KAC20231 春先の本屋さんで起こった、ちょっとした奇跡。

久遠 れんり

その日俺は、出会ってしまった。

 春先の少し暖かい風が、自転車に乗った俺のほほをなでていく。

 

 この春から、大学に通うため、数日中に県外に出発しなければいけない。

 慌てて忙しい時に行かなくても、向こうにもあるだろう。

 そんな思いも頭に浮かぶ。

 だが子供のころから通い、店員さんとも知り合って長い。

 今から向かうのは、近所の本屋だ。

 


 子供の頃は、ただ優しいお姉さんだったが、今はその本性を幾度か覗いて、骨の髄まで恐ろしさを知っている。


 まあ普通に購入すれば、優しいだけなんですけどね。

 金を払わず本を持ちだせば、彼女だけではなく店員さんたちは修羅となる。


 一度見たときには、レジ打ちをしていたのに、優しい笑みを浮かべたまま姿は消え、次の瞬間。


 入口の方で音がする。


 ガタッ、バサバサとその男が上着に隠していた本が落下していた。


 それを見下ろす店員さん。

 表情や姿勢は全く変わらず、ただ相手の男の目を見ている。


「お客様。未会計の本の持ち出しは当店では禁じられております。速やかにお会計をなさるか…… 通報。どちらがよろしいですか?」

 そんなことを、全く無表情で仰る。


 そして、ただ静かに男の前に立つ店員赤城さん。

 やがて周りの音が消える静寂の中。


 相手の若い男は逃げようと、細かにフェイントをかけるが、隙が無いようだ。


 当然だ。


 もう彼はすでに、本屋店員赤城さんの展開した、閉空間に捕らえられていると言うのに、まだ気が付いていないようだ。


 そしてほら見ろ、その男の背後に、店長さんがふっと現れた。

「お客さん。ちょっとお話をいたしましょう」

 店長の手が男の肩に置かれると、紐が切れた人形のようにへたり込む。

 そうして、彼は、おとなしくバックヤードに連れていかれた。


 いつの間にか、地面に散乱していた数冊の本は消えていた。


 

 そんな事を思い出しながら、挨拶をして入店をする。

「赤城さん。こんにちは」

 俺はいつものように、頭を下げて店の中へと入る。


 今日は、一人暮らしを始めるために必要な情報が載ったもの。

 そんな知識を俺は探しに来た。

 ネットでもいろいろ情報は得られるが、やはりいざという時には本だろう。


 サバイバルは、いら……ないのか?

 本当に? 今回、親元を離れて一人暮らし。

 突然の地震発生や、ダンジョン発生などして、インフラが破壊されれば、必要なのはやはり知識だ。

 やはり必要だな。

 ならそれに合わせて、DIY関連も必要だろう。


 野菜を育てる必要もあるな。

 園芸の基礎に、家庭用の医学書。

 ポイポイと適当に放り込んだ、かごをのぞき俺は驚く。

「おや? 完全に予算オーバーだ。なぜだ」


 踵を返し、会計の方へと向かう。

 ところが、その途中一冊の本が目に入る。


 そっと手を伸ばすと、同じ本に手が伸びてくる。

 なんだ、このべたなシュチュエーション。

 どうせ、相手も男なんだろう?

 本に手を付け、そのまま相手をにらむ。

 

 うん? 同じくらいの年のようだが、見たこのない子だな?

