第5章9話 ぎらついた野望

 猿ぐつわを噛まされ後ろ手に縛られたメルは、速度を速めて乱暴な馬車の振動に黙ってえていた。


 ピエールと一緒に、港から商人ギルドに戻る途中、ピエールと一緒に路地裏に引きずり込まれて、メルだけ馬車で連れ去られたのだ。抵抗したピエールは、路肩に殴り倒されていた。


 鎖が断たれたとはいえ、足枷付きのメルを身代金目的で誘拐するやからがいるとは考えづらい。男たちの目的がわからないのが、余計に恐怖心をあおった。


 頭からずだ袋を被せられて、外の様子が全然わからない……。



「……。歩け。このまままっすぐだ」



 馬車がどこかに止まって降ろされ、背中にナイフを突きつけられた気配がする。

 メルは泣きそうになりながら、怖々と歩き出した。歩くたびに、足音が奇妙に反響する。



(洞窟? それとも、地下室……)



 反響する足音の数は多くない。──四、五人。襲ってきた男たちの他にはいなさそうだ。そういえば、馬車も大型の幌馬車ではなく、個人で乗るような二頭立てのものだった。


 何度もつまずき、転んではムリヤリ立たされながら、果てしなく感じるほどの距離を歩いた。

 実際には、そんなに歩いていないのかもしれなかったが、目が見えずに歩くというのは思った以上に心身を消耗しょうもうさせた。


 歩いて、歩いて、歩いて──


 やがて、どこか広い空間にたどりついた。音の反響で、それがわかった。


 そこかしこに松明たいまつがあるらしく、松ヤニの匂いが鼻をつく。それと、何かの薬品の臭い……。ひんやりとした空気に肌が粟立あわだった。


 そこへ──



「なぜこっちに連れてきたんだ! 話が違うだろう!」



 すぐ間近でイラ立ったような男の怒鳴り声がして、メルはびくっと身をすくませた。

 メルを連れてきた男たちが動揺する気配が伝わってくる。



「で、でも……。いつもの女たちはこっちに運んできたもんで」



(……いつもの女たち? 話が違う?)



 戸惑っているメルの頭から、ずだ袋が乱暴にむしり取られた。


 天井の高い、洞窟のような広場だった。

 何か大きな荷物のようなものを入れた箱がいくつも等間隔に並んでいる。目の前の男が憤怒ふんぬに顔をゆがめていた。


 ──知らない男だった。


 でっぷりと太った身体を、悪趣味な金色のウエストコートで包んでいる。丸太のような指に大ぶりなカットの宝石をあしらった指輪がはまっていた。



「この娘をさらったのが我々だなどと、クロード卿にバレてはならんのだ。お連れの持ち物を横取りしたなどと知られたら、我々の信用がガタ落ちだ。早く屋敷に連れ帰って塔に幽閉し──」


「その必要はありませんよ──



 通路の奥──


 おそらくメルが目隠しをされながら通ってきた場所に、銀髪の青年が立っていた。

 仕立てのいいリボンタイの貴族服。腰には剣をさげている。


 青年のかたわらにいたフードの女が、何か呪文を唱えて小さな紙片を飛ばした。見慣れぬインクで書き取りのされた紙が、メルを捕らえてきた男たちのところに飛んでいき──



「ぐっ!」「うわあぁ!」



 紙片から放たれた電撃に、一斉にくずおれた。


 あまりのことに、メルはあっけにとられた──魔術。

 話には聞いたことがあるけど、実際に見るのは初めてだった。魔術師なんて滅多に会えるものではない。


 そんな魔術には目もくれず、銀髪の青年は冷ややかな歩みでバルキーズ子爵に詰め寄った。



「魂送りをする奴隷──よだれが出そうなほど欲しがってましたよね。僕に内緒で動いて売り飛ばそうという心づもりでしたか? ──僕の臣下の連れだと知っていながら」



 にっこりと言う、その笑顔に底知れないすごみがあった。獰猛どうもうな虎が爪と牙を隠して近付いてくるのにも似ていた。


 バルキーズ子爵が「ひぃ……っ」と声をあげた。



「ご、誤解だ! この娘が例の魂送りをする奴隷だなんて知らなかったんだ。いつもの通り、死体にして防腐処理エンバーミングするつもりで……!」



 ──死体に、して……?


 メルは無意識のうちに後ずさった。


 かたわらにあった荷物に蹴つまずいた拍子に、ふたが開いて中身が飛び出した。中から出てきたのは、まるでろうのような──人間の手。


 手の先につながっていたのは、二十歳に届くかどうかという娘の身体だった。半開きになった目が、瞬きもしないで、茫々ぼうぼうと虚空を見つめている。


 ──


 メルは慄然りつぜんと、等間隔に安置されている荷物の群れを見た。


 暗がりで箱かと思ったそれは棺桶だった。無数のひつぎが運び込まれているのだった。そのひとつひとつに女たちの死体が収まっている。



(…………っ!?)



 猿ぐつわの間から悲鳴がもれた。

 ガタガタと震えているメルにちらりと視線をやって、クロードはまたバルキーズ子爵に視線を戻した。



「そんな勝手なことをされては、僕が困るんですよ。その子にはまだ用があるのでね……。まぁ、正直なところ、あなたの奴隷たちに対する仕打ちにも辟易へきえきしていたところだ。……残念ですよ。あなたとはもっとうまくやっていけると思っていた」


「……っ! 貴様が言えたことか、ノワールの亡霊め。上客の取引相手だと思って下手に出ればいい気になりおって。──衛兵ども、出会え!」



 暗がりから、明らかに武装した男たちが躍り出て、青年と女を取り囲んだ──数は、十数人。

 フードの女が青年に目配せした。



「クロード様、ここは私が──」


「下がってろ、エマ。こんな輩を相手に魔力を無駄遣いすることはない」



 言って、クロードはふらりと歩み出た。剣に手をかけてはいても、まるで散歩に出るような気楽さで。

 そのクロードに、衛兵たちが躍りかかった。


 猿ぐつわの下で、メルは悲鳴をあげそうになった。


 ──アスターの大事なひとなのに……!



