第4章11話 薄緑色の灯火

 アスターとともに駆けつけたパルメラの馬も借りて、メルとザイスもいったん、その場から離れた。亡者どもを倒した山道から外れて、草陰に避難する。


 ザイスを相乗りさせたパルメラが不満を言った。



「なんでうちが、このおっさんと一緒なん? ありえへんわ。メルちゃん見殺しにしようとしたヤツなんか放っとけばいいのにっ」


「亡者が復活するかもしれないあの場に置いてくわけにいかないだろ。……ひとり、間に合わなかった」



 悔やんだようにアスターが言って、メルも身を硬くした──ザイスの護衛だったバヤン。


 収まっていた震えが、また襲ってきた。その震えが伝わったのか、アスターが馬を止めた。背後に亡者の気配がないのを確かめて、ほっと一息ついた。



「アスター、パルメラさん。なんでここに!? 馬車と一緒に行ったんじゃ……?」


「フェイクや、フェイク。アスターと一緒にあの山小屋に潜んで、この男が本性表すのを待っとったんよ。……メルちゃんがうちらを追いかけて小屋を飛び出したんは誤算やったけど」



 アスターの方を見ると、同じように渋い顔をしている。



「俺らがいたんじゃ本性出さないと思ってな……」



 それじゃあ、メルが飛び出さなければ、もっと早く駆けつけてくれたのだ。

 メルは顔から火が出るかと思った。



「……言ってくれてもよかったのに……」


「おまえ、こいつについてく気満々だったからな。言っても聞かなかっただろ」


「敵をだますにはまず味方からや。堪忍な、メルちゃん」



 パルメラにまで言われては、ぐぅの音も出ない。

 アスターが、静かに言った。



「……遅くなって、悪かった」



 その一言で、メルの胸が熱くなった。

 帰ってこい──と言われた気がした。


 メルが手を放しても、放しても、アスターは見捨てずにいてくれた。そのことが、かけがえなかった。


 アスターがまた差し出してくれた手を、またつかもうとした──今度こそ。だが。

 聞いていたザイスが哄笑こうしょうをあげた。



「……忘れてはいないだろうな。こっちには、そいつの署名入りの証文があるんだ。これがある限り、こいつは私の奴隷だ。永遠にな──! どちらに理があるか、法廷にもち込んでもかまわんのだぞ」


「……っ!」



 あの署名入りの紙。メルの身も心もザイスのものであると証す、動かぬ証拠。


 メルは、アスターの背中にしがみついて身を硬くした。暗い絶望が再び、メルの心を侵食していった。いくら逃げても、あの証文からは逃げられない──が。



「国際商取引法第五十七条──『未成年者の商取引には保護者の同意を要する。この同意がなされない場合、その取引は無効にできる』」


「……っ!?」



 にやりと、口の端をゆがめたのはパルメラだった。

 ルージュを引いた、なまめかしい唇で舌なめずりする。



「あんたも商人なら当然、知っとるやろ? メルちゃんはまだ十四歳──署名が効力を発揮するには、保護者の同意が必要なんや」


「はははっ。れ言を抜かすな。この小娘の主人は私だ! こいつの保護者は、今も昔も私だ! そんな出任せでだまされるとでも……」


「──ところがどっこい。そうは問屋がおろさない」



 パルメラがふところから紙を取り出した──昨日のうちにアスターから相談されて細部まで目を通しておいたもの。笑みを深めた。



「ここに、カルドラ聖堂長の署名入りの証文がある。『我、カルドラ聖堂長イリーダ・アルゴールの名において、アスター・バルトワルドがメルの保護者となり、庇護下に置くことを認める』ってね。──アスターがメルちゃんの保護者なのは、聖堂の名のもとに認められてる。どっちに理があるか、法廷にもち込ませてもらいましょうか?」


