第5章10話 災厄の箱

 延々と続いた廃鉱の奥にぽっかりと開いた広大な空間──そこに踏み込んで、アスターは絶句した。


 九十九の棺が等間隔に並ぶ異様と立ちこめた十数人分の生々しい血の臭気に、顔をゆがめた。


 昼間に会ったゴードン・バルキーズ子爵も事切れた肉塊となって転がっている。

 そのそばに、メルとクロード、そして見知らぬ女がいた。



「クロード……。これはいったい……」


「アスター! ……きゃあ!?」


「……っ! メル!」



 アスターのもとに駆けようとしたメルを、クロードのそばにいたフードの女が羽交い締めにする。

 そのかたわらで血まみれの剣をさげたクロードが、アスターに向かって薄く微笑んだ。皮肉げな笑みだった。



「やぁ、アスター。よくここがわかったね。どうしてこの場所にたどり着けたか、教えてもらってもいいかな。今後の参考に」


「この廃鉱で助けたときからずっと引っかかってた……あのとき、なぜおまえがこの廃鉱で亡者と戦ってたのか」


「……へぇ?」



 クロードが首をかしげてイタズラげな笑みを浮かべる。


 ……そう。思えば、違和感は最初からあった。


 あのとき、クロードは商人たちの護衛を買って出て、廃鉱の奥で亡者と戦っていた。

 旅装束に身を包み、たったひとりで亡者どもを引きつけていた──でも。



「あの亡者の数で、おまえがあんなに手こずるはずないんだ。魂送りはできなくても、商人たちを逃がして自分も逃げるぐらいできたはずだ。そうしなかったのは……誰かがやって来たとき、あの奥に行かせたくなかったから。わざわざ旅姿にふんして商人たちの護衛を買って出たのも、そいつらが奥まで行ってこの棺を見つけないようにするためだ」


「……」



 クロードは無言の微笑みでアスターの言葉を肯定した。


 そんなクロードを見ていると、アスターの胸に在りし日の稽古けいこの剣撃が響いてくるようだった。……生来の素質はあるのに、よく剣の稽古をさぼって怒られていたクロード。


 争い事が苦手な惰弱な王子と周囲はわらったけど、アスターはそうは思わなかった。むしろ剣をとってしまえば殺さずにいられる自信がなくて逃げていた……優しい幼なじみ。


 故国にいた頃、手加減なしに剣を交わせる練習相手ライバルはいなかった──目の前の青年を除いて。


 クロードは、ふっと瞳をなごませた。



「やれやれ、ずいぶんと買いかぶってくれたものだね……防国の双璧とまでうたわれた君が」


「……茶化すな」


「バレちゃあ仕方ないよね。ここ、バルキーズ子爵との秘密の場所だったんだよ。若い女たちの死体を集めては、この場所に運び込んでた。……バルキーズ子爵は、自分で死体を作ってたけどね」



 アスターは眉をひそめた。



「じゃあ、メルのことをさらったのは──」


「バルキーズ子爵だよ。魂送りをする奴隷に目がくらんだんだろうね。めずらしい商品は高く売れるから。亡者がはびこるこのご時世、我が身かわいさに大金を出す輩はたくさんいる。……でも、この子を殺されると僕も困るんだ。だから──子爵には悪いけど退場してもらった。ここから先、彼の協力はもういらない」



 もう役に立たないから、と。

 壊れたオモチャみたいに切り捨てた。

 自分の協力者を、あっさりと物言わぬ肉塊にした。


 そんなクロードを……アスターは知らない。



「……クロード。おまえ、何をしようとしてる。この場所は何だ。メルを──そいつをどうするつもりだ!」


「──時の砂時計を反転させるんだよ……」



 耳慣れない言葉に、アスターがけげんな顔をする。

 それを見てとって、クロードは笑んだ。



「アスターは知らないかな。聖典の一節にあるくだりだよ。『時の砂時計が反転するとき、死者のときが生者の刻に流れ込む』……」


「何、を──」


「生者と死者の世界の境界にある〈死者の門ゲート〉開いて──ルリアの魂を迎えにいく」



 アスターは目を見開いた。

 クロードの話に、思考がにわかに追いつかない。


 ルリアの魂を……迎えにいく、だと?


