歩く本屋

葉霜雁景

本と歩く

「はじめまして。『歩く本屋』でございます。この度はお呼び出しいただきまして、誠にありがとうございます」


 そう名乗った男……なのか女なのか不明な人物は、人懐こそうな笑顔を貼り付けて私の前に座った。隣に、背負っていた大きなリュックサックを友達のように置いて。

 パーカーにジーンズの組み合わせという、どこにでもいそうで若い容貌で、流暢な敬語と共に名刺を差し出す様は何だかちぐはぐだ。でも受け取った名刺には、ちゃんと「歩く本屋 守名木すなきつかさ」と書いてある。


「はじめまして。……あの、お呼び出ししておいてなんですけど、守名木さんはどういった本を扱われているんでしょうか」

「あはは、まあ最初はそこですよねー。とりあえず怪しいものは扱っていませんので、ご安心ください」


 性別不詳な顔と声で笑う本屋に、奇妙さはあれど不審さは無い。営業微笑スマイルはそのままに、守名木さんはピシッと背を伸ばした。


「当方が扱っております書籍は、自分の足で集めてきた小説、漫画、絵本、画本、詩歌集、写真集が主となっております。最近はニーズに対応しまして、電子書籍も扱い始めました。これらの書籍を、読み手に巡り合わせること……縁結びのようなことをするのが、『歩く本屋』の概要となっております。あ、このまま注意点をお話させていただいても?」

「お願いします」


 慣れていると窺える、聞きやすい説明に身を任せて相槌を打つ。高すぎず低すぎない声と、早すぎず遅すぎない話し方は、小ぢんまりとした喫茶店内の穏やかなBGMと相まって心地良い。


「紙の書籍の状態は良なのですが、中には古本も混じっております。金銭はいただきませんが、一度お渡しした本は返品不可となりますので、本当に持ち帰るかどうかは熟考をおすすめいたします。数日考えて結論を出した方もいらっしゃいますので、申し出はお気軽に。他にも何か質問がありましたら、どうぞ遠慮なく」

「……自分に必要な本をくれる、と聞きました」


 口にしたのは、ネットから集めてきた情報。いざ音に包んで送り出すと、たちまち嘘へ変わるような気がする言葉に、しかし守名木さんは頷いた。


「ああ、そうですね。当方をお呼び出しになられるのは、必要な本を探していらっしゃる方ばかり。当方が歩くのも、本を必要とする方々に届けるため。そして、必要な人の手に取られたい本を助けるためですので」


 言いながら、放ったらかしだったリュックに手を突っ込む。程なくして、少し大きめのだけど分厚くはない本が一冊、引っ張り上げられテーブルに載せられた。


「これが、私に必要な本、ですか」

「おそらく」

「特に何も言ってないんですけど……」

「事情を話さなくても、寄り添ってくれるのが本でしょう」


 にこり、営業用とは少し違う笑みと共に、何気ない風体で返された言葉が、体内へ落ちていく。ああ、確かに。本は、物語は、向き合う読者私達は、いつだってそうだ。


「本というのは思いを共有する、思いを通して人を、作者と読者を繋ぐ媒体なんです。誰かを独りにさせない、独りぼっちだと勘違いさせないためのもの」


 心の奥底から言葉を引きずり出さなくても、ただ分かると共感できれば、触れることができる。実体が無くても触れられる。


「本自身も、それを誇りと思っている。だからこそ、見つけてもらうのを待っているんです。当方はそれの手助けを……っと、話が逸れてしまいますね。ともかく、貴方に寄り添ってくれる本は、この一冊でしょう」


 す、と。混ざり合う水彩の淡色に、銀色の題字が刻まれた表紙が、すぐ目の前に押されてくる。手に取ってみると、いつもより優しい手触りが伝わってきた、ような気がした。


「必要、というのも様々です。一時なのか、生涯ずっとなのか、代々受け継がれていくのか。何にしろ、本と物語は人に寄り添います。ですので、もしお持ち帰りを決められましたら、大切にしてあげてください」

「はい」


 もし、と前置きされたけれど、私は本を貰い受けようと決めてしまっていた。布が水を吸い取るように、その水が染み渡るように、本はもう私の一部になっていたから。


「……あの。本当にお金は」

「不要ですよ。当方は動けない本を動かしているだけですから。正直、本屋というより司書の方が近そうな気がします。下の名前も司ですし」


 何度も繰り返している名前ネタなのだろう、と予測はしても、ついくすりと笑ってしまった。ほんの数十分前には警戒と戸惑いがあるばかりだったのに、今ではすっかりほぐされてしまっている。


「そうだ。もしよければ、本の感想を聞かせてください。本日お呼び出しいただいたのと同じく、お電話一本で駆け付けます」

「いいんですか。その、あまり感想を言うのは上手くないというか」

「もちろん。何なら一言でも構わないんですよ、面白かったとか、楽しかったとか。それに、確実にこの喫茶店へ来られますしね。ここのホットサンド美味しいんですよ」


 うきうきとオノマトペが浮かびそうな動きで、守名木さんはメニュー表を広げた。現れた写真の中のホットサンドは、確かに美味しそう。


「それなら、今ここで読んで、感想をお話ししても大丈夫ですか。私もホットサンド、食べてみたいです」

「その言葉を待っておりました! あっいえ差し向けたわけじゃないんですほんと、ホットサンド美味しいので!」


 忙しなく言う守名木さんに、また笑わされる。謎めいているけれど、ずいぶんと愉快な本屋さんだ。


「では、注文は当方にお任せを。どうぞ、本を読んであげてください」

「分かりました、お願いします」


 お言葉に甘えて、本を開く。クリーム色のページと、しなやかな字体で並ぶ文字。ほのかな温もりを保ってくれている世界の中へ、ゆっくり浸っていく。


 結論から言って、差し出された本は、必要なものだったと思うけれど。帰宅するまですっかり忘れていた。歩く本屋こと守名木さんを呼び出した理由が、本を読んで誰かと語りたいと、漠然と思っていただけだったことも。

 素敵な本と美味しい食事、語り合える相手。単純なそれらを、久しく忘れてしまっていた。けれどまた思い出せた。


 夢から覚めたように、玄関で立ち尽くしてしまっていた中。バッグに入れていた本を取り出して、そっと抱きしめた。


「ありがとう」


 私のところへ来てくれて、ありがとう。

 付き合いがどれくらいの長さになるか分からないけれど。大切にするので、どうかよろしく。

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歩く本屋 葉霜雁景 @skhb-3725

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