最終章2話 運命の日

『ねぇ、クロード。あなた最近、ちょっと変じゃない?』



 ルリアが言った。城で舞踏会が開かれていた、その会場の片隅だった。


 咲き誇る花のように舞い踊る人々の輪から逃げるように、ひとり静かに杯を傾けていたクロードを見つけたのだ。



『……何のこと?』


『なんだか元気なさそうだから。……何か悩んでること、ない?』



 ルリアに訊かれて、クロードの心が少しだけ浮き立った。けれど──



『アスターも心配してたんだから。ね?』



 ──そう続いたのを聞いて、クロードはそっけなく視線を逸らした。



『なんでもないよ』


『…………そう?』



 ルリアは変な顔をした。全然、納得していないというふうに。──そんな表情も美しくて可憐かれんだった。舞踏会用のきぬのドレス。結い上げたプラチナブロンドの髪で、無垢むくな白ユリの髪飾りが揺れている。


 ちょっと見とれたクロードに、ルリアはふわりと花開くように笑った。



『ほら、そんな顔しないで。大丈夫。……あなたとこの国は、私たちが守るから』



 ──その言葉が、クロードを突き放す刃になるとも知らないで。

 飲み下した葡萄酒ワインが、味もなく喉を焼いていく。



『どうせ僕はお飾りの王子だよ。……君が危険な目に遭ってても、そばで守ることもできない』


『え? ど、どうしたの? ……クロード』


『……なんでもない。ちょっと酔ったから、外で風に当たってくる』



 ムリヤリ貼り付けた笑顔の下に本音を隠して、クロードはその場を離れた。


 みじめだった。ふたりに気を遣わせている自分が。彼らの純粋なまでの好意が──胸を引き裂くように痛くて……苦しい。


 そして、お互いに距離を感じたまま……。



 ──その日は、訪れた。



 ノワールの国土が亡者に埋め尽くされ、城の中にもあふれかえったあの日──


 城にいたクロードのもとにアスターが駆けつけてきた。一目で激戦の戦場を抜けてきたとわかる、戦いの跡を残した悲惨な姿で。


 ……それでも、決死の覚悟で城に戻ってきてくれたのだと知れた。



『──クロード!』



 立ち尽くすばかりのクロードの肩を、アスターがつかんで揺さぶった。その感触で、はっと我に返った。

 アスターの蒼氷アイスブルーの瞳が、まっすぐクロードを映していた。



『城はもう保たない。ここから離れるんだ。今ならまだ間に合う!』



 ──間に合う? どの口が、そう言うんだ?


 クロードにもわかってる。

 おびただしい亡者の群れ。もう城のそこかしこにあふれている。誰も助かりはしない。……葬送部隊として数多の戦場を駆けてきたアスターが、そのことをわかっていないはずがない。


 ──わかっていながら。


 クロードのために、活路を開く気でいるのが知れた。……その身を犠牲にしても。


 クロードは唇を噛んだ。



『うるさいっ! なんでこの期に及んで僕のことなんか守るんだよ! この国は終わる。役立たずな王子はそれでお役ごめんだ。……はじめから僕に守られる価値なんかなかったんだ』


『……!?』


『君たちと一緒にいるのが、ずっと苦しかった! つらかった! ──君のせいだ、アスター』


『……俺……?』


『君が僕からルリアを奪ったんだ。君たちが僕を置いていこうとしたんだ!』



 唖然あぜんとして聞いていたアスターの蒼氷の瞳に、怒りがひらめいた。



『……何の話だ、クロード』


『放っとけよ。僕のことなんか、ずっと邪魔だと思ってきたくせに……!』


『……っ。バカなこと言ってないで早く来い。死にたいのか!』



 アスターが声に焦りをにじませる。その姿が、ルリアの心配そうな顔と重なって見えた。


 ──お飾りの王子。

 いつも、僕は守られるだけ。

 ふたりと肩を並べることもできずに……。


 ギリッと歯をくいしばった。



『──



 その、呪詛じゅそのような言葉とともに──

 深く深く、踏み込んだ。



『──!?』



 アスターが、目を見開いた。

 腹から生えた剣を、信じられない面持ちで見下ろして。

 剣の柄をつかんだクロードの手がぶるぶると震えているのを、蒼氷の瞳が戸惑ったように映していた。



『クロード……。…………何、を』



 ゴボリと血を吐いて、アスターが膝をつく。

その様子を、クロードは瞬きひとつできずに見つめていた。


 アスターの唇が、かすかに何かをささやいて。けれど、その言葉をつむぐこともできずに倒れ伏す。


 血だまりが音もなく広がっていった。



(……っ! はぁっ、はぁっ、はぁっ……!)



