運命の本屋

仲津麻子

第1話運命の本屋

 その重厚な扉の前に立つと、ギィと木がこすれる音がして、重々しくドアが開いた。


真白ましろは、突然の事に驚いて後ずさったが、姿を見せた背の高い男に目をやった。


「いらっしゃいませ」


 黒の燕尾服をまとって、にこやかに声をかけてきた老年の男は、左手を胸に当て、うやうやしくお辞儀をした。


「あの、ここは本屋とプレートがあったのですが」


真白が戸惑ったようにつぶやくと、男は馴れたようすでうなづいた。


「仰せの通り、本屋でございます。どうぞ中へ」


 そこは真白が知っている本屋とはまったく違っていた。

店の中は外観から想像できないほど広く、高貴なお屋敷かと思われるほど、茶色と金で装飾された内装は重厚で、天井までぎっしり詰められた書物には、圧倒されるほどだった。


 店の中央には大きな革張りのソファーがあり、案内された真白は促されて、おどおどしながら座った。


供された香りの良い紅茶を飲んで、少し落ち着いてきた頃、ふいに目の前に、白髪の小柄な老人が現れた。


「いらっしゃいませ」


 老人は羽織袴姿で、手には革表紙の分厚い本を抱えていた。


 真白は、自分の両親、物心ついた時にはすでに他界して顔も見たことのない両親について知りたくて、自分のルーツを調べていたのだった。


 父親が残した書物のなかに、この本屋の名が記されていたのを読んでいたので、放課後、帰宅途中に、その本屋を見つけて立ち寄ってみたのだった。


 店の扉には「運命の本屋」と書かれた小さなプレートが掲げられていた。これまで毎日通っていたはずなのに、今まで気がつかなかったのが不思議だったが、もしかすると、ここには開業したばかりなのかもしれなかった。


「ここに探している本があるかもしれないのですが」


「左様ですか、それではうかがいましょう」


 老人は真白の前に座り、懐から黒縁の眼鏡をかけると、持っていた本を開いた。


「あの? ええと……?」


 真白は自分の家系についての資料を求めていたのだが、うかがいましょうという老人の言葉に、どうしたら良いのかわからなくなった。


「ほお? あなたのご一族は、特殊な方々なのですね」


老人は手で眼鏡を押さえながら、真白を見つめた。


「え?」

「ご両親は、陽来留鄕ひくるのさとと呼ばれる地にお住まいでしたでしょう」


「なんですか、それは?」

「ふふ」


 老人は笑って、広げている本に目を落とした。


「ここは人の裏に隠されている物語を商う本屋なのです。すべての人ではありませんが、幾人かの人は、今見えている姿だけでなく、もう一つの姿を持っている場合があります」

「はあ」


緋衣ひい様……」

「なぜ、それを?」


「なるほど、もう一人のあなたは、そう呼ばれる立場のお方でしたか」


 老人は、息を呑んで言葉を失ってしまった真白を、気遣うように微笑んだ。


「あなたの、もう一つの物語は、はじまったばかりのようですね。きっと、もうすぐ、ご両親のことも、あなたが何者なのかということもわかるでしょう。あなたの運命が物語を紡ぎはじめます」


 真白は、何のことを言われているのかわからなくて、ぼんやりと、老人がめくる本のページを眺めた。


本には何も書かれていないように見えたが、老人の指先は、何か字を読んでいるかのように、生成り色の紙の上をなぞっていた。


「もうすぐですよ。少なくとも数年先には、あなたの物語が記されて、この店の本棚に並ぶことでしょう」


老人の声が遠くなって行った。


 気がつくと、真白は自宅前に立っていて、奥から、彼女の世話をしている使用人の慈子しげこが歩いて来るところだった。


「緋衣様、お帰りでしたか」


 慈子は真白が提げていた学生カバンを受け取った。

ぼんやり動かない彼女を不思議に思ったのか、心配そうに真白の額に手を当てた。


「緋衣様? お熱はないようですが」

「あ、慈子、ただいま」


「どうなさいましたか?」

「ああ。いや。本屋に寄ってきたんだけど」


「そうでしたか。お好みの本はありましたか?」

「うーん。なんだか不思議な本屋で」


端切れの悪い答え方をしている真白と並んで歩きながら、慈子は、大切な娘を見守るような目で、微笑ましく見つめた。


「私にはよくはわかりませんが、不思議なことは起こるようですよ。心配なさらなくても、今は緋衣様らしく、成長されることが大切です。心安らかにお過ごしください」


「そうかしら、そうなんでしょうね」

「そうですとも、やがて成人なされば、あなた様の知りたいことが、わかる時が来ますとも」


 成人すればわかる。慈子の言葉を、真白は心に刻んだ。

物心ついた時からずっと、慈子とその夫の守屋厳三もりやげんぞう夫婦に世話されてきて、自分が何者なのか知らなかった。


 亡くなった両親のことも、両親が属していたという一族のことも、その存在だけで、実際にはそれが何なのか知らされてはいなかったのだ。

思春期にさしかかった少女が、己を知りたいと考えたとしても当然のことと言えよう。


もどかしく思う気持ちを落ち着けて、真白は気分を変えようと努めた。

やがてわかるのなら、今は焦らなくてもいいか。そう思い込もうとした。


陽来留国物語ひくるこくものがたり緋衣様逸話ひいさまいつわ・壱】


'(終)

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運命の本屋 仲津麻子 @kukiha

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