第5章4話 黄昏色の病室

 夕刻──

 アスターは、施療院の一室にいた。

 目の前のベッドで、銀髪の青年が眠っている。


 ──怖かった。目を離したら、陽炎かげろうのように消えてしまうんじゃないかと、思って。


 そんなアスターの不安と恐怖を打ち消すように、青年の目がぽかりと開いた。茫々ぼうぼうと視線を泳がせている。


 声が震えるのが、自分でもわかった。



「……クロード、俺がわかるか?」


「………………アスター」



 呼ばれた途端、胸に熱いものがこみあげた。永遠に喪われたと思っていた声。新緑を思わせる碧の瞳が、アスターを見て、ぱたりと瞬く。



「……ここは?」


「リビドの施療院だよ。廃鉱で亡者と戦って倒れたの、覚えてるか?」


「……。アスターが助けてくれたんだね……」



 クロードが弱々しくんだ。

 生きてたんだ……と、ぽつりとつぶやいた。自分が、ではない。



 ──アスター、生きてたんだね、と。



 アスターは、胸が詰まってうまく言葉にならなかった。



「……っ! こっちの台詞だ。どれだけ捜したと思ってる。二年間も、どこに行ってたんだ。俺は、おまえが、死んだんだと思って……っ」



 アスターの見せた激情に、クロードが意外そうに目をみはった。



「僕のこと、ずっと、捜してた……?」



 言葉にならずにうなずいた。クロードの前で、みっともなく泣きたくなくて。

 でも、クロードは見透かしているようだった。アスターが心の中で泣いているのを。

 ……鈍感なようで、ひとの心の痛みには誰よりも敏感で優しいのも、昔のまま。



「アスター、ごめんね……」



 クロードがそう言って、痛ましそうに眉をひそめたから……思い出した。


 剣をふるうよりも、蔵書室で本を読む方が好きで。亡者で滅びた国のために涙して、惰弱な王子とそしられても穏やかに笑っていて。


 そんなクロードだから、仕えたいと思った。アスターが忠誠を誓うのは、ただひとりだけ。今も昔も変わらない。



「ごめんね……」



 アスターの震える肩に手を置いて、ひっそりとクロードが言う。

 アスターは子どものように声をあげて泣きたくなった。その優しさに、甘えて。


 黄昏色の病室は、まるで時が止まったようだった。


 それから、ぽつりぽつりと、お互いのことを話した。


 アスターがクロードを捜したように、クロードもまた、王国を再建するための同志を捜していた。あてのない旅だった。滅亡した王国の再興に手を貸す者など、そうはいない。


 旅の間、幾度となく亡者と戦い、倒し、復活する彼らを彼岸に葬送おくるすべもなく、無限に続く戦いに明け暮れて身をすり減らす。


 そうしてたどり着いたのが、この町だった。廃鉱に行く商人たちの護衛を買って出て、あわや全滅しかけた。……助けてくれたアスターを見て、どんなに驚いたことか。



「もう、二度と、会わないと思ってたから……」



 ぽつりと、クロードは言った。毛布をつかんだ手が震えている。

 二年前には、陶磁のように美しかった肌はマメや細かい傷で汚れていて。でも、旅暮らしの中でも白さは喪っていない。

 アスターは、その手を包んだ。



「……俺もだ。もう生きて会えないかと思ってた。本当に、クロードなんだよな……?」



 ここにきて、初めてクロードはくすっと笑った。アスターがドキリとするほど透明な笑みで。



「本当だよ。何回言うの? そんなに握りしめなくても、どこにも行ったりしないよ」


「わ、悪い……」



 そっと手を包むどころか、まるっきり幼子のようにすがりついていたのだと気付いて赤くなる。

 一時ひととき、昔のようななごんだ空気が流れた。



「……クロード。これからどうするつもりだ?」


「ノワール王国を再建する。時間はかかるだろうけど、やり遂げるつもりだよ。そのときは協力してくれるかい?」



 クロードが、まっすぐに見つめていた。アスターの内心まで見透かすような真摯しんしな瞳だった。


 クロードはもう王族じゃない。アスターも臣下ではない。そんな肩書きは王国の滅亡とともに消し飛んでしまった。

 それでも、協力してくれるか、と。


 アスターは、もう一度、クロードの手を取った。

 アスターの答えなら、遠い昔からもう決まっている。



「──もちろん。俺が忠誠を誓うのはおまえだけだ」



 アスターの答えに、クロードはひとつ瞬いて、はかなげな笑みを見せた。



  ☆☆



 西日が、病室に面した廊下を悲しげな色に染めていた。

 廊下の長椅子にいたメルは、やってきた人物をぼんやりと見上げた。パルメラだった。



「悪い、遅くなった。警吏やら傭兵ギルドやらへの後始末でごたついてて。それより、ほんまなん? クロード王子が見つかったって……!」



 病室に突っ込んでいこうとしたパルメラの外套コートのすそを、メルが引いて止めた。



「ふたりきりに、してあげてください。ね?」


「メルちゃん……」



 心細そうにしている少女を見て、パルメラは何も言えなくなった。


 ずっとこうして待っていたのだと知れた。昼間に廃鉱で亡者どもを魂送りしてから、飲み食いもせず、ひたすらアスターを待っていた。……自分のところに、帰ってくるのを。──でも。


 パルメラが外套を脱いで、メルを包み込んだ。ふわりとした温かさに包まれて、メルが泣き顔になる。



「……なんでこんなに不安になるんだろ。アスターが捜してたひとが見つかって、嬉しいはずなのに。喜ばないといけないのに、私……」


「……。バカやね。大丈夫よ」


「私……。こんなこと考えてる自分が恥ずかしくて……」


「なぁんも恥ずかしがることなんかない。何かが変わってくときっていうのは誰でも不安になるもんなんやで」



 パルメラの外套の中で、メルは見えないようにすすり泣いた。


 アスターが、急に遠くに行ってしまうような気がした。メルの知らない、アスターの過去が、垣間見えるようで。──そこに、メルの居場所はない。


 アスターの過去に、メルはいない……。


 パルメラが、メルの背中をぽんぽんたたいた。あやすように。



「今夜はうちにおいで。アスターのアホ野郎には、うちからちゃんと言付けとくから。な?」


「…………」



 やがて泣きやんだメルに、とりあえずご飯食べ行こっか、とパルメラが言って。

 メルは、パルメラと歩き出した。


 アスターたちのいる病室に、背を向けて。

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