 クロードは自分で作った死体を、ちらりと見やった。



「子爵のおかげで計画が狂ったけど……仕方ない。儀式に必要な九十九人の乙女の死体はそろってる。必要だった聖性に満たされた肉体うつわもちょうど、ここにある」



 クロードに剣尖を当てられたメルが、びくりと身を硬くした。


 ルリアの魂を宿らせるための肉体うつわとしての──生きた人間。



「何を……言ってる。そんな荒唐無稽こうとうむけいな伝承で、こんな……!」


「まるっきり無茶な話でもないさ。──要するに、。死んだ肉体を離れた魂を、彼岸からび戻すのさ……こんなふうに」



 クロードのかたわらにいた女が詠唱すると、アスターのそばにあった娘たちの棺の上に魔方陣が現れた。そこから、嘆きの叫びとともに腐った肉体がうごめき出てくる──亡者。



「なっ──!?」



 二体、三体と亡者どもが迫ってくる。

 その攻撃をかいくぐり手足を斬り飛ばす間にも、クロードの言葉が降ってきた。



「でも、ただ魂を彼岸から喚んでも、このとおり、肉体には宿らず亡者となってしまう。何度試しても、死者を蘇生させることはできなかった。──でも、魂送りをするほどの聖性の強さのある肉体からだなら?」


「……っ。れ言だ……!」


「──そうとも限らない。聖性の強さがなぜ魂送りをするための条件となるか考えたことはあるかい? 聖性っていうのは、言い換えれば、死者と通じ合う適性の強さなんだよ。だからこそ、死者の魂を葬送ることもできる」



 ──逆もまたしかり、と。クロードは言う。



「死者の魂を葬送ることができるなら、──そう僕は考えてる」


「バカな……! たとえそうだったとしてもそれでルリアが喜ぶと思うのか。ルリアの最期を見てもおまえは──」


「──君に何がわかるっ!!」



 クロードが叫んだ。血を吐くように。

戦いの中にいるアスターが一瞬、動きを止めるほどの──激情。


 クロードが駆けた。亡者と戦っていたアスターに向かって一直線に距離を詰め、剣を振り下ろす。その剣を、アスターは受けた。



「君と再会して、僕がどんなに絶望したかわかるか? 君は何も覚えてなかった。ルリアのことも忘れて平然と新しい相棒と組んでた。君はもうルリアのことを忘れたんだ──君のことを愛してた彼女を!」


「待て。何を──」



 クロードの剣撃がますます激しくなる。恐ろしいほど研ぎ澄まされた剣技だった。魔術の影響を受けた亡者どもの加勢もさることながら、それ以上にこの二年間のクロードの痛みと傷が烈気れっきとなって吹き荒れていた。



「──君のせいで、ルリアは死んだのに……!」


「⁉」



 ……何を、言っている……?


 ルリアが死んだのは、亡者に群がられたからだ。

 ノワール王国が滅んだあの日、助けられなかった無力な自分を、何度も何度も悔やんだ。


 ──けれど。


 そういうことではない、と頭のどこかで警鐘が鳴る。

 クロードの言うことを、心のどこかで薄々わかっている……そんな奇妙な感覚に肌が粟立つ。


 混乱に足を止めたその一瞬のうちに、クロードの剣が左肩をかすめた。



「……っ!」



 血が飛び散り、弾けるような鮮烈な痛みが走った。



「なぜ僕のことを捜す! なぜ僕と笑って話せる! 君は何も覚えちゃいなかった。自分で記憶を封じたんだ。過去の幻想ゆめにすがって、実際に起きた現実ことからは目を逸らした。あの日、僕たちの間に起きたことを、なかったことにした──!」



 クロードの言葉に困惑する。

 けれど、心の奥で──カチャリ、と鍵の回る音がする。

 厳重に封じ込めた記憶の扉。それが開いてしまったら、もう後には戻れないから。

 不吉な予感に、心が悲鳴をあげていた。

 やめろ。その先を聞きたくない。

 ──だって、本当はもう、答えを知っている。

 それに気付きたくなかったから、自分は……──



「ノワールが滅んだあの日、君は死んだのに。──!」

 


 瞠目した、刹那。

 クロードの剣が、ずぶりとアスターを刺した。

 まるで──ノワールが滅んだあの日の再現のように。


 …………思い出した。


 事切れる間際、アスターは見ていたのだ。

 自分を刺し貫くクロードの肩越しに。ルリアが悲壮な顔をして駆けてくるのを。泣きながらアスターの名前を呼んでいるのを。



(…………ルリ、ア……)



 誰かが駆けてくる。悲痛な泣き顔で、何度も何度も名前を呼ぶ。


 だけど──

 もう、目を開けることもできなくて……。



(………………)



 ここがどこか。今がいつかも、わからなくなって……。

 自分にすがりついて泣き叫んでいる少女が誰かも思い出せないまま……──


 アスターの意識は、深い闇に沈んでいった。



(五章・了)

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