最終章2話 運命の日
『ねぇ、クロード。あなた最近、ちょっと変じゃない?』
ルリアが言った。城で舞踏会が開かれていた、その会場の片隅だった。
咲き誇る花のように舞い踊る人々の輪から逃げるように、ひとり静かに杯を傾けていたクロードを見つけたのだ。
『……何のこと?』
『なんだか元気なさそうだから。……何か悩んでること、ない?』
ルリアに訊かれて、クロードの心が少しだけ浮き立った。けれど──
『アスターも心配してたんだから。ね?』
──そう続いたのを聞いて、クロードはそっけなく視線を逸らした。
『なんでもないよ』
『…………そう?』
ルリアは変な顔をした。全然、納得していないというふうに。──そんな表情も美しくて
ちょっと見とれたクロードに、ルリアはふわりと花開くように笑った。
『ほら、そんな顔しないで。大丈夫。……あなたとこの国は、私たちが守るから』
──その言葉が、クロードを突き放す刃になるとも知らないで。
飲み下した
『どうせ僕はお飾りの王子だよ。……君が危険な目に遭ってても、そばで守ることもできない』
『え? ど、どうしたの? ……クロード』
『……なんでもない。ちょっと酔ったから、外で風に当たってくる』
ムリヤリ貼り付けた笑顔の下に本音を隠して、クロードはその場を離れた。
みじめだった。ふたりに気を遣わせている自分が。彼らの純粋なまでの好意が──胸を引き裂くように痛くて……苦しい。
そして、お互いに距離を感じたまま……。
──その日は、訪れた。
ノワールの国土が亡者に埋め尽くされ、城の中にもあふれかえったあの日──
城にいたクロードのもとにアスターが駆けつけてきた。一目で激戦の戦場を抜けてきたとわかる、戦いの跡を残した悲惨な姿で。
……それでも、決死の覚悟で城に戻ってきてくれたのだと知れた。
『──クロード!』
立ち尽くすばかりのクロードの肩を、アスターがつかんで揺さぶった。その感触で、はっと我に返った。
アスターの
『城はもう保たない。ここから離れるんだ。今ならまだ間に合う!』
──間に合う? どの口が、そう言うんだ?
クロードにもわかってる。
おびただしい亡者の群れ。もう城のそこかしこにあふれている。誰も助かりはしない。……葬送部隊として数多の戦場を駆けてきたアスターが、そのことをわかっていないはずがない。
──わかっていながら。
クロードのために、活路を開く気でいるのが知れた。……その身を犠牲にしても。
クロードは唇を噛んだ。
『うるさいっ! なんでこの期に及んで僕のことなんか守るんだよ! この国は終わる。役立たずな王子はそれでお役ごめんだ。……はじめから僕に守られる価値なんかなかったんだ』
『……!?』
『君たちと一緒にいるのが、ずっと苦しかった! つらかった! ──君のせいだ、アスター』
『……俺……?』
『君が僕からルリアを奪ったんだ。君たちが僕を置いていこうとしたんだ!』
『……何の話だ、クロード』
『放っとけよ。僕のことなんか、ずっと邪魔だと思ってきたくせに……!』
『……っ。バカなこと言ってないで早く来い。死にたいのか!』
アスターが声に焦りをにじませる。その姿が、ルリアの心配そうな顔と重なって見えた。
──お飾りの王子。
いつも、僕は守られるだけ。
ふたりと肩を並べることもできずに……。
ギリッと歯をくいしばった。
『──君にルリアは渡さない』
その、
深く深く、踏み込んだ。
『──!?』
アスターが、目を見開いた。
腹から生えた剣を、信じられない面持ちで見下ろして。
剣の柄をつかんだクロードの手がぶるぶると震えているのを、蒼氷の瞳が戸惑ったように映していた。
『クロード……。…………何、を』
ゴボリと血を吐いて、アスターが膝をつく。
その様子を、クロードは瞬きひとつできずに見つめていた。
アスターの唇が、かすかに何かをささやいて。けれど、その言葉をつむぐこともできずに倒れ伏す。
血だまりが音もなく広がっていった。
(……っ! はぁっ、はぁっ、はぁっ……!)
