第5章7話 坂道を転がり落ちるように……

 結局、その日も何の成果もあげることなく、メルとピエールは、とぼとぼと商人ギルドへの帰路についた。


 夕暮れが迫り、昼間はにぎやかだった露店も次々と閉店して、今は天幕テントの骨組みをものさびしくさらしている。



「さすがに疲れたな……」


「ピエール、ごめんね。今日も無駄足で……」


「あ、いや。メルが謝ることじゃないって」



 ピエールが言ってくれても、メルはしょぼくれる。今日もひとりで宿に帰るのだと思うと、気が滅入った。


 ──もしかしたら。


 今度こそ置き去りにされたのはないかと思ってしまう。

 クロードと一緒に、どこか遠い場所に行って。

 メルのところに、二度と戻らずに。



「こんなこと、言いたくないけどさ……。アスターさん、明後日までに帰ってこなかったら、どうする?」


「……」



 ……わからない、と。

 ぽつりと、メルはつぶやいた。



「うちにおいでって、パルメラさんは言ってくれるけど……。私、魂送りしかできないし。迷惑になると思う」


「そんなことねーって」



 励ましてくれるピエールに、メルは弱々しくかぶりを振った。



「アスター、どこに行っちゃったんだろう……」



 ぼんやりとつぶやいたメルに、ピエールは痛ましそうな目を向けた。途方に暮れた同い年の少女に、かける言葉が見つからなくて。


 家々の合間、黄昏色に染まる空を、カラスが数羽飛んでいく。

 それを見て、ピエールはふと、足を止めた。



「ギルドに戻る前にちょっと寄り道していかない? とっておきの場所、教えるからさ」


「……?」



 そう言ってピエールがメルを連れていったのは、町外れの港だった。


 大陸各地をめぐる大型帆船はんせんも、漁に出る小型の船も、今は静かに波に揺られている。

 誰もいない桟橋に出ると、潮風が一層強く吹き付けて、波間のブロックに弾けた白い飛沫しぶきがメルたちにまで届いた。


 けれど、何より胸に迫ったのは──


 水平線に沈んでいく、燃えるような夕陽だった。一日の終わりの、最後のきらめきをひときわ輝かせて、胸を焦がすようなくれないが空と海の境に溶けていく。


 メルは鬱々うつうつとした気分もつかの間忘れて、その輝きに心を奪われた。



「すごい。きれい……!」


「だろ? オレもやなことがあったとき、よくここに来るんだ。海とか空とか見てたら、オレってちっぽけなことで悩んでんなーって思える」



 波の音がまぎれてしまいそうなひっそりとしたつぶやきが、メルの胸を打った。



「ギルドで嫌なこと、あるの?」


「そりゃ、いいことばっかじゃないよ。パルメラさんは人使い荒いし、仕入れ先にぼったくられちゃあ怒られるし」



 冗談めかしておどけて言うのに、メルは思わず笑った。



「家に帰れば帰ったで親父が飲んだくれてるし。おふくろは家に寄りつかないし。……やってらんない」


「ご、ごめんなさい……」


「だーかーらー、メルが謝ることじゃないって」



 商人見習いの、男の子。そういえば、彼がどうしてギルドで働いてるのか、メルは全然知らない。メルと同じ年頃。農村ならともかく、リビドのような少し大きな町なら学校に通っていてもおかしくない年齢だった。


 そのことに少しも疑問をいだかなかった自分が、恥ずかしくなった。


 口を開いたピエールの言葉を、潮風がさらっていく。



「もし……」


「え?」


「……ったら──」


「ごめん、風の音がうるさくて。何?」


「……っ」



 ぐいっとピエールがメルを引き寄せた。抱き寄せるように。



「もしアスターさんが帰ってこなかったら、ずっとここにいろよ! メルのこと、みんな気に入ってる。誰も迷惑だなんて思わない。オレも──」



 ──オレも、おまえのこと気に入ってる……から。



 そう言ったピエールの横顔が、あまりに真剣で。夕焼けに照らされて耳まで赤い。


 メルは驚きに目を見開いて──次いで、顔をくしゃりとゆがめた。

 何もかもが、アスターのいない未来に向けて坂道を転がるように動いていくみたいで……。


 ザイスとの一件以来──


 メルは無意識のうちに、アスターとずっと一緒にいられるのだと思っていたのだ。

 これからも変わらずに旅をして、アスターと一緒に亡者を葬送るのだと、どこかで信じていた。

 旅はいつか終わるのだと、考えもせずに。


 ……でも、当たり前のことだった。


 アスターの捜し人が見つかれば、旅はそこで終わり。亡者と戦わないのであれば、魂送りしかできないメルは必要ない。


 なのに、その当たり前の事実を認めるのを、心が拒んだ。

 認めてしまえば、アスターが本当に帰ってこなくなりそうな気がして。


 変わらないものなんて、本当はなくて。

 砂時計の砂はこぼれ落ちたまま、元には戻らない。

 それでも、メルは確かなものが欲しかった。

 この手の中に永遠があると信じたかった。


 そんなもの……どこにもないのに。



(…………っ!)



 メルは、ピエールの胸にそっと顔をうずめて、すすり泣いた。


 暮れなずむ夕陽の残照が、暗い波間に飲み込まれて消えていった。

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