第3章7話 闇夜の狼藉

 深夜──不吉な赤い三日月が、影絵の木立に引っかかるようにして地上を見下ろす頃。


 寝静まったカルドラの町の片隅──ひっそりとした宵闇の墓場で立ち歩くふたつの人影があった。


 見る者が見れば、亡霊と見間違えるような立ち振る舞い。

 布で目張りし控えめに灯したカンテラの明かりが、昼間、メルたちの供えた花を照らさなければ、真実、亡霊のようだっただろう。


 カンテラを手にした方の人影が言った──ハスキーな女の声で。



「病死したのは、宿屋の娘で享年きょうねん十八歳。もともと病気がちでしたが、隣町にまで噂が届くような美少女だったということです。死体の鮮度を保つためにも、早くリビドへ戻らなくては」



 女は魔術を展開する詠唱を口にした。

 夜闇の中、燐光を帯びた魔方陣が現れおぼろに輝いたかと思うと、ふさがれたばかりの真新しい墓穴の土が盛り上がり、噴水のように噴き上がった。


 大量の土の中から出てきたのは、昨日死んだ若い娘の棺だった。

 重力を操る女の魔術が展開し、娘が棺ごと宙に浮き上がるのを見届けて、男もきびすを返した。



「町外れに馬車を用意してある。夜明けを待って、開門とともに町を出──」



 言いかけた男の背中を、何かが打った。


 石を投げたのは、中年の女だった。

 娘の死を受け入れきれず、夜ごと、墓の前に来ていた娘の母親。娘の葬儀でナイフを振り回したときのような、狂気をはらんだ形相で、そこにいた。



「その子をどこに連れていくの! 返しなさい! ……この墓泥棒!」


「なっ……! このお方に何をするっ!」



 カッとなって術から気が逸れた女を、男が制した。冷静に。



「やれやれ……思わぬ邪魔が入ったな。おまえは早く死体を連れていけ」


「ですが、『──』……!」


「口答えするのかい?」



 男の底冷えする声音に、魔術を展開していた女がぞっと引き下がった。

 そのまま棺を運んで逃走するのに、娘の母親が鬼気迫る呪詛じゅそを吐いて追いすがろうとした──刹那せつな


 燃え盛る太陽の軌跡を描く男の剣技が、追いすがる女の意識を刈り取った。



  ☆☆



 イリーダと出かけた次の日、メルは再び墓地を訪れた。墓参りではなく、謡い手の素質を見るための試練を受けるためである。


 道すがら、経験者であるレタとエイニャがいろいろ教えてくれた。



「生者と死者を分かつ絶対的な境界──忘却の河。生者も死者も、なんびとたりとも、忘却の河を渡ることはゆるされません」


「その忘却の河を守護しているのが、聖女アウグスタ様。生者と死者の世界が交わらないように、いにしえの昔から、忘却の河を見守っているの。生者が忘却の河を渡ろうとすれば退しりぞけ、死者が生者の世界に渡ってこようとすれば送り還してくれているのよ」



 奴隷だったメルが学んできたのは、もっぱら歌と踊りのことだけで、だから、こうした座学で学ぶような知識は新鮮だ。



「それって、なんだか魂送りみたいですね」


「メルちゃん、そうよ。大正解。聖女アウグスタ様は、私たち謡い手の祖っていわれてるわー」


「その聖女アウグスタ様にご加護を願って、謡い手としての素質を見定めてもらうっていうのが、今回の試練です」



 そこまで聞いて、メルは固まった。

 ……聖女アウグスタに「見定めてもらう」?



「聖女アウグスタ様って、伝説上のひとなんですよね?」



 メルの戸惑いに、経験者ふたりはニマリと笑った。



「実はね、お墓にある洞窟の奥には──」


「エイニャ、レタ。そのぐらいにね」


「イリーダ様……」



 口を滑らせかけたエイニャが慌てて止まった。


メルの前に、イリーダ聖堂長が進み出た。のりのきいた聖性服に、今日は琥珀こはく色の宝石いしをはめこんだ宝杖を手にしている。



「洞窟の奥に、聖女アウグスタ様の神器がまつられているわ。そこに行って魂送りの杖をかかげなさい。あなたの聖性が強ければ、聖女アウグスタ様が現れ、あなたの中の『真実』を暴くでしょう」


「……私の中の、真実……」



 イリーダは、にっこり笑った。



「忘れないで。聖女アウグスタ様を見つめるとき、アウグスタ様もあなたを見つめているわ。──謡い手になるための覚悟を見せなさい」



 思わず、ちらりとイリーダの背後を見た。

 少し離れた木陰では、一緒に来たアスターが何も言わず、木にもたれかかっている。



(アスターは、私に謡い手の素質があるのとないの、どっちがいいって思ってるんだろ……)



 どちらにしても、ここで試練に受からなければ後がない。アスターの旅についていく理由も──資格も。


 魂送りの杖を握り直した──娘を亡くした優しい職人の想いがこもった短杖ステッキ

 ひとつ瞬いて、弱気な心をそっとなだめた。



「──行ってきます」



 そうして、メルは洞窟に足を踏み入れた。

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