小説 凪色の本屋
アリサカ・ユキ
小説 凪色の本屋
教室の窓から、晩冬の日の残光が、強く差していた。
俺はふとスマホから目を逸らし、外を見る。夕色に染められた、ミニチュアみたいになった街を一瞥すると、すっと、視線を移動させた。
凪川詩乃が、なぜ、まだ居残っているのが、理解できなかった。クラスに親しい奴がいないのに、1人っきりで何のためか。
ひとり、隅の席で本を読んでいる。時に、青いフレームのメガネの位置を直す。
俺は、密かに彼女が好きだった。ゆるく開いた腿の間に本を挟むようにして読んでいる姿が、なぜか気がかりだ。
それに俺も本を読む。本当は好きというか、話してみたい、というのが正確な気持ちかもしれなかった。
「柳瀬、お前、死んだぜ」
俺は慌てて目をスマホに戻す。
「え、悪りぃ」
友だちと2人でソシャゲをしてるのだった。
「まあ、レアアイテムも取れたし、もう帰ろうぜ」
俺はまた、凪川を見てしまう。彼女はこちらに顔をむけた。俺は不意を突かれ、そこから目を逸らすことができずに固まった。
凪川が小さく細い身体で軽い重さと眩しさを持ってずんずん、こちらに歩いてくる。
「あなたたち、帰るのね」
感情の見えない棒読みな発音。
「あ、ああ。凪川、なんで残ってんの?」
「あたし、日直」
わざわざ俺たちが自発的に帰るまで待ってたのか。
「す、すまん。それなら言ってくれたらよかった」
「大丈夫。私も時間を潰したかった」
身体を翻し席に戻る凪川。机の上の本を取り、カバンに入れた。
荷物をまとめ終わると、再び俺たちの方へ来た。
「じゃあ、出て」
その手に鍵が握られていた。彼女は自分のゆるくパーマをかけた長い髪の毛に触れた。
「何?」
「い、いや」
俺は落ち着きなく、カバンを引っ掴み、教室の外へ出た。
友だちは先に歩いていた。俺はそいつの横まで走った。
「先帰っていてくれ」
そして俺は素早く戻る。凪川がドアに鍵をかけていた。
「誰かと会うの?」
凪川は、メガネの位置を直すようにした。そして、やはり、平然とした態度で、こちらをじっと見た。
「あ、いや、良ければ一緒に帰らない?」
「言ったでしょ。私、用事があるの」
「俺もついていっていいかな」
「何なの、関係ないでしょ」
突破口がない。凪川は廊下を進み始める。俺はその後ろをストーカーのようについていく。
職員室で鍵を返した後、玄関から外に出る、凪川の背中を見ながら、俺は、焦っていた。
こんなチャンスはない。2人きりというシチュエーション。初めて喋れたじゃないか。なら、もっと。
凪川は、校門を出て、中心街のある方へと向かった。
ある程度行くと、人々の往来が忙しくなってきた。俺は彼女を見失わないように目を凝らし早足になる。
急に、凪川の足が止まった。
くるり……、と幽霊が首を曲げるみたいにして、こちらを見た。
「気持ち悪い……」
俺は、衝撃を受けた。好きな女の子からそんなこと言われる。傷は深い。
しかし、負けなかった。
「こっち、本屋のほうだろ。そこ?」
「あんた、先生に訴えるわよ」
「俺も本好きなんだよ。どんなの読むの」
「少なくともあんたが読まない本」
少し、会話になってきた。痩せ我慢かもしれないが、俺は食らいつくのだ。
「この前でた直木賞とったあれ、読んだ?」
「あんた、ベストセラーみたいなの読むの」
「お、おう。1番よくない? 面白いのが保証されてる」
凪川は、息を吸った。そしてゆっくりと吐く。
「本は自分で選んだ方が面白いわよ」
「え? 選んでんじゃん?」
凪川は再び歩き始めた。
俺はついていく。間違いない、本屋の方角だ。
俺はもう、遠慮せず、凪川の横に並んだ。彼女は何も言わなかった。
自動ドアを抜けて本屋に入った。4階全てが本で埋まっている店。
凪川は迷いなく店内を進み、ある一角で止まった。そこは、外国の翻訳文学のコーナーだった。ドイツだとかフランスだとかロシアだとか、そういった国のものだ。
「本買うのが用事?」
俺は、興味深く、本の背表紙を見ていた。凪川は、一冊の本の花布に手をかけて、すっと取り出した。
「用事の一つ。ここで人に会うの」
「え、誰」
「親だったけど親でなくなった人」
「え、つまり」
そのまま、数瞬の沈黙があった。俺は、聞いてはいけないことを聞いたのか。
「あ、ごめ……」
「お父さんにあげる本を選んでるの。昨日、誕生日」
「じゃあ、俺も選んでいいか」
「何で。意味がわからない」
「いや、俺の選んだ本に、お前の親父、ショック受けるかもしれないだろ? それ楽しくない?」
本のページを開き、凪川は字を追っていた。
撃沈か、つまり。
「いいわ。選んで」
「え、OK? OK、OK、選びますよ」
「ただし、この中から」
外国文学の棚。つまりそういうのしか読まないということか。カルチャーショックは、与えられないかもな、と思う。
俺は真剣に選んだ。読んだことのないジャンルだったが、開いてみると、なかなか興味深い。
そして俺は1冊を選び凪川も決めて、レジで購入した。
「どこで待つの」
「ここ」
「いつ来るの」
「もうすぐ」
スマホの時計は7時を指していた。
「お父さん」
凪川が、かってない明るい声を出した。いや抑揚はない。しかしどこか黄色かった。
「詩乃、元気してたか」
「特には。普通」
いや、話、合わせよう。俺は2人から距離を取った。近いと、凪川の気が散るかもしれない。
2人は本棚の本を指さして、何やらを話していた。読書トークだ。俺は勝手な言葉を作り、状況を把握した。話し声は聞こえないくらいのところにいた。
やがて。凪川の父親は娘に手を振って店から出ていった。凪川は、その手に書店のカバーのかかった本を持っていた。
「渡さなかったの」
「これはお父さんがくれた」
「へー、いい趣味してんだろ」
「お父さんの趣味は悪い。たいていバッドエンド」
「そ、そうか」
俺は、先まで穴が開くほど見ていた本棚に視線を走らせた。
今度来るのもいいかもしれない。
俺は、凪川を家まで送る気だった。
彼女はまた本棚を見ていた。
「え、自分用、買うの」
「あんたに買ってあげる。お礼」
「え、ホント」
拳でもう一方の掌を打つ。
「じゃあ、俺もお前に選ぶよ」
「面白そうね。交換しましょう」
おれは、上の階にある文庫本の棚へ走った。
有頂天で俺は本の背表紙に目を走らせた。
〈凪色の本屋 了〉
小説 凪色の本屋 アリサカ・ユキ @siomi
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