「…………っ!!」



 魂が抜けたように、がっくりと、ザイスが肩を落とした。


 メルは唖然となって、アスターを見た。

 イリーダの証文には、あんなに「俺はおまえの保護者じゃない」と言い張っていたアスターの署名も連ねてあるのだった。


 どういう心境の変化なのか、探りかねてまじまじと見つめるメルの視線を受けて、アスターがにわかに不機嫌な顔をした。



「……別に。一緒に旅してくなら必要かと思ったまでだ」


「……アスター……」



 一緒に旅をしてくなら──その言葉は、何を考えているのかわかりづらいアスターの本音に思えて。

 メルは涙を見られたくなくて、アスターの外套マントにぎゅっとしがみついた。


 そのアスターが、ぴくりとして振り返った。



「──来た」


「……え……?」



 振り返った先にいたのは、さっき吹き飛ばしたはずの亡者どもだった。まだ再生しきってない手足で向かってくる。


 ザイスが悲鳴をあげて逃げに入ろうとした。……が、手綱を握るパルメラが許さない。



「何をしてる。早く逃げ……!」


「待ちなって。あのぐらいの数、アスターがいれば大丈夫や。大船に乗ったつもりでいなさいな」


「バカ言うな! おまえらと一緒に心中してたまるか!」


「あっ……ちょ!」



 パルメラが止めるのも聞かず、馬から転げ落ちて逃げていく。

 見送ったパルメラは嘆息した……一緒にいた方がまだ安全だろうに。



「……はぁ。あかん。救いようがないほどバカな男や」


「その必要もないだろ。一緒にいられて泣きわめかれても足手まといだ。……メル、」


「は、はい!」



 思いがけず名前を呼ばれて、うわずった返事が出た。そのメルを残して、アスターが馬から降りた。



「あいつらは俺が吹き飛ばす。──そのすきに、魂送りしろ。やれるな?」


「……え……」



 ドキリとした。今まで、一度も魂送りをしてほしいと言わなかったアスター。


 きっと、メルがどんな答えを返しても、アスターは受け入れてくれるのだろう。そんな予感が、卒然と湧いた。


 たとえメルが魂送りをしなくても、アスターは黙って戦うのだろう。

 メルに、パルメラと一緒に逃げるように言って、自分は亡者に向かっていく。

 当然のように、ひとり戦って。……でも。


 さっきまでの震えが止まった。不思議なぐらいに。


 馬から降りてアスターの隣に立ったメルに、アスターがかすかに驚いたような気配がした。



「──できます。そのために来たんだもの。私も一緒に戦う……!」



 剣ではなく──心で。

 剣士と謡い手──力を合わせて、地上をさまよう憐れな魂たちを葬送るために。


 きっぱりと言い切ったメルに、アスターが瞠目どうもくし、……かすかに目元を緩めた。それが確かなことか確かめる前に、迫りくる亡者どもに視線を戻してしまったけど。



「俺より前に出るな。いざというときは、俺にかまわずパルメラと一緒に逃げるんだ。──いいな」


「うんっ」



 メルの返事と同時に、アスターが走り出した。張り詰めた弓弦ゆづるから解き放たれた矢のように、颯爽さっそうと。三体の亡者との間を、瞬く間に詰めていく。横なぎに、剣を払った。



「──残光蒼月斬!」



 アスターの剣技を受けて、亡者どもが吹き飛んでいく。背後のメルを振り返った。



「メル、今だ……!」


「……っ!」



 メルの胸中を、想いが走馬灯のように駆け巡った。


 荒野の中、亡者どもの中に置き去りにされた恐怖も。

 リゼルや仲間たちが命を散らすのを見送った悲しみも。

 再会した主人に裏切られた、どす黒く渦巻く怒りも。

 助けにきてくれたアスターやパルメラを見たときの、胸が痛くなるほどの安堵と切なさも。


 すべてをこめて、歌い踊った。

 シャラリ、シャラリと脚の鎖が擦れて鳴る。そのささやかな響きさえも味方につけて。とらわれていた少女は、高らかに歌う。


 曇り空が晴れて、暖かな慈愛の光が降り注いだ。

 その光を、動けなくなった亡者たちが弱々しく見つめた。何も映さなくなったうつろな眼窩がまばゆい光にかれた。



「導きの光よ、さまよえる魂を現世から解き放て──!」



 ──聖なる浄化の焔フェアリー・シャイン


 その歌声に呼応するかのように、亡者どもの輪郭がほころびて霧散していく。現世に実体化した、その形を保てずにあえいだ、その中から、美しい薄緑色の光の球が飛び出すのをメルは見た。



(現世に舞い戻った、魂……)



 光の球がみっつ、ふわふわと浮かび上がる。重たい実体から解き放たれたのを、心もとなく思うかのようにさまよったのち、何を思ったのか、メルの方に飛んできた。


 メルは、びくりと身を硬くした。──が。



「大丈夫だ。──もう心配ない」


「……!」



 歩み寄ったアスターの声で、恐る恐る目を開けた。


 なんと、光の球たちがメルの周りをふわふわと回っていた。解き放ってくれたことを感謝するかのように、喜ばしげに舞って、空に浮かび上がっていく。


 メルとアスターが見守る中で、光の球たちが雲の切れ間を目指して昇っていく。



「きれい……」


「……あぁ、久しぶりに見た」



 メルと一緒に空を見上げながら、アスターも目を細めた。

 無意識のうちにつぶやいた。……今はもういない女の名前を。


 空に還っていく魂たちの光を、ふたりはいつまでも見上げていた。

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