 少しあか抜けない感じの女の子。

「あのーすいません。その本」

「いやこの本は、きっと俺にも重要なファクターなんだ」

 俺がそう言うと、彼女の方も

「私にも必要で。いや、今それを実行しなければ、私はだめになると思うんです。色々今までに試したのですが、私は……」

 そう言って、手を引く感じはない。


 その上さらに、人のかごを覗き、ぷっと笑い出す始末。

「色々かごに入れているじゃないですか。異世界へ行って知識チートでも……」

 と言って、彼女はあわてて口を押える。


 おお。マジでそんなことする人。初めて見た。

 その後、大学へ通うため、これから県外へ行って一人暮らしと言う重要なイベントが始まる。その為この本が必要になる事。

 そんなことを、説明する。


 だが彼女も、大学の為一人暮らしが始まるらしい。



 私も今を逃せばもう一生後悔する。

 そう思い、かれに思いを告げる。

「切実なの。あなたにはきっと理解できないでしょう」

 取り合っている本のタイトルも忘れ、彼に食って掛かってしまった。


 そこから彼女は、小中高と暗いだの、面白くないやつと言われてずっと苦しんできたこと。寂しくつらい日々だったことを俺に話してくれた。


 一人でいるとき、気を紛らわすためハーレクインや異世界物を読み漁って、自分を元気付けていたこと。

「その新たで最後の舞台は大学なの。今じゃないとだめなのよ」

 そう言って、うつむき涙をこぼし始めた。


 俺はさすがに、そこまでの思い入れはない。


 彼女の言葉にほだされ、譲ろうかと言う気持ちが、ふっと心に浮かんでくる。


「なあ、行く大学ってどこ?」

「当然あまり遠くへはいけないから、○○大学よ」

 予想通りだ。

「一緒だな、これは運命か?」

 俺がぼそっと言う。


「なにそれ?」

「いや、俺も同じなんだよ大学。住むのは○○町の学校近くのマンションなんだ」

 そう言うと、

「あの辺りだと、セキュリティのしっかりした所って、あそこしかなかったものね」

 彼女は、

「運命ね」

 と言葉に出して俺を見る。

 やっぱりさっきの言葉、聞いていたんじゃないか。


「この本は譲るから、お付き合いしてください。あっいや、お友達からでもいいです。お願いします」

 そう言って、結局1時間ほど握っていた俺の手を放す。

「いやまあ。君が付き合ってくれるなら、俺もこの本は要らないよ」

 そう言って、俺も手を放す。


 多少、汗が染みこんだその本には、『やるぜ大学デビュー。異性をがっちりキャッチ。男女対応版 - 参考ファッション集・シュチュエーション別、言葉のマジック。上手な切り返し大全集 - 特典付』というタイトルが書かれていた。

 横には、なぜか全然ジャンルの違う本が、刺さっているが、決して手にとってはいけない予感がビンビンする。『あなたも行ける。異世界転生方法全集 -完全復元。目的地別魔方陣-』ではない。


 彼女と二人、本屋の前にあるハンバーガ屋さんに直行して、初めてお見合いのようなことをした。

 名前や住所。趣味や家族構成。

 あとで考えれば、危ないなと思ったが、その時は理性が飛んでいた。


 あとでスマホのコミュニケーションツールで話をすると、彼女も後でそう考えたそうだ。でもそう言いながら、キス顔の写真が送られてきたり、もっと過激な物も送られてくる。

 まあ彼女は、複数ジャンル情報過多で、色々ぶっ飛んでいる。

 そう思い自分を納得させる。


 この春。結局一緒に暮らし始めた。

 それにさみしがりや。

 小中高の経験から、自身に対して自信がないのだろう。

 多少気になるが、嫌いにならないでねとか、日に数回聞かれるくらいだ。


 そう言えば、こっちへ来るとき。

 引っ越しの日にちを合わせて、お互いの親を引き合わせる作戦も、彼女が考え実行され、きっちり外堀が埋められた。

 その日の晩、引っ越しのお祝いとなり、予想通り居付いてしまった。

 まあ料理その他、もてるための勉強はしたと言うだけあった。


 ただまあ一緒に暮らし始め、時折。

 彼女の行動する中に、地雷と言う言葉がちらちらと顔を見せるが、幸せだよ多分。


 夕暮れ、近所の土手を手を繋いで、散歩する。

 これも彼女の経験したかった、シュチュエーションの一つのようだ。

 多少手がかかり、大変だが彼女の為にできることはしてあげよう。

 彼女の書いた、裏シュチュエーション以外は。

 あれを読まされた時…… いややめよう。


 夕日で伸びた彼女の影が、異形のものでないことを祈ろう。

 

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KAC20231 春先の本屋さんで起こった、ちょっとした奇跡。 久遠 れんり @recmiya

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