後戻りのできない後悔の波に、クロードがのまれかけたそのとき──
アスターの胸元で、何かが光っているのが見えた。服の下からこぼれ落ちたのは、女物の意匠の十字架だった。ルリアがいつも身につけていたもの。
……大切なはずのそれをアスターに預けたのだと知れた。
それを見て──
クロードの中に、
背後から、ルリアが泣きながら駆けてくる。
倒れ伏した青年を抱きかかえて名を呼んだ。
何度も、何度も。
『…………ルリア』
『クロード。あなた、何てことを……っ』
『……アスターが悪いんだ……。僕から君を取り上げようとするから。僕を置いていこうとするからっ!』
絞り出すような叫びにルリアが
『何を、バカなことを……っ』
──言いさして。
ルリアは、何も言えなくなったように押し黙った。
(…………?)
不審に思って、クロードは自分の頬に手をやった。
知らぬうちに流れていた涙の感触にはっと息をのんだ。
……胸が詰まった。
──何を泣く?
……自分で殺しておいて。
取り返しのつかないあやまちを冒しておきながら。
ふたりを喪いたくなかった。
肩を並べて歩いていきたかった。
でも、そうするには何もかも違いすぎて。
宝物みたいなふたり。
大切だったからこそ、喪うのが怖かった。
自分で壊して、めちゃくちゃにした。
『…………僕、は……っ』
アスターを刺した剣が、カランと床に転がって。
『うわぁぁぁぁ……!!』
泣き崩れたクロードを、ルリアは静かに涙を流しながら見ていた。事切れて青ざめたアスターの身体を抱いて。
遠く遠く、遠雷のような轟音が響いた。
亡者どもに侵攻されて城のどこか一角が崩れ落ちた音。
ここもそう永くは保たない……。
『…………。たくさんの死者の魂が渡ってく……』
ルリアが言った。熱に浮かされたように、ぽつりと。謡い手である彼女にしか見えない、どこか遠くの情景をその瞳に映すように。
──やがて、クロードにもわからない悲壮な決意に、表情を引き締めた。
『今なら〈
『何、を──』
『私の謡い手としての最期の力を使って〈死者の門〉を閉じるの。……これ以上、亡者たちがこちらへ渡ってこれないように。そして──……』
そこから先は言いよどんだ。
まるで誰かに聞かれることを怖れるかのように……。
掻き
その
『クロード。──あなたに、アスターは殺させない』
ルリアのもつ宝杖が輝きを増していく。
プラチナブロンドの髪とドレスが、風もないのにはためいて──
歌が、高く高く響いた。
この世のものとは思えないほど美しい末期の歌声。
謡い手としての力を最大限に使って、自分の魂を彼岸へと葬送るのだと知れた。もちろん、生身の人間がそんなことをして無事でいられるわけがない。……それでも。
すべてをなげうってでも助けたい、大切なひとのため。
──彼女自身の魂を葬送るための、魂送り。
『嫌だ。ルリア、そんなことしたら君が……!』
『…………クロード』
『なぜそこまでする。そんなにあいつが大事なのか!』
『…………っ』
ルリアは一瞬、ひどく悲しそうな顔をした。
何かを言おうとして……。
けれど、結局は何も言えずに、貝のように口を閉ざす。
ルリアの姿が目もくらむような光に包まれて見えなくなった。
肉体を離れて、魂が彼岸へと飛び立っていく。
『ルリア、嫌だ。逝くな……!』
クロードは闇雲に手を伸ばした。
けれど、何もつかめなくて。
巻き起こる暴風に、息もできない。
「やめろぉぉぉ……っ!!」
身を裂くような悲痛な叫びが、どこにも届かずに、消えた。
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