第5章5話 命の値段

 ──それから、アスターは宿に帰ってこなくなった。


 ひとり分の個室で、ひとりでベッドを使って目覚める。

 朝が来るたびに、空っぽのソファを眺めるのが日課になった。ブリキのコップやタオルを使った跡がないか見て回り、昨日と寸分変わらないのを見てがっかりする。


 ひとりでいるのと、ひとりになるのは違うのだと、思い知らされるようで……。


 何もすることがないから、パルメラのいる商人ギルドに手伝いにいく。事情を知ったピエールや職員たちも、快く置いてくれた。



「あの部屋引き払って、うちに転がり込んだら? メルちゃんひとりなら、うちもなんとかなるし」



 心配したパルメラが言ってくれるのに、かぶりを振る。



「アスターが帰ってくるかもしれないから……」


「にしてもなぁ、もう五日目やろ? 宿の支払い、あと何日もつん?」


「アスターが前払いしてくれてたから明後日までは……」



 ──つまり、それが宿を引き払わないで済むタイムリミットということだ。


 パルメラは椅子にどかっと座って、事務机に頬杖をついた。



「まったく。うちと約束してた護衛仕事も放っぽり出して、どこほっつき歩いてるんだか……」


「ご、ごめんなさい……」


「メルちゃんが謝ることやない。今回ばっかりはあの大バカアスターが悪い」



 事務室の椅子で縮こまるメルに、パルメラがきっぱりと言い放った。


 クロードの方も、施療院をとっくに退院して、今となっては行方が知れない。


 けれど、メルが滞在している宿には、少ないながらもアスターの荷物がそのままあって、遠出をしたとは思えなかった。何か事件にでも巻き込まれたのでなければ、十中八九、この町のどこかにいるはずだった。



「私、またアスターを捜してきます」


「オレも行くよ。メルひとりで迷ったら嫌だし。いいだろ、パルメラさん?」


「ピエール、あんたそんなこと言って、また仕事サボりぃ? ……って言いたいとこやけど、堪忍したるわ。アスター見つけたら、うちの分もぶっ飛ばしといで」



 それはムリ……と思ったメルとピエールだった。

 アスターの剣技にかなうんだったら、どこの傭兵ギルドでも引く手数多あまたで雇ってもらえる。



「でも、ピエール。こんな毎日、迷惑かけて……」


「そんなこと気にしてる場合じゃないだろ。ほら、行こ」


「う、うん……!」



 ここ数日、心配してくれた同い年の少年の背中を追いかけて、メルは今日も町へ出ていった。



  ☆☆



「──アスター、何を考えてる?」


「え? ……いや」



 窓辺からぼんやりと通りを見下ろしていたアスターは、クロードの声に、はっと我に返った。


 メルに似た少女と少年が通りを走っていった気がした。……見間違いかもしれなかったが。



「そうやって黙り込むのは変わってないね。視線を逸らす癖も」



 笑いながら、クロードは仕立てのいい貴族服にそでを通し、自分でリボンタイを結んだ。かつては侍女にやってもらっていたのだろうが、今は自分で器用にこなす。


 会ったときの旅装束との違いに、当初、アスターは戸惑った。安宿の一室とも不釣り合いだ。



「……ああ。亡者と戦う護衛が、こんな高い服着てちゃおかしいだろ? 相手によって使い分けてるんだ。旅装束も様になってただろ」



 アスターも着なよというので、丁重に断った。いつもの服でいい。不必要なものを買いそろえようとも思わない。

 アスターの返事を、クロードは肩をすくめただけで受け流した。


 ここ数日、クロードに連れられていろいろなひとに会った。交易町リビド──ひともモノも、オモチャ箱の中に入れてごちゃまぜにしたような町。


 この日もアスターが旅人として足を踏み入れることがなさそうな門構えの屋敷に出向き、でっぷりと太った主人の歓待を受けた。


 目が痛くなるようなギラギラとした金色のウエストコートが、腰回りではちきれんばかりだ。指には、庶民の一財産になりそうな大きさの指輪がはまって、これ見よがしにカチャカチャと音を立てた。



