第5章3話 暗闇の先に……

 パルメラと一緒に階下に向かうと、ギルドの事務室がやけににぎやかだった。


 見れば、帰ってきたメルとピエールが職員たちに揚げパンを配って談笑していた。さすがに職員の人数分は買ってこれず、一口サイズにちぎってみんなで分け合ったらしい。


 メルはアスターを見ると、嬉しそうに手を振った。



「あいつの、あのムダな処世術は何なんだ……」


「ぷははっ。あんたじゃ逆立ちしてもマネできひんなー」



 事務室の奥から、メルが駆けてきた。紙袋の底をガサゴソ漁って、最後の揚げパンを出す。



「はい、アスターとパルメラさんの分。ピエールさんと行列に並んで、やっと手に入れた戦利品ですっ」



 パルメラとひとつずつ渡された揚げパンを、アスターはしげしげと見た。もしやと思って、訊いてみた。



「メル。おまえ、自分の分は?」


「あ……」


「……もしかして、全部配ったのか?」


「あ、あははー……」



 ──頭からすっ飛んでいたに違いない。

 相変わらず、自分のことに無頓着なヤツだった。アスターは嘆息した。



「──ほら、半分」


「う、ううん! それはアスターにあげた分だから」


「俺が気になって食えないんだよ。いいから食え」


「うっ……。い、いただきまーす……」



 アスターの隣にちょこんと座って、半分こした揚げパンにはむりとぱくつく。

 甘いザラメの砂糖とシナモンの味わいに、なんともいえない幸せそうな顔で瞳をうるませた。



(こうしてると、ほんと、どこにでもいるガキなんだよな……)



 主人のために魂送りを強いられていた奴隷……だったことを、拾ったアスターも忘れそうになる。


 このままメルの中でも、それが過去のことになってくれたらいい。主人にしいたげられていたことも、奴隷仲間たちが残酷に死んでいった過去も。


 文字を覚えて、魂送りを身につけて。

 自分で、自分の人生を切り開いていけるように。


 ──けど、そのためには、アスター自身、過去にとらわれたままではいけない。

 亡者との戦いで我を忘れていては、遠からず、メルのことも道連れにしてしまう。……その予感があった。


 踏み出すのには、勇気が必要だった。

 メルが、主人だったザイスの手を振り切ったように。

 アスターもまた、前に進むときがきているのだ……。



「……アスター? 食べないの?」


「あ、ああ……」


「なんや、もったいない。食べへんなら、うちがもらうで?」


「やめろってば」



 パルメラに横取りされないうちに焦げ目のついた揚げパンにかぶりつこうとしたとき、商人ギルドの玄関が荒々しく開いた。



「助けてくれ! 裏の廃鉱に亡者が出たんだ!」



 にわかに騒然となった。

 パルメラが商人ふうの男に駆け寄り、問い詰めた。



「バカやな。なんで廃鉱なんかに行ったんや」


「稀少なガルガン鉱石が出るって噂になったんだよ。護衛も雇ってったけど死んじまった。でも、まだ仲間が何人か取り残されてるんだ……!」


「俺が行く。あんたは道案内を頼む。パルメラは応援を呼んできてくれ」


「アスター、私も行きますっ」



 魂送りの杖をもったメルに、アスターは一瞬、迷うそぶりを見せた。が、すぐに駆け出す。



「危なくなったら、俺にかまわずすぐ逃げろ。いいな」



 こっくりとメルがうなずくのを見届けて、アスターは商人ふうの男とギルドを飛び出した。



「亡者は何体いた? 逃げ遅れてるのは?」


「お……俺が見たのは三体だ。仲間は十人いたけど、あっという間にやられてって……」



 アスターは舌打ちした。遮蔽物のない荒野ならまだ散開できるが、逃げ場の少ない廃鉱というのが最悪だ。

 斬っても突いても再生する亡者相手に、人間の力はあまりに非力だ。駆けつけた頃には全滅していてもおかしくない。


 廃鉱までは、馬を駆ってそうかからなかった。確かに、ここなら傭兵ギルドより商人ギルドへ駆け込む方が早い。商人たちが迅速に動いてくれれば、それだけ被害も抑えられるだろう。



