糸の魔法使い

北野椿

第1話

 「ママはねんちょうさんのとき、おさいほうしてた?」という今朝の質問を思い出したのは、穴の空いた娘のズボンを縫い付けていたときだった。娘は、毎日のように疑問を持っては、新しく覚えた言葉で私たちを質問攻めにしてくる。今回のそれは「お裁縫」だったというわけだ。

 凝ってしまった肩をほぐすために首を回す。視界の隅に映ったくたびれたイヌのぬいぐるみを見て、ああこれだと思った。裁縫を始めたのは娘の言う年長さんよりももっとあとのことだけれど、裁縫が私を救ったのはちょうど幼稚園の年長に上がる前の頃だった。

 後々母に聞いた話によると、その日は幼稚園で喧嘩をして帰ってきたのか、機嫌の悪かった姉が私にちょっかいを出していた。やりとりを重ねていくうちに、姉は私が大切にしていたうさぎのぬいぐるみを取り上げたのだという。当然のように、私たちはぬいぐるみを奪い合って揉み合いになった。ブチンという何か頑丈なものが切れた音がしたことは、私も今でも覚えている。綿がはみ出て、転がったイヌの腕も。園児二人とはいえど、柔らかい布で出来ていたぬいぐるみには耐えられなかったのだろう。

 料理をしていた母が飛んでくるくらい、私は火がついたように泣いたらしい。イヌのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて離さないものだから、仕方なく母は私にイヌの身体を持たせて、私の目の前で腕を縫ってくれた。

 シュルシュルと音を立てて、糸はイヌの腕を元の場所に縫い付けていった。すっかり綿が見えなくなったイヌのぬいぐるみをみて、魔法みたいだなと思った。糸は、イヌの腕と一緒に私の裂けてしまった心もしっかりと縫い付けれてくれたから。

 小学校に上がって針を使うことが許されると、私は目に映るほつれや布の穴を手当り次第縫っていった。お陰で上達して今もこうして縫っている。

 口元が綻ぶ。気づいたら私は、魔法使いになっていたというわけだ。

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糸の魔法使い 北野椿 @kitanotsubaki

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