シャドウバスターあゆみ

石田宏暁

テーマ〈本屋〉

「た、たすけて、誤解だっていってるでしょ。何だってするから、お願いよ」


「ふざけるのもいい加減にしろ」


 固い鎖に縛られたセミロングの女子高生がさるぐつわを外したとたんに叫んだ。<シャドウバスター・アユミ>の八巻のシーンを再現しているのだ。悪の組織に捕われたアユミが元同僚のはずの中島刑事に拷問される場面だ。


「貴様が宝珠を隠しているのは分かっている。ヴァンパイアの組織にも狼男たちにも渡さない。あの宝珠は我々デーモン族のものだ」


「……知らないったら。頭でも打ったの?」


「ふっ。あくまでしらを切るつもりか」


 なかなかマニアックな設定だが、どんなリクエストにも応えるのが俺の仕事だ。バーチャルリアリティの世界だから、たやすく人間だった中島の顔は悪鬼デーモンに変化をとげていく。


「きゃあああっ!」


「ふはははは。馬鹿め、このメス豚がっ」


 本屋。昔は紙媒体の本を売るのが仕事だったが、客は遠退き売り上げは激減。すぐに電子書籍に巨大な図書館が主流になった。だがそこにも客は来なかった。


 じり貧の生活だった。誰にも相手にされず無駄に年齢だけが増えていった。俺には生きている実感がまるで無かった。


 何度も転職を考えた。だが俺は人間には物語が必要だと信じていた。本当に面白い物語を送り出すのは素晴らしい仕事だと信じたかった。


 そして読み手は書籍よりも実体験を求めはじめた。こうして物語の購入者の依頼を受け、体験させるのが俺の仕事だ。


 まだまだ新しいシステムだが誰でもなれる職業じゃない。今まであらゆる種類の本にふれてきた実績と豊富な知識、つまり実力が必要だ。


 山荘から離れたボロ小屋。外から何やら物音がしていた。彼女のようなコアな読み手は必ずアドリブコースを選択する。


 だから俺のような物語の筋書きに誘導していく語り部が必要になってくる。自動的に読み上げてくれるソフトなんか、ぜんぜん駄目だ。


「本当にしらないの」涙を流し、やつれた目で俺にいう。「今なら訴えもしないし、誰にもいわないわ。だからお願い、助けて」


「なるほど、さすがに演技がうまいな」


 つい本音が出てしまった。アバターとはいえこんな表情と迫真の演技で応えられたら、こちらがクレジットを払いたくなる。素晴らしい臨場感に爽快感。沸き上がる高揚感。


 彼女の思考が生きている。泣いて助けを求めたかと思えば強気な発言、脅迫のような手口、そしてセクシーな体つき。


「本当に馬鹿なのは貴方よ。監禁してるつもりでしょうけど無駄。きっと助けがくるわ」


「いいや、来ないだろうな」


 彼女の制服をナイフで切り裂いたときは正気を失いかけた。アウターと下着をコーディネートしているとは実に素晴らしい女性だ。


「や、やめて変態!」


「クックックッ、怖れは俺の養分だ」


「負けないわ、貴方なんかの思い通りになるもんですか。私は怖れない!」


 悪鬼を演じながら内心では喜びと興奮で天にも昇る気持ちになっていた。いい女ほど臆さない、体験本の購入でも失敗は怖れない。


「なんて美しいんだ」


「は、はっ、今なんていったの!?」


「なにも言ってない。さっさと白状しろ」


 努力家なうえ、固定観念に縛られもしない。ネイルやパフュームまで、こんな向上心あふれたヤル気満々な女性を俺ははじめて見た。


 ああ、神様ありがとう、こんなに充実したのははじめてだ。彼女を拷問させてくれて心からありがとう。


「クックックック……だれも味方はこない。シャドウバスターはみんな死んだのだ。貴様は宝珠を我々に与えるしかない」


 本当はくる。ブルーの袈裟をきた美男子住職カケルが現れて怪物と化した俺を除霊バスターするのがあらすじだからだ。


 彼女は俺から本気で逃げようとし、本気で罵り、本気で接してくれている。はじめてだ、これほど生きていると実感するのは。


 この重要なシーンを境に、彼女の存在は〈かわいい〉から〈カッコいい〉に変化をとげる。マニアックな読み手にはそれが分かる。


 バーチャルリアリティーの発展は女性の向上心を低下させてしまった。


 わざわざワンサイズ下のジーンズを履いてアクセサリーやファンデーションで全身をメイクアップする女性は皆無に等しくなった。


 それは外見だけではない。だからこうやって変化を体現する価値があるのだ。きっと彼女は精神的にひとまわりもふたまわりも成長する。


 いま俺たちはアドリブ演技というセッションで一体となっている。共通の物語に魅せられ肉体的な枠を越えた先で繋がっている。


 コン、コン、コン。


「ドアをノックしてくるなんて、蹴破ってくるはずだけどな。カケル……じゃないのか?」


「だから誤解だっていってるでしょ!」


 古びた木製扉の前には制服をきた警官が睨んでいた。ホログラムで写し出された本物の人間がバーチャル空間に立っていた。


「あ、あんた誰だ」


「警察です。バーチャル世界でも暴行や監禁は立派な犯罪ってお分かりですよね?」


「は、はあ? 通報したのか」意味が分からない。「依頼人がなんで警察を呼ぶんだ」


「そりゃ、彼女はシステムエラーでたまたま居合わせただけの通りすがりですから。ちゃんと確認してないんじゃないですか?」 


 いわれてみればログインパス以外は本人を確認するようなやり取りはしていない。


「で、でも俺はプロですよ。そんなわけ」


「プロって、あなた。そもそもこのビジネスはまだ未公認ですよね」


「……ま、まあ」


 どうりで迫真の演技だったわけだ。彼女は何も知らないのだから。ああ、ああ、ああ、そんな結末とは。なんてことだ。


「分かったら、さっさとログアウトして彼女を解放してください。今回は厳重注意で済みますから、二度とこんなことは謹んでください」


 寂れた現実世界の事務所に本物の警察がきているのかもしれない。依頼人ではないとなると……じっさいの彼女はどこの誰かも俺は知らないわけだ。


 誰なんだいったい。まあ、赤の他人で普通に〈いい女〉なんだろうな。もっと違う出会いかたは出来なかったものだろうか。


 出会いなんかあるわけないよな。しがない三十過ぎの貧乏電子本屋だし。恋人どころか友だちだって一人も居ないのに。


 そう思うと俺はいてもたってもいられなくなった。どうなろうが構わないから、このまま演技を続けたいと思った。


「ふはははは!」俺は悪鬼の姿のまま、小屋を飛び出し漆黒の翼を広げて宙に舞った。もうとめられなかった。「そうはいかぬぞ、シャドウバスターども! 借りは必ず返すからなっ」


 言い残すや夕闇の中に飛び立つ俺を、警官といい女が見ていた。呆れ、間抜けのようにポカンとした顔が並んでいた。


「……なんなんだ、あの人」


「さあ」彼女は肩を吊り上げていった。自宅でバーチャル空間へ飛ぶためのヘッドギアを着けたときは、美術館に向かう予定だった。


 思わぬ場所で奇妙な変人に拉致され拷問を受けたが、それもバーチャル空間では何の実害もないと分かっていた。


「でも」彼女はが生まれる瞬間とは相応しい相手がいてこそだと思うのだった。「もとは本屋だっていってました。正直いうと……ちょっと楽しかったかも」



          END





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シャドウバスターあゆみ 石田宏暁 @nashida

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