「ようこそ、クロード殿。お待ちしておった。そちらは……?」


「彼は、アスター・バルトワルド。王国にいたときの僕の臣下です」


「おぉ、あの武門の家柄の。いや、それにしては……」



 ゴードン・バルキーズ子爵はアスターのことを値踏みするように見た。……主に、旅慣れたその格好を。

 アスターは眉をひそめた。



「……何か?」


「ほら、アスターがちゃんとした格好しないから……」


「必要ない」



 耳打ちしたクロードが嘆息する。それがなぜかアスターの神経を逆なでした。



「……いや、失礼した。気を悪くされんでくれ。これ、ぼさっとしてないで客人を案内しなさい」



 ゴードンが玄関先で声をかけると、メルと変わらないぐらいの少女たちがおずおずとやってきて、アスターたちの上着を預かった。


 子どもたちの足にはまった足枷と鎖に、アスターの目が自然と険しくなった──奴隷。


 見れば、屋敷の中に奴隷たちがそこかしこにいて、給仕をしたり庭の手入れをしたりしていた。痩せ細って、アザだらけ。粗末な服しか着ていない。



「……こいつらは……」


「アスター殿は奴隷に興味がおありか? それなら話が早い」



 ゴードンがぱっと目を輝かせて、奴隷たちに指示をする。案内役を指示された奴隷が鍵をもって先導した。


 行き先は、屋敷の中でも、ひときわ背の高い塔の中だった。


 鉄格子のかかったおりがあり、その中にも、足枷をつけた者たちが座り込んでいた──宿の一室にすぎないせまさに、十人ほども押し込められている。誰も彼もがうつろな顔をしていた。



「……これは……」


「バルキーズ子爵は奴隷商なんだよ。このリビドで仕入れた奴隷たちを大陸各地に売りさばいてる」



 絶句するアスターに、クロードが耳打ちする。

 ゴードンも鷹揚おうようにうなずいた。



「さぁさぁ、どれでも好きなものを見ていってくだされ。ノワール王国には奴隷制度がないそうですが、我が国では重要な資産なのですよ」


「……魂送り……」


「──は?」


「魂送りをする奴隷は、この中にいるか……?」



 かすれた声で、アスターは訊いた。檻に閉じ込められた奴隷たちの中に、どうしてもメルの姿を捜してしまう。


 ……ここ数日、宿に帰っていない。

 パルメラがいれば大丈夫だろうと、心のどこかで甘えていた後ろめたさに、心臓を嫌な音を立てた。


 ゴードンは申し訳なさそうに眉を吊り下げた。



「それはまた特殊な奴隷をお探しですな。そのような商品の取り扱いがなくて申し訳ない。何せ魂送りをさせるとなれば、特殊な訓練が必要でしてな……」


「そういえば、アスターが連れてた女の子も足枷をはめてたよね。ほら、あの、魂送りをしてた子」



 ──ギクリとしたのを、悟られたか、どうか。


 クロードが思い出したように言ったのを、ゴードンは聞き逃さなかった。



「なんと! 魂送りをする奴隷をお連れとは」


「いや。あいつはただなりゆきで一緒にいるだけで……」



 ──奴隷じゃない。

 そう言おうとした矢先。ゴードンの手がぬっと伸びてきた。



「それはそれは。ますます都合がいいですな。どうです、これで引き取らせていただけまいか?」


「……っ」



 ムリヤリ握らせられた金貨の冷たさに、気付けば、ぞっとして振り払っていた。

 行き場をなくした金貨が床を転がっていく。



「……あ」



 あぜんとしていたゴードンの顔が、不機嫌にゆがんでいった。



「な、何をされる……っ。無礼な。私はただ──」


「……っ!」



 ──しまった、と思っても遅い。

 そのとき、クロードが出し抜けに、パンと手を打った。



「──!?」



 渦中かちゅうにいたアスターとゴードンは、あっけにとられて振り返った。


 事の成り行きをみていたクロードは、手のひらにの死骸を貼り付けたまま、にこりと笑って言った。



「……実は、アスターは故国では防国の双璧といわれるほどの守り手でして。子爵を守ろうと、つい


「──は?」



 ゴードンがぽかんと言った。

 アスターも同じ気持ちだ。


 ──何を言ってるんだ、こいつは?



「地球上で一番、ひとを大量に殺す生物を知っていますか? 答えは亡者──ではなく、蚊なんですよ。血を吸われたから死ぬのではなく、傷口から別の細菌が入り込んで、テング熱やマラリア、黄熱病を媒介します。バルキーズ子爵に病気になられては困りますからね。ね、アスター?」



 人畜無害な笑顔でにっこりと言われて、アスターもうなずかざるを得ない。


 クロードは丁寧に辞去を告げて、アスターとともに屋敷を後にした。

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