「この奥だ。仲間が取り残されてるんだ。頼む……!」



 アスターは、油断なくカンテラで坑道の奥を照らした。かすかに悲鳴のようなものが反響して聞こえた。あと、亡者のうめき声。


 しばらく走っていくと、血まみれで倒れている男たちがいた。亡者に食い荒らされた死体もあって、道案内をしていた商人ふうの男がその場でゲェゲェ吐いた。


 息のある者を見つけてアスターは駆け寄った。



「しっかりしろ。まだ生きてるヤツはいるか?」


「奥に……まだひとり。護衛を買ってでてくれたヤツが……亡者どもを引きつけて、くれ……て」



 ──ひとりで、亡者と戦ってるヤツがいる。



「アスター、あっちから剣の音が聞こえる……!」


「……っ!」



 メルに離れているように言ってアスターは駆け出した。


 やがて、道の向こうに亡者に群がられた男の後ろ姿が見えた。

 亡者の数は──三体。それを相手取って、まだ戦っている。

 ……だが、それも限界に達したのか、男の身体がぐらりとかしいだ。



「よけろっ!」



 アスターは吠えて、剣を手に突っ込んだ。


 せま苦しい坑道内で剣技の大技は使えない。戦っていた男の前に躍り込むようにして、三体の亡者を相手取った。


 正面の亡者を斬り付け、振り返りざま、左から襲ってきた亡者に渾身の蹴りを放つ。背後から迫った亡者の攻撃をすり抜け、流れるように斬り裂いた。


 アスターが動くたびに、切断された亡者の手指や腐肉が、ひとつ、ふたつと舞い、亡者どもが怒りたけった悲鳴をあげてもがき回る。

 メルのそばにいた商人ふうの男が「すごい……」とうめいた。



「メル──今だ! 魂送りを!」


「うんっ」



 メルの歌い踊る声が、坑道の中に殷々いんいんと響く。足枷の鎖がこすれて、しゃらり、しゃらりと音を鳴らした。


 さながら地上を舞い踊る妖精のようだった。


 魂送りの杖が清浄な光を宿し、亡者どものみにくい姿を照らし出していく。

 あたかも温かな腕で包んで愛撫あいぶするように。──子守歌のように。



「導きの光よ、さまよえる魂を現世から解き放て。聖なる浄化の焔フェアリー・シャイン!」



 実体を保てなくなった亡者どもがうめき声をあげて、その輪郭を霧散させていく。その中から、薄緑色の光の球がふわりと上がり──


 坑道の天井付近までくると、すぅっと溶けて消えていった。



「……終わり、ました……」


「あぁ……よくやった」



 へにゃっと、メルが膝をついた。

 本当はずっと震えていたのだった。それでも逃げずに最後まで立ち向かった。

 ……強くなった。



「あんたも、よくここまでもちこたえた。立てるか──」



 そう言って、果敢に戦っていた最後のひとりに手を差し伸べようとしてカンテラを差し向け……──

 アスターは、微動だにできなくなった。


 亡者相手に一歩も引かず、商人たちを逃がしていた男は、意外なほど線が細かった。

 外套マントの下に、胴あてと籠手こてをつけただけの簡素な旅装束。

 坑道の中で今はくすんで見えるすべらかな髪が、陽の光のもとで、月の光をこぼしたように見事な白銀に輝くことを、アスターは知っている。



 ──



 けど、まさか……。

 そんなことが……──



「…………クロー、ド……?」



 目の前の青年も、アスターを見て固まっていた。まるで幽霊でも見るかのように、目を見開いている。

 けれど、瞠目どうもくしていたみどりの瞳が、アスターを映して、さざなみのようにうるんだ。


 二年前に消息が知れなくなった幼なじみは、唇だけで、アスターの名前を呼んだ。なつかしそうに。



「──……」



 その身体がゆっくりと傾いで──

 アスターの腕の中で、ふっつりと意識を失った。

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