最終章 氷と焔の輪舞曲(ロンド)

最終章1話 王子の憂鬱

 魂送たまおくりで葬送おくられた亡者どもの魂が、薄緑色の光の球となって青い空に吸い込まれていく。


 その余韻よいんにひたる余裕もなく、アスターは戦場をひた駆けた。葬送部隊の一員として彼が頼みとしている、たったひとりの相棒パートナーのもとへ。



『ルリア、大丈夫か……!?』



 亡者どもの最後の一体まで魂送りを終えてくずおれた相棒を、アスターは抱き起こした。

 戦闘の最中さなか、亡者どもに群がられて傷を負っていたのだ。


 抱き起こしたルリアの顔色は白い。戦場の中にあっても白い巫女の聖性服の胸元が血に濡れていた。

 ……息はある。

 服を、胸元で揺れていた十字架ロザリオの辺りまでくつろげて──



『…………え?』



 ──息をのんだ。


 次の瞬間、息を吹き返したルリアが身をひるがえしていた。



『見ないでっ……!!』



 服の胸元を掻き合わせて、ぽろぽろ涙を流す。かつてないほどの激情を秘めて。


 その姿を、アスターは何も言えずに見つめていた。



  ☆☆



 昔、誰かが言った。

 王城は、奸計かんけいと謀略の巣窟だと。

 でも、僕は生まれてからこんな世界しか知らない……。



『──それで、クロード。おまえの意見は?』



 国王の声で、クロードははっとして、ぼんやりと見ていた資料から顔を上げた。


 小ぶりながらもきらびやかなシャンデリアの下の、会議の円卓。諸侯の視線が一斉に、クロードに集まっている。


 しまった、と思った。



『は、はいっ。リエヌ地方の日照りについては……』


『それはもう終わった。次のページ』


『……え……』



 諸侯からくすくすと忍びやかな嘲笑があがる。国王が顔を覆わんばかりに天を仰いだ。



『し、失礼しました……。ロタ共和国への葬送部隊の技術提供については、各地の聖堂から優秀なうたい手や職人を派遣して──』


『──そんなことをして我が国に何の理があるのです?』



 あきれたように言ったのはエインズワース公爵──ルリアの父だ。



『ロタ共和国は、凍てついた大地しかもたぬ小国。人口も資源も少ない。我らが技術提供したからといって、何のうまみもない』


『ですが、もしロタ共和国が亡者に壊滅させられれば、大量の難民が出ます。その受け入れを考えたら、後々、困るのは我が国かと──』


『そんなもの、亡者に食わせておけばいいでしょう。奴ら、ひとを食うのが仕事ですからな。奴らの腹を満たしておけば、当面、我が国に被害が及ぶ心配もない』



 議場が笑いに湧いた。

 それを聞いて、クロードの頭に血がのぼった。

 アスターやルリアは、この国を守るため、亡者相手に命のやりとりをしているのに……!



『──何がおかしいんですか!』



 いつもはおとなしい王子の一喝に、議場がしんと静まりかえった。

 クロードは、肩で息をしながら立ち上がった。



『損得で動いて何になるんです⁉ 亡者がはびこって、世界が手を取り合わないといけないこのときに。国が滅びるのを黙って見てろと言うんですか!』



 笑っていた諸侯たちがしらけていく。

 そんな彼らも、この部屋を出れば、国民に対して神妙な顔で告げるのだ──「我々は一致団結して亡者の危機を乗り越えなければならない!」。


 冗談じゃなかった。

 それなら、今も亡者のいる戦場を駆け回っている友人たちは、何のために戦っているのだ。

 何のために……。



『あるいは、そのとおりなのですよ、クロード王子』



 エインズワース公爵は──娘を謡い手にもつ父親はそう言った。



『我々も慈善活動をしているわけではない。我らが考えるのは国のため。我らが守るべき国民のためです。他国がいくつ滅びようと、それは我らが負うべきものではない』



 ──誰のための王か、よくお考えくださいませ。


 冷笑がひそやかに広がっていく。

 クロードは真っ青になって震えながら、黙って席についた。



(やれやれ。あんな軟弱な王子に、国を担う大役を任せると思うと、気が滅入るな……)


(まぁ、そう言いますな。せいぜい我らの傀儡かいらいとなっていただきましょう)



 陰で彼らがそうささやいているのも知っている。


 消沈して座り込んだ自分を見る、国王の落胆したような眼差しを感じながら、クロードは会議が終わるのをひたすら待った。


 会議が終わると、陰鬱な気持ちで廊下に出た。

 蔵書室のテラスに引きこもりたい。それとも、ひとけのない演習場がいいだろうか。


 アスターとルリアは任務で今、城にいない。ふたりがいないと、時間がやけに長く感じられた。

 早く帰ってこないだろうか。早く……。


 そうして歩いていると、不意に、侍女たちのひそひそ声が耳を打った。



『──ねぇねぇ。アスター様とルリア様って、なーんか怪しいわよねぇ』


『そうねぇ。ご本人たちは、お友達同士だって言うけど……それも、ねぇ?』


『でも、ルリア様はクロード殿下とご婚約されてるでしょ?』


『あんなの、親同士が勝手に決めたお話に決まってるじゃない。私がルリア様のお立場だったら、そりゃあ、アスター様になびくわよ。なんたって戦場で命を預けあう相棒なんだもの』


『あのちょっと冷たい態度がたまらないのよねぇ』


『ほんとほんと。美男美女だものね。お似合いのふたりだわぁ』



(…………。またか……)



 聞いていたクロードはげんなりした。

 侍女たちの噂話ときたら……。


 この手の話は婚約当初からあるのだ。いちいち相手にしていたらキリがなかった。

 まともに取りあう必要はないとわかってはいるけれど……タイミングがタイミングだけに、傷口に塩を塗られた想いだった。


 人知れず満身創痍まんしんそういになっていたところへ、廊下の向こうから声がかかった。



『──おや、クロード殿下』



 突き当たりで出会ったのは、ラウだった。クロードとアスターの剣の師匠。四十がらみだが、均整のとれた身体つきで、ひとのいい笑みを浮かべている。



『アスターとルリア様には、もう会われましたか? 遠征から戻ってきたようですよ』


『……っ! ラウ、ありがとう』



 一も二もなく会いにいった。


 アスターとルリアはまだ厩舎きゅうしゃにいた。王城の中でも選りすぐりの馬たちが世話されているところ。

 ふたりの後ろ姿が見えて、クロードは駆け寄った。



『アスター! ルリア!』



 声をかけた途端──


 ふたりが互いにはっとして身を引いた。

 驚いたようにクロードを見て、次いで、気まずそうに視線を逸らした。



(……え……?)



 クロードは、わけもなく立ち尽くした。



『……どうしたの?』


『な、なんでもないのよ。ねぇ、アスター』


『あぁ……』



 ルリアの黄玉色トパーズの瞳が、赤くうるんだように伏せられて。アスターが何でもなさを装って距離をとる……不自然に。



(……?)



 それからも何度か、ふたりでいるのを見かけた。


 アスターの前で、ルリアは可憐な花がほころぶように笑った。やっと心を許せる相手に巡り会ったというような、安心しきったような微笑み。

 ……そんなルリアを、クロードは知らない。

 でも、クロードが近付くと、ふたりは澄ました顔で取りつくろうのだ。


 アスターとふたりきりになってクロードは切り出した。



『さっき、ルリアと何話してたの』


『……何の話だ』


『とぼけるなよ。僕が行くまで、ふたりで楽しそうに話してただろ』


『別に、たいした話はしてない。今度、配置替えになる部隊の話だよ。そんなこと、おまえに話してもつまらないだろ』



 ……嘘だ。


 アスターが視線を逸らす。その仕草ににじんだ、微妙な嘘の臭いをクロードは見逃さない。

 長年の付き合いだからこそ、ふたりに壁を作られているのをひしひしと感じてしまう。


 クロードの目から見ても、まるで宝石みたいなふたりだった。

 家柄も容姿も実力も申し分ない──という点でも、ふたりはよく似ていた。それゆえに感じている孤独も。


 なんで自分なんだろう、とクロードは時々、思う。


 アスターは、自分に忠誠を誓ってくれた。

 ルリアは、この国を守ると言ってくれた。


 クロードにあるのは、ノワール王国の王子という肩書きだけだ。

 生まれたときから据えられていた玉座。

 そこにクロードの功績は何もない。


 ルリアが婚約者でいてくれるのは、クロードが王子だからだ。

 王国を守る戦乙女の結婚──必要なのは王の息子という肩書きだけ。それはクロードでなくてもかまわない。


 アスターとルリアがふたりでいるところを見ると、胸の奥が焼け付くように痛んだ。

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