(……っ! ダメ! やめてぇ……!)



 一瞬後には、銀髪の青年が死体となって転がっているのを予感した。


 ──そして、それは見事に裏切られた。


 クロードが身体を沈めて、剣を構えた。その剣尖けんせんが見たこともない軌跡を描いた。


 アスターの剣技が青ざめた月の半円を描くとしたら、クロードのそれは完全な形の円だった。その軌道に、メルは燃えさかる太陽の幻を見た。



 ──炎舞光輪斬!



 辺りを焼け焦がすような剣風で、衛兵たちが次々と血しぶきをあげて倒れていくのを、メルは瞠目しながら見た。


 初めて会ったときに、アスターが亡者どもをまとめて吹き飛ばしたのにも似て。……でも。


 あのときのアスターに感じたのは、凍てつくような底知れない悲しみだった。傷付いたまま、血を流している心の傷。


 クロードの剣技は違う。


 燃え上がるような激情だった。ドロドロに煮詰められたマグマのような怒りや憤りですべてを焦がしなめ尽くそうとする──暴力的なまでの凶暴さ。


 衛兵たちが力量の違いに恐れをなして逃げ腰になった、その一人ひとりに追いすがって無慈悲な一撃を浴びせていく。冷徹に──残忍に。


 衛兵たちの最後のひとりを倒し、返り血を浴びたクロードが振り返った。ガタガタと震えているバルキーズ子爵に向かって。


 クロードはもう……笑っていない。



「……何か言い残すことは」


「ひぃっ……! 助けてくれ。悪かった。小娘も返す。だから、命だけは……!」


「えぇ。あなたに殺された奴隷たちもそう思っていたでしょうね……。あなたはその命乞いを聞かなかったわけだ」



 クロードは、一歩一歩、バルキーズ子爵との距離を詰めていく。



「頼む。一蓮托生いちれんたくしょうだったじゃないか……! 私を殺せば、貴様の計画も立ちゆかなくなるぞ。思い出せ……何のために九十九人もの死体を集めたか。貴様の知識とその女の魔術、そして、私の奴隷たちと資金があれば、亡者どもを人工的に創り出して諸国に輸出することも……」



 聞いていたクロードが、ふっと笑った。

 幼子をあやすような透明な笑みで。冷ややかに言った。



「そんなことが目的だと信じていたのはあなただけです」



 おめでたいですね……とつぶやいて。

 クロードの剣が男の肉体に沈んだ。


 ずぶりと、ぎらついた悪趣味なウエストコートの中の贅肉ぜいにくを、まるで、肉塊か何かのように突き刺した。

 口からゴボリと血を吐いた男の身体が痙攣けいれんし、地面にくずおれた。



「…………」



 クロードはしばし、バルキーズ子爵の事切れた死体を冷めた目で見つめた。

 その視線がふっと上を向いた──メルに向かって。



(…………っ!)



 あまりの凶行に、とっさに逃げ出しそうになったメルをとどめたのは、クロードの言葉だった。



「……。アスターの連れか……」



 ──その名前を聞いて。

 メルの心に、つかの間、冷静さが戻ってきた。


 クロードが歩み寄ってくる。貴族服に返り血を浴びたまま。

 ……でも、メルを守ってくれたからだった。


 少しかがんで、後ろ手に縛られた拘束を解き、猿ぐつわを取ってくれる。メルは、やっとまともに息ができた。



「あの……助けてくれてありがとうございました」



 ぺこりと、頭を下げた。


 クロードは何も言わない。戦いが終わっても、厳しい顔でメルを見つめている。……と思うと、不意に目を逸らした。自分の中の激情に堪えかねるように。



「別に。君のためじゃない」


「…………え? ……きゃっ!」



 ぼそりとつぶやいて、クロードはメルの肩をつかみ──押し倒した。

 メルはなすすべもなく、そばの棺に背中を押しつけられた。



「あ……あの?」


「おまえは何だ。なぜアスターの隣にいる! まるでルリアの代わりみたいに……!」



 メルは目を見開いた──ルリア・エインズワース。

 アスターの故郷で、相棒をしていた謡い手。


 クロードはバルキーズ子爵と向き合っていたときとは打って変わった激情で、剣を振りかぶった。



「おまえなんか……っ!」



(……っ!)



 血まみれの剣が振り下されるのを、横から誰かがつかんで止めた。フードの女──魔術師のエマ。



「──クロード様」


「エマ。なぜ止める……っ」


「その子どもを殺しては、私たちの計画に差し障ります」


「……っ」



 クロードは忌々いまいましげに剣を引いた。


 そのとき、洞窟の広場に駆け込んでくる人影があった。



「──メル!」



 旅装束の外套マントに剣。その髪が太陽のもとで冴え渡るように輝くことも、厳しく引き締まった蒼氷の瞳が、ときに優しくなごむのも知っている。


 その声を聞いて、メルは膝から崩れ落ちるかと思うほどほっとした。五日ぶりに見る姿に、胸が熱くなった。



「……アスター!!」

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