 後戻りのできない後悔の波に、クロードがのまれかけたそのとき──


 アスターの胸元で、何かが光っているのが見えた。服の下からこぼれ落ちたのは、女物の意匠の十字架だった。ルリアがいつも身につけていたもの。

 ……大切なはずのそれをアスターに預けたのだと知れた。


 それを見て──

 クロードの中に、ほのおが再び燃えたぎった。


 背後から、ルリアが泣きながら駆けてくる。

 倒れ伏した青年を抱きかかえて名を呼んだ。

 何度も、何度も。



『…………ルリア』


『クロード。あなた、何てことを……っ』


『……アスターが悪いんだ……。僕から君を取り上げようとするから。僕を置いていこうとするからっ!』



 絞り出すような叫びにルリアが瞠目どうもくした。その瞳に、言い知れない怒りが絶望とともにひらめいた。



『何を、バカなことを……っ』



 ──言いさして。

 ルリアは、何も言えなくなったように押し黙った。



(…………?)



 不審に思って、クロードは自分の頬に手をやった。

 知らぬうちに流れていた涙の感触にはっと息をのんだ。

 ……胸が詰まった。


 ──何を泣く?

 ……自分で殺しておいて。

 取り返しのつかないあやまちを冒しておきながら。


 ふたりを喪いたくなかった。

 肩を並べて歩いていきたかった。

 でも、そうするには何もかも違いすぎて。


 宝物みたいなふたり。

 大切だったからこそ、喪うのが怖かった。

 自分で壊して、めちゃくちゃにした。



『…………僕、は……っ』



 アスターを刺した剣が、カランと床に転がって。

 嗚咽おえつしながら膝をついた。



『うわぁぁぁぁ……!!』



 泣き崩れたクロードを、ルリアは静かに涙を流しながら見ていた。事切れて青ざめたアスターの身体を抱いて。


 遠く遠く、遠雷のような轟音が響いた。

 亡者どもに侵攻されて城のどこか一角が崩れ落ちた音。

 ここもそう永くは保たない……。



『…………。たくさんの死者の魂が渡ってく……』



 ルリアが言った。熱に浮かされたように、ぽつりと。謡い手である彼女にしか見えない、どこか遠くの情景をその瞳に映すように。


 ──やがて、クロードにもわからない悲壮な決意に、表情を引き締めた。



『今なら〈死者の門ゲート〉が開いてる。……まだ間に合うわ』


『何、を──』


『私の謡い手としての最期の力を使って〈死者の門〉を閉じるの。……これ以上、亡者たちがこちらへ渡ってこれないように。そして──……』



 そこから先は言いよどんだ。

 まるで誰かに聞かれることを怖れるかのように……。


 掻きいだいていたアスターの身体をそっと横たえて、紫水晶をはめた宝杖ロッドを手にした。

 その黄玉トパーズの瞳が、りんとした光を帯びた。



『クロード。──あなたに、アスターは殺させない』



 ルリアのもつ宝杖が輝きを増していく。

  プラチナブロンドの髪とドレスが、風もないのにはためいて──


 歌が、高く高く響いた。


 この世のものとは思えないほど美しい末期の歌声。

 謡い手としての力を最大限に使って、自分の魂を彼岸へと葬送るのだと知れた。もちろん、生身の人間がそんなことをして無事でいられるわけがない。……それでも。


 すべてをなげうってでも助けたい、大切なひとのため。



 ──



『嫌だ。ルリア、そんなことしたら君が……!』


『…………クロード』


『なぜそこまでする。そんなにあいつが大事なのか!』


『…………っ』



 ルリアは一瞬、ひどく悲しそうな顔をした。

 何かを言おうとして……。

 けれど、結局は何も言えずに、貝のように口を閉ざす。


 ルリアの姿が目もくらむような光に包まれて見えなくなった。

 肉体を離れて、魂が彼岸へと飛び立っていく。



『ルリア、嫌だ。逝くな……!』



 クロードは闇雲に手を伸ばした。

 けれど、何もつかめなくて。

 巻き起こる暴風に、息もできない。



「やめろぉぉぉ……っ!!」



 身を裂くような悲痛な叫びが、どこにも届かずに、消えた。

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