第2話 続く不可解
探りを入れるような調子で、中年男性は言った。
梶尾は、いえいえそうではありませんとこうべを垂れた。
「他のお客様の冗談と言いますか、いたずらでしょう。私どもの方で直しておきますから、お客様はどうぞ。あ、この辺りの文庫がご入り用でしたら、申し訳ありませんが少々お待ちください」
断ってから、直しにかかる。自分の家の本なら、まとめて引き抜き、くるっと半回転させて、また押し込むところだ。でも、売り物をそんな乱暴に扱うことは許されまい。一冊ずつ抜いては、正しい向きにして戻す。
そこへやって来たのは篠井。
「どうしたんだい」
「篠井さん、他の仕事は……?」
「ちゃんと断ってきた。で?」
「本を逆向きに入れてあるんです」
目線を振ると、篠井も気付いたらしい。奇妙な物を見たときの目つきになって、口を半開きにした。
「何だい、これ?」
「ですから、文庫本が反対向きに。あちらのお客様が言うには、来店したときからこうなっていたと。あのー、もしかしてお店の判断で反対向きにしたんじゃないですよね?」
「当たり前だ。そんなことするもんか。僕が朝見たときは、こんなことになっていなかった。誰か質の悪い客がやったんだよ。いや、そんな奴は客と呼びたくないね。梶尾さん、気が付かなかったのかい?」
「気が付いたことって?」
二人がかりでやって、文庫本は全て元通りになった。反対向きに入れられていたのは、
「君は今日、昼から入って、モニターをずっと見てたろ。この辺で不審な動きをしてた奴に気付かなかったかい?」
カウンターの方へ引き返しながら、篠井は梶尾に言う。普段に比べて、若干きつめの口調に、梶尾は首をすくめた。
「気付きませんよー。お客さんが来るんですから、ずっと画面を睨んでる訳にいかないし、一冊ずつ手に取って、棚に戻すときにひっくり返されたら、気付きませんてば」
「……筋道は通っている。すまないな、怒った言い方をして」
「いえ」
梶尾はカウンター内に戻り、レジに立ってもらっていた従業員に礼を言って、交代した。事情の説明は、篠井が引き受けてくれた。
* *
「そのときはそれで終わったんだけれども」
梶尾はテーブルの上に置いた両手を、強く握りしめた。ここからが佳境だとの思いを込める。
「はいはい、それでどうなった」
スプーンに掬い取ったアイスクリームを舐めながら、
学内のカフェテリアは夏期休暇中とあって、利用者の姿は、彼女達二人の他には、部活動を終えたあとと思しき男子学生のグループがテーブル二脚を埋めているのみ。その彼らも、閑散とした雰囲気に遠慮してか、大人数の割には静かに会話を交わしている。
「同じようなことが、翌日も起きたのよ」
「つまり、翌日も文庫本が反対向きになって、書架に収まってたってこと?」
「うん」
「同じような、って言ったよね? 同じ、じゃなくて」
「二日目は、阿馬一吉じゃなく、
「瑠璃木って、名前だけ聞いたことある。ファンタジー畑の人だったわよね」
そう述べる元村は、エンターテイメント小説と言えばミステリしか読まない。当然、謎というものに人一倍興味を持つ質であり、それ故、梶尾は相談相手に彼女を選んだ。
「そうよ。今は吸血鬼とホラーとファンタジーを融合させたような『ドラクロア』シリーズで、女性、それも私達みたいな年齢層に大人気の作家」
「『私達』の中に私は含まれてない訳ね」
自らを指差し、けらけらと笑うと、元村はアイスの皿を片付けた。次は濃厚なカスタードパフェ、その次はフルーツサンドイッチが待っている。溶けやすい物から順に片付けているのだ。
「名前を知ってるだけでも偉いわ」
「訳の分かんないフォローはいいから、その瑠璃木作品のひっくり返し現場を目撃した人はいなかったの?」
「いなかった。気付いたときにはやられてたってやつ。と言うか、まさか連続して起きるとは思いもしなかったのよ。誰だって、一回きりのいたずらだと思うんじゃない?」
「でも二回続いたから、犯人をぜひ見つけたい!となったのかあ」
「違うわよ。大した実害はないし、二回ぐらいじゃあ、まだそんなにね。ところが、これが七日間連続となったら、ちょっと見過ごせないでしょ」
「へえ、一週間も。だけど、犯人を見つけるのは簡単じゃないの? 防犯モニターの画像を見ればいいんだから」
「犯行現場を目撃してないんだから無理よ」
「え? ひょっとして防犯モニター、録画はしてないの?」
くぐもった声になったのは、スプーンをくわえたまま喋ったため。梶尾はため息をまじえて首肯した。
「正確には、全然録画してない訳じゃなくて、一時間分だけエンドレスで撮っているらしいわ。らしいっていうのは、アルバイトの私には詳しく教えられないっていう防犯上の事情があって」
「防犯云々はともかく、録画したそばから消えちゃうって意味ね。しょうがないなあ。じゃ、三日目以降、被害に遭った作家を教えてよ。ひょっとして、阿馬に戻ったとか?」
「ううん。七日間とも別の作家。三日目から順に、
「もっちろん。舟山連は本格の騎手で、私のお気に入り作家の一人。根神はサスペンスのプリンセス。すっごく鼻につくタイプの美人だけど、書く物は面白いから困ったもんだわ」
別に困る必要はないんじゃない?と感じたものの、梶尾はそのことを口には出さず、先を急いだ。各作家名の漢字表記を示してやりながら、説明を進める。
「四日目の渡辺三郎太については、あんまり言葉にしたくないんだけど、官能小説書く人。一応、恋愛小説に分類されてるけどね。そこそこ売れてるみたいだけど、私は読んだことない。谷中伸勝は正統派の恋愛小説家。少し古いけど、よくテレビドラマ化されてる人気作家ね。大御所に入れちゃっていいかもしれない。吉沢拓已はSFがメインだけど、ホラーやファンタジー、それにミステリも書く」
「私は知らない……ってことは、その人、ライトノベル系?」
「ミステリはライトノベルね、うん」
ミステリ好きの元村も、一般にライトノベルと総称される作品群にまでは守備範囲を広げていない。
「この七日間、誰一人として犯人を目撃しなかったの?」
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