本屋に行くとトイレに行きたくなるのなら、売り上げを上げることもできるのではないだろうか?
すだもみぢ
都市伝説を覆すには
「ふぁ………………失礼ひました」
レジの中で思わず大あくびをしかけてしまい、今が勤務中であることを思い出して、慌ててそれを噛み殺した。
「…………いや、誰も見てないからいいんじゃない?」
私の隣でレジ番をしていた末永はそう言って下を向く。彼が下を向いたのは、私の行動が笑われているのかなと思いきや、単に彼もあくびをごまかしているだけだった。
見てないどころか、末永以外は誰もいない。
眠い……ただひたすら眠い。こう春になって急速に寒さが緩むと眠くなってくる。
私と末永が雇われているこの本屋は駅前大型店舗の二階に位置していた。
売り上げがあまり芳しくないのか最近ブックカフェなんかも併設しはじめて、平日昼間はいたって人がこない。隣のカフェにも客が来ていないようだ。
こう暇だと冷やかしでもなんでもいいから誰か来てほしくなっていた。とにかくなんか刺激が欲しいのだ。眠気覚ましに本の整理でもしてこようかな、と思えば。
「本屋に行くとトイレ行きたくなるという都市伝説あるよね」
ぼそっと末永が話しかけてきた。
彼は長くした前髪に眼鏡という陰キャぽい雰囲気を醸し出している人だが、口を開くと少し変わったところがあるだけのいたって普通の人で、別にコミュ障だというわけでもない。もっともコミュ障だったら最初から話しかけてきたりしないだろうし、接客業を選んだりもしないだろう。
頭の回転が速いのかなんなのかわからないが、唐突に妙なことを言い出すこともある人で、そしてその会話に人を巻き込んでくる。
もっともその程度の変さなので、別に害があるわけではない。
「そのこと聞いたことありますけど、なんででしょうね……本が多くあると湿度もため込むからそれで空気が冷えて、体が冷えてトイレに行きたくなるんでしょうか」
「科学的なことはわからないけど、でもそういう条件反射的なものが本屋にあれば、それを利用してうちも売り上げを上げることもできるんじゃないの?
「? 本屋にカフェでなくトイレを併設しろと?」
トイレに寄ったついでにうちの本屋で本を買ってもらう……それはどこかのトイレを解放しているコンビニのような戦略だ。
「いやいやいや、そっちじゃないよ。そんなのやったらうちの本にトイレのイメージついちゃうじゃん! イメージダウン反対!」
生理現象にかこつけて売り上げアップ狙いは悪くないかも、と思った私と逆に末永は首を振っている。
「本屋における条件反射の方をどうにかすれば、みんな本屋に足を運びたくなるんじゃないかなって」
「本屋に条件付けをするってことですね? あのパブロフの犬みたいに」
生物の授業でやったのを思い出しながら口にする。犬にベルの音を聞かせるようにしてから餌をやっていると、餌がなくてもベルの音を聞くだけで唾液を出すようになるというあれだ。
この場合、どんな条件付けになるのだろう。期待しながら末永の顔を見つめたが、彼は首を竦めた。
「本屋に行くといいことある、みたいないい感じのなんかを考えてよ」
……ノープランだったらしい。丸投げされて、うーん、と私も上を見上げながら考えこんだ。
「そうはいってもなんかご褒美になるようなこと、ですか?……正直なところを言うと、本屋って女子からしたら死角多いし、変な人声かけてきたりするし痴漢いるかもしれなくて、あまり近づきたくないんですよね」
「負の条件がついてんじゃん、すでに!」
嘆かわしいとばかりに声をあげる末永に、それが現実なのですよと事実を突きつける。
「まずは本屋のイメージアップの方に取り組むのが先ですよね。それだけでなく、大体うちって、ここに店舗構えていること自体が負け組一直線じゃないですか? 繋がっている隣のビルの上の階に図書館あるんですよ? 歩いたら200mくらいしか離れてないし。本読む人ならそっちで借りますよね。無料で読める本があるのに……」
「図書館で借りて面白かった本を本屋で買うという動線もありかもだぞ。それにこちらは新しい本がそろってるし」
「今時、本屋で本買わないで、ネットから購入ませんか?」
「それ言ったらおしまいじゃん!」
なんてこというの! と叱られてしまった。しかし、街の本屋の必要性が失せかけているという現実から目をそらしてはいけないと思う。
「昨今、活字離れが進んでますしね。そこからの対策すべきかと」
「そ、それは俺らにはどうしようもないじゃん。まず、できることから始めようよ。本屋にいったら恋が始まる、みたいなポジティブなアクションがあれば人も来るって話なんだよ」
「なるほど、それいいかもしれないですね。婚活で町おこしみたいなのあるみたいですし」
「そうだよそうだよ。本屋にはこんなに恋愛関係の本がたくさんあるんだよ? 街コンあるなら本屋コンしたっていいじゃん。恋愛フェアでもする?」
「本音は?」
「本買ってほしい。そのためならなんでも利用しよう」
「うわぁ、あくどい……」
「だって恋愛感情は性欲の一種の形じゃん。人間普遍の欲求は利用してなんぼでしょ」
けろっという末永を思わず虫でも見る目で見てしまった。
えげつない割り切り方をする人だなぁ。
「じゃあ、重ねて聞きますが、末永さん恋愛経験あるんですか?」
「全然ないよー」
末永は胸をそらしていっているが、威張って言うセリフか。
「じゃあ、恋愛したいと思っているんですか?」
「別に」
「そんな人の説得力ない恋愛フェア、どこの誰に刺さるというんですか! 本だって読者のターゲット絞って書くんですよ」
舐めとんのかい!と青筋立てたら、やっぱダメかぁ、と末永はしょんぼりしてしまった。こう見えて結構真面目に言っていたらしく、なんか申し訳ない気がしてしまったが。
そこに二人の空気を癒すかのように、併設されているカフェから美味しそうなコーヒーの香りが漂ってきた。
末永もそれに気づいたらしく、私に叱られて縮めていた首をひゅっと伸ばす。
そのまま、ついっと首をこちらに向けて傾げる。
「とりあえず休憩いれようか」
「え、交代で取らないんですか?」
「同時に休憩いれてもばれないくらい、閑散としてるよね」
隣で休憩してれば、店の方に誰か来てもすぐに対応できるだろうし。末永の提案を承諾して隣に向かうことにした。
構造上、隣の店のテーブルからも、本屋の入口が見渡せるので休憩をとるのもちょうどいい。
「お仕事、お疲れ様」
「ありがとうございます」
二人して隣に足を踏み入れれば時間的に休憩とわかったのだろう。ブックカフェのオーナーさんが挨拶をしてくれる。
書店とブックカフェは一緒のお店に見えるが経営は別だ。
ただこちらのカフェに書店の本を持ち込んで読んでもいいシステム上、二つの店の繋がりは強く兄弟みたいなものではあるが。
ドリンクや軽食だけでなく本格的なスイーツなども頼めて、それがなかなか美味しい。今日はさすがにそこまで食べる時間がないが。あと財布の中身も乏しいし。
2人して運ばれてきたコーヒーをのんびりと飲んでいて……、ふ、と気づいた。どうやら末永も同じことに気づいたらしい。
「……そっか。これでいいのか」
「……そうですね」
コーヒーを黙って飲みながら、考えた。この店はドリンク1オーダーで本を一冊読んでもいい。
買う前の本をゆっくりと試し読みするのは店舗がある本屋でないとダメだ。もちろん読める本に制限はあるのだけれど、立ち読みだと気が引けてできなかったり落ち着かなかったりする人も、これならゆっくりと欲しい本を吟味してその人の手元まで届けることができる。
座右の書というのだろうか。ずっと大事にしたい、何度も読みたいという本をゆったりとした気持ちで選べるのは贅沢な時間だろう。
誰かと本を繋げ、その人の生活を豊かにするのが本来の役割で。
確かに本を買って売り上げに貢献してほしい気持ちもある。しかし本を読むことで得られるもの、本当に求められているものは何かを忘れていたようだ。
ふう、と息をついてしみじみしてたら、心配そうに声を掛けられた。
「君たち大丈夫? 近所の高校、今日で期末試験終わるから、そろそろ人が入ってくる頃じゃないかなぁ」
ガタッ!!
思わずカップを持ったまま立ち上がってしまった。
オーナーさんの言葉に二人で顔を見合わせる。試験中だと下校時刻が変わるし、生徒たちは試験中は寄り道を控えていても、試験が終わると解放感からかあちこちばらけるのだ。
これから忙しくなる未来が見え、2人で慌ててコーヒーを飲み干すとバタバタと店舗の方に走っていった。
「コミックス、新書、雑誌コーナーの確認するよ」
「英検の申しこみの案内出しておきます」
「おやおや、すっかりやる気出たみたいだね」
二人して唐突にきびきび動き出したのがおかしかったのか、オーナーさんはくすくす笑っている。
2人して店内を慌ただしく一巡し、先ほどの定位置のレジに戻ったその瞬間。
――――店のドアにかけてあるベルが、ちりん、と鳴った。
本屋に行くとトイレに行きたくなるのなら、売り上げを上げることもできるのではないだろうか? すだもみぢ @sudamomizi
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