第5章2話 砂の音色
護衛仕事をいくつか決めていると、部屋の外からノックの音がした。
戸口に現れたのは、メルと同じ年頃の子どもだった。商人見習いの少年がパルメラを呼びにきたのだった。
「パルメラさん、郵便あるって言ってただろ? 出してくるよ」
「あ、ピエール、ええところに。あのな。一緒にメルちゃん連れてってくれる? ついでに町をいろいろ案内したげて」
言って、少年に小遣いを握らせる。
にわかに降って湧いた展開に、メルが動揺した。
「い、いいですよ、パルメラさん。そんな気遣ってくれなくても」
「ええやん、ええやん。たまには遊んできてもバチは当たらん。アスターじゃそういうとこ、気が利かんからな」
「……言ってろ」
やさぐれ気味にアスターが言ったところで、ピエールがガッツポーズした。
「遊んでいいんすか? やった! パルメラさん、最高! ねぇ、五番街においしい揚げパンのお店があるんだ。すっごい人気だから午後一番で行かないと売り切れちゃう」
「え? ちょっ……」
「ほな、メルちゃん。いってらっしゃーい」
ピエールの勢いに負けて、遠慮がちに手を振ったメルがパタパタと去っていく。
ふたりの足音が遠ざかって静かになると、アスターは切り出した。
「……パルメラ、人払いか?」
「人聞きの悪い。たまにはふたりっきりでゆっくりしたいと思っただけや」
「──つっても。隊商にいた間にいくらでも話す時間あっただろ」
あきれたような物言いに、パルメラはむっとした。「あんな四六時中みんな見てるところで、話したうちに入らん……」とか、ぼそぼそ言う。
この商談室と何が違うのか、アスターにはよくわからない。
いつもより心なし胸の辺りがあいたサリーにチラチラと目を落としながら、パルメラはなぜか自分で頬を赤らめた。スリットからのぞく美脚をもじもじさせて、なんだかいじけている。
パルメラは、ぷいっと目を逸らした。
「まぁ、あんたのことや。どうせこの町にも何日かしかおらんのやろ? ゆっくりしろって言うても聞かんのはわかってるんや。せやから、せめてメルちゃん、遊ばせたろうかと……」
「──いや、しばらく路銭を稼ごうと思ってる。これからの身の振り方も考えないといけないしな」
ソファの肘掛けをコツコツたたいていた指を、パルメラは止めた。
……山小屋のときにも聞いた、どこか迷ったような口調。
「……なんだよ」
「いや、びっくりしたわ。あんたの口からそんな建設的な言葉が出てくるなんて。どういう風の吹き回し?」
──「これから」。「身の振り方」。
それは未来を考える言葉だった。
亡者を見れば闇雲に突っ込んでいき、戦いの中でしか生きていることを実感できない。自分が生きているのか、死んでいるのかもわからず、過去の追憶にすがるだけ……。
この二年間、パルメラの目に、アスターはそんなふうに見えていた……けど。
何かが、アスターの中で変わっていく。
故郷を喪ってから二年間、アスターの中で凍り付いたままだった何かが、溶け出して。
「聞いてもええ? あんたがそんなふうに考えるのは……メルちゃんのため?」
奴隷だった少女が独り立ちできるように文字を教え、自分で決めるように導いてきた。魂送りをするのを義務とせず、本人が選べるように余地を残した。
そして今、アスターひとりであったなら選ばなかったような選択をしようとしている。
そこまでする理由があるのかと、パルメラは問うたのだった。
パルメラの予想に反して、アスターは
「あいつのことは、ただのきっかけだ。俺もいい加減、もう前を見なきゃいけないって思った。……いつまでもルリアやクロードの面影ばっかり見てるわけにはいかない」
「でも……」
「本当はもうとっくにわかってたんだ。クロードがもうどこにもいないってこと」
パルメラは目を見開いた。
二年前、ノワール王国が滅んだとき、行方不明になったクロード王子。一命をとりとめたアスターは、それからも必死に捜してきたはずだった。──守るべき主君が生きていると信じられなくなっても。
捜し続けることで、否定し続けた──彼がもうとっくに亡くなっているのではないかという疑念を。甘やかな過去の幻想にひたっていられるように。でも。
過去を見続けていては、
「ノワールが滅んでもう二年だ。いつまでも過去ばっかり向いていられない。俺ももう歩き出さないと、ルリアとクロードに笑われる」
そう言ったアスターが、どこか吹っ切れたような、迷いの晴れた顔をしていたから、パルメラもなんだか泣きたいような気持ちになった。
「……そっか」
アスターの中で、止まっていた時が、動き出す。
その砂時計の砂のこぼれ落ちるささやきが、聞こえた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます