第4章 鍵の開いた鳥かごで

第4章1話 天使の微笑み

 城の中庭に面した渡り廊下に、ふたりの少年がいた。


 剣の稽古けいこを終えた十三歳のアスターが、侍女たちに泣きつかれて、主君たる銀髪の少年を迎えにいったところだ。


 見つけたクロード王子は、何やら王子の式典用の正装に身を包んで逃亡をはかっていた。



『……何、逃げ回ってんだよ。侍女たちが困ってたぞ』


『アスター、一生の頼み! 見逃してくれ』


『そう言われても……』



 クロードを探し回っていた侍女たちに事情を聞いていたアスター少年は、侍女たちに同情してため息をついた。


 もう何度、この少年の「一生の頼み」を聞いたことか。

 けれど、今回ばかりはわけが違う。



『──婚約者と会うだけだろ?』


『婚約者って! そんなの、父上が勝手に決めただけで、顔も見たことないのに。あんまりだよ!』


『……って言っても。王族の結婚なんてそんなもんだろ』


『うぅ……』



 アスターは、クロードが持ち逃げしていた資料を拾ってみた。

 クロードが何も言わないことをいいことに視線を走らせて……書かれた内容に目をみはった。



『──ルリア・エインズワース。名門エインズワース家の一人娘。うたい手養成の最高峰であるセントバーズ大聖堂の教養課程を飛び級して史上最年少かつ主席で卒業……なんだこの化け物みたいな経歴。超エリートじゃん』



 ──しかも、卒業した理由が「もう教えることが何もないから」と指導官にさじを投げられたから……という細かい注釈までついている。ご丁寧に。



『ほらね、ムリムリ! こんな雲の上の子と僕が釣り合うわけないって!』


『あのなぁ。未来の王様が何、弱気になってんだ……』



 あきれ顔で言ったアスター少年に、ふと、悪魔がささやいた。

 家柄も経歴も申し分ない少女から逃げ回っている少年を、ちょっとからかってやろうと、意地悪な気持ちがむくりと湧いたのだ。



『そんなこと言って、すっごい美少女だったらどうする? 会わないで後悔しても知らないからな』


『一応、肖像画は送られてきたけど……ほら、これ』



 送られてきたという肖像画とやらを見て、アスターはまたも目が点になった。

 大体、こういうのって斜め上方向に美しく修正されているものだが、それを差し引いても──



『……うん、ムリだ。やめとけ。こんな美少女、おまえにはもったいない』


『だぁぁ!? 未来の王様になんてこと言うんだよ!? 不敬罪だ! 冒涜ぼうとくだ!』


『言い出したの、おまえだろ』


『自分で言うのはいいけど、アスターに言われるのはなんか腹立つ……』



 面倒くさいヤツだな、とアスター少年は内心、思った。

 その心の声も、クロードにバレバレだったけど。



『──さもなきゃ、肖像画家の腕がよすぎるんだな。大体、こういうのって五割増しにきれいに描くもんだろ。会ってみたら『誰これ?』ってぐらい不細工だったって話もよく聞くし……』



 見合いの肖像画なんて半分、詐欺さぎみたいなものだとぼやくのを、クロードが青い顔をして聞いていた。



『け、結婚詐欺? そんな……』


『だーかーらー、俺相手にうだうだ言ってるひまがあったら、とっとと会ってこい。安心しろ。玉砕しても骨は拾ってやるから』


『なおさらハードル上がったよ! こうなったら責任とってアスターも一緒に……』


『連れションかよ。やだよ、そんな結婚詐欺の現場に出くわすの。王族の見合いなんかに俺が行ったところでどうしろと……』


『あの……』



 振り返った少年ふたりは、その場で直立不動の石像のように固まった。


 肖像画からそっくり抜け出たような美少女が、そこにいた。


 お見合い用に着飾っているのか、薄桃色のドレスを着て、シャンデリアの輝きにも劣らないプラチナブロンドの髪をよそゆきに結い上げている。

 タイミング悪く立ち聞きしてしまった後ろめたさもあって、澄んだ黄玉トパーズの瞳を泳がせて、居心地悪そうに頬を染めていた。

 遠慮がちにはにかんだ笑顔だけが、年相応に少女らしい。



『──名前、呼びました?』



 少女の一言で、これまでの会話を丸ごと聞かれていたことがわかった少年たちの退路は、あっけなく断たれた。


「連れション」だの「結婚詐欺」だの、王侯貴族の子弟たるにあるまじきワードを聞かれたクロードは耳まで赤くなった顔色を一転、青くしたし、アスターは心の中で、主君たる少年にお悔やみの言葉を贈った。


 ……が、結局、クロードがルリアに婚約を破棄されることはなく、むしろこのことがきっかけで、三人はお互いに親しくなっていくことになる。


 このときのアスターとルリアは、のちに、葬送部隊の相棒パートナーとして戦場を駆け回ることになるなんて夢にも思わない。


 地上に舞い降りた天使のような美少女がこの世に存在したことに、ただただ驚いていた。

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