。
「いやいやいや、こんなところまで来ていただいたのにお待たせして、本当に申し訳ない」
歩いて10分ほどで到着した青山鍍金の社長は、こちらが恐縮してしまうほど汗をかきつつ謝ってくれた。
「こちらのせいで、昼食時にかかってしまいますからなあ、昼はうなぎでも取りますわ。うなぎ、お好きですかな?」
「いや、好きは好きですが、お気遣いなく」
「いやー、いいんです、いいんです。この辺、飯を食う店も無いんですから。幼馴染みがやってる店に頼むんで、気にしないでください。電車の本数も少ないし、時間は合わせますんで」
仕事より先に昼食の打ち合わせをすることになるとは思わなかった。普段の仕事とはずいぶん勝手が違う。もっとも、仕事の内容については特筆すべきこともなかった。弊社に持ち帰って検討しますという言葉が、自分の胸の奥にちくりと刺さっただけだ。
可もなく不可もないごく普通の味の鰻丼をいただいて、そろそろと教えられた時間に辞去した足で、あの本屋を目指す。
正直なところ、昼食代を出さずに済んで助かった。欲しかった本を全部抜き出してレジ横に積み上げたので、財布の中身がぎりぎりになってしまったのだ。専門書は値段が高い。それでも得難い出会いだったから、ためらってはいられなかった。
分野の偏ったあの本たちは、この寂れた町の誰かが、かつて取り寄せを頼んだものだったのだろうか。その人は、何らかの事情でそれらを受け取ることなくこの地を……この世を去った?
事情はわからないが、仕事にかまけて本を読むことも忘れていた日々に、かつてあんなに熱中した分野の記憶が呼び覚まされようとは。
彼らが誰にも読まれないままに裁断処分にならなくて良かった。
狐か狸に化かされたような気がしないでもないけどな、と軽い笑いが唇の端に浮かんでくる。
ん? 化かされた?
相変わらず天気はとても良い。人通りはない。口の中には、ほんのりとうなぎの味が残っている。
本の代金はまだ払っていないからな、と己に言い聞かせつつ、急ぎ足で本屋を目指した。
待っているよ 杜村